Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2006年10月27日(金) 塩むすび

携帯版の日記をご覧の皆様、お久しぶりで御座います。
PC版のほうは細々とではありますが、微妙に更新していたりします。

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事務的な仕事が山積みになっていて、その処理をしなきゃならぬと言い訳をふりかざし、稽古をさぼろうと思う。
が、しかし、妙に自虐的な部分がはたらいて、結局稽古場へと。
予想通り、予想以上のダメだしに、大腿部は痙攣を起こすはめに。
個人稽古。師匠が途中隣に立って振りを一緒に踊ってくれるのだが、その動きの滑らかさやしなやかさに感動さえ覚える。
しかし、私の身体はまだまだ動きについてはゆけない。
そういうもどかしさも、時として苦痛にしか思えなくなってきている。

踊りながら、先週同様、何百回と「もう絶対に辞める」と誓うが、結局稽古が終わり、正座のままで師匠の忠告を聞き受けているうちに達成感がわいてくる。
身体のあちこちが軋み、悲鳴をあげているというのに、其れさえも爽快に思える。

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タイトルは昨日の日記の続き。
「間宮兄弟」で好きなシーン。
お兄ちゃんが「塩にぎり」を作ってくれるシーン。
几帳面に洗濯物を畳むシーン。
兄弟の「反省会」のシーン。
堪りません。やはり、何度観ても、この映画が好きだ。


2006年10月20日(金) 肉体的現実逃避術

ガングリくんは、微妙な痣と微妙な腫れを残しております。

稽古にでかける。
正直、直前まで「行くか、さぼるか」散々悩む。

先週の稽古は正直「やはり、身体がもたないからもう辞めよう」と思った。
稽古をしながら幾度となく、稽古に来たことを後悔。
翌日は予想通りの筋肉痛で、レッスンを教えるのも正直辛かったのだ。

仕事に支障が出るとなれば、やはり辞めることを選択肢のひとつとしなければならない。
過去にフラメンコをやっていた時、次々にアサインされてゆくステージやらショーやらの予定がきつすぎるため、体調も壊したし、仕事に大きな影響が出た。
とても好きなダンスではあったけれど、あきらめるしかなかった。

日舞は、見た目の緩やかさとは違い、身体を殺し、沈め、絞りつづけることが泣きたくなってしまう程辛いのだ。
ひとつの形をしているだけで、太腿は震え、膝や足首の関節が軋み出す。にじみ出る汗の量も半端ない。
きちんと着付けた下着や浴衣を通して、なんと帯までもが濡れる程。

現在先輩たちが稽古をお休みしているということもあり、ほとんど個人稽古となってしまっているから、尚更厳しさ「独り占め」状態。
師匠に「明日、私レッスンを教えないとならないので、無理できないんで軽くお願いします。」なんて死んでも言えるわけはない。
例え、単なる趣味であるとしても、伝統文化、きちんと基本からみっちり教えるのが師匠のやり方だ。手抜きや弟子の顔色なんで見ることは一切ない。
以前、先輩が自転車でコケて膝を怪我した時も容赦なかった。
「ちょっと怪我していて、痛いんです。」と言っても「あら、そう。」と流したうえで、稽古がはじまればそんなことは総て忘却。

散々悩んで、結局稽古場に向かう。
そして、きつい稽古をつけてもらいながら、先週に増して「もう絶対辞める」と127回以上誓った。

どうして、私、こんなに辛いのに踊るのだろう。
自分自身に理由を聞いてもわからない。
自虐的なのが好きなのだろうか。決してそんなことはない筈なのに。

只、必死に踊っているわずかな時間、頭の中は真っ白で、雑多なこと全て消え去ってしまう。
肉体的な現実逃避。其れが今の自分には不可欠なのかもしれない。


2006年10月16日(月) 摩天楼の悲劇

先日、上映中の『ワールドトレードセンター』を観てきた。

昭和から平成、私の青春真っ只中はNYで過ごした。
一番アクティブで怖いもの知らず、何事にも興味津々。其のような濃密な時期をあの街で過ごした。
だから、私にとっては、たった数年の滞在であっても、まるで『第二の故郷』とでも呼べるほどの場所である。
沢山の人と出会い、別れ、沢山のことを学び、経験をした特別の街だ。
其れは、街の隅々に、未だに鮮明な記憶として残っている。
オーディションの帰りに立ち寄ったカフェ、当時の友人と歩いた14丁目、日本からやってきた母を連れて行ったMacdogalストリート、生まれて初めてひったくりを目の当たりにしたキャナルストリートの駅構内。
そして、ワールドトレードセンターにも多くの記憶が残っている。

9.11のあと、まだワールドトレードセンターまでの地下鉄が動いてない時に歩いてグラウンドゼロまで行った。
テレビの報道で見た以上の悲劇の残骸が残っていた。
柵に貼り付けられた「Missing」の紙。供えられた花。そして、まるでそこだけ消し去られたかのようにがらんと空いた地面。

私の記憶のところどころにワールドトレードセンターのツインタワーが風景として残っている。
街で迷った時、道の先にツインタワーがあるかセントラルパークがあるかで北か南かを確認した。親友がバイトするSohoの店に歩いてゆく時には、必ず目の前に夕日に赤く照らされた美しいツインタワーがあった。
何よりも、日本からNYへ行く時に機中から見えるダウンタウンの真ん中に誇らしげに建つ姿が鮮明だ。クィーンズからブリッジを渡る時にもその姿を毎度眺めた。
もちろん、あの街と別れる日も。


ただ、何年も経った今でも、あのビルがすっかりなくなってしまったということに納得がいかないのだ。

映画の内容については、これからも観に行く人がいるでしょうから、多くは語るまい。
ただ、照準をたったふたりの警察官の生還にしぼっているだけに、予想されるほど深い映画というわけではないので、期待して観に行くと少々がっかりするかもしれない。
過去にテレビでやっていた再現ドラマのほうができが良かったように思う。

このテーマについて、あれこれ語るほど私は強くもなければ賢くもない。
ただ、これだけの人が犠牲になった事件なのだから、簡単に忘れることをせず、今後の教訓として世界中の人が心に留めておいて欲しいと思うのだ。
人と人は憎しみあうために生まれてきたのではないと信じたい。


2006年10月12日(木) 継続は力なり

何よりも、難しい事。
其れは「継続」。
此れは運だとか才能だとかではない。
だから、何よりも難しい。
勢いだけでも、気合いだけでも、単なる努力だけでも成り立たないから。

最近、ビギナークラスに参加する古参メンバーが多い。
既にMDSメンバーとなって1年以上が経過したというのに、ビギナークラスに顔を出してくれる。
そんな時に思うのだ。
この子たちは、一番難しいことを今もやってのけているんだと。

事務所にいると聞こえてくる微かな更衣室での雑談。
「もう、なかなか帰らせてもらえなくってイライラしちゃった。」
「無理矢理パソコンの電源落として『もう帰ります』ってアピールしたのよ。」
「この間は結局間に合わなかったから、今日こそはと思って朝から頑張ったよ〜。」

其れほどまでに努力を重ね、工夫をして、一生懸命レッスンに来ているんだなと思うと胸が熱くなってくる。
其の思いに少しでも応えられるように、私も負けず努力をし、工夫をしてゆこうと毎回思う。

レッスンが始まって、時間が経過してからガチャッとドアが開き、いかにも「必死に仕事のあとスタジオにたどり着きました!」という表情のメンバーを見るのが仕合せな瞬間でもある。
遅刻を後ろめたく思う人もいるのだろうが、私は遅刻してでもレッスンに来るという心意気が大好きだ。

例え、仕事が忙しかったり、プライベートでスケジュールが一杯で、休みが続いても同様。

数ヶ月ぶりにスタジオに来るときは、少々気まずい感じがあるのかもしれないが、私は久しぶりにレッスンに来てくれた人のことを心から嬉しく思うのだ。「久しぶり!ダンスの楽しさ、忘れてなかったのね!」と。

昨日も暫くお休みしていたメンバーが久しぶりにレッスンに来てくれた。
なかなかレッスンに来られなかった理由などを聞きながら、その子にどんな事情があったとしても、こうしてスタジオに来てくれたことだけで十分だなあと思った。

どんなペースでも良い。
時には暫くお休みしても良い。
何らかの形で継続をしていてくれれば良い。

いつまでも、メンバーのみんなにとって「いつでも戻れる実家」のようなスタジオであればと思うのだ。


2006年10月08日(日) 日々徒然

何故に此処まで余裕が無いのだろうか。
只管に忙しく、振り返る暇も立ち止まる時間も無い。
一心不乱に何事かに突き進んでいるという訳でも無い。
日々の事柄を済ませるだけで一杯一杯。

優先順位を考えてゆくと、趣味にあたるもの、自分を喜ばせる物事については排除されてゆく。
其れではいけない。
忙しいからこそ、時間がないからこそ、余裕を作るべき。

週末は、無理に時間を作って久しぶりに日舞の稽古へ向かう。
予想通りの個人稽古。虐待かと思うほどの厳しさに、途中、何度も挫けそうになりながらも、乗り切る。元来、ダンサーというものは自分を痛めつけることに慣れているのだろう。
厳しい稽古だからこそ、終わった後の爽快感が堪らないのだ。
ふと、「サウナのようだ」と思ったりする。
暑くて苦しいのを我慢して、我慢を重ねて、ようやく外気に触れたときの至福感。
翌日土曜日の筋肉痛は流石に通常の痛みを超えたものであった。
トイレに入るのも躊躇するほどの辛さ。しかし、其処に「稽古の実感」が在るのだ。余韻のひとつとでも言うべきか。喜んで然るべき。

兎に角、次々と不具合が生じ、その処理や対応に追われる日々だからこそ、内面の充実は失いたくない。
不具合は必ずフィックスできるものだから。


2006年10月03日(火) 南国の誘惑

「フラガール」(オフィシャルサイト:http://www.hula-girl.jp/index2.html)を観に行った。
ダンス映画には辟易としているのだが、この映画については、前にテレビで蒼井優の密着取材番組を観て興味をもった。公開が楽しみだった作品のひとつ。

「ダンスを馬鹿にしてんのか?ゴゥルラァ(「コラ」の巻き舌発音)!!」と凄みたくなるような、ほにゃらけた作品ばかり目立つ「ダンス映画」。ダンスという冠がつけば「シャル・ウィー・ダンス」のように売れると思っているのかと思うほど。脚本もダメ、演出もダメ、俳優もダメなダメが揃って有る意味完璧すぎるものが実際には多い。作品を見ながら「もっと勉強しろよな」と腹が立つ。
大抵はスタッフロールを見ることもなく、腹を立てながら劇場を後にする。

蒼井優のテレビ番組では、このフラガールの裏側の姿が映されていた。
本気で踊るばかりに全身筋肉痛になり、階段の上り下りにも苦心する姿や、役柄を掘り下げる行程。こいつは本当の「本気」で作品作りに取り組んでいる。映画で見せる涙は、単なる演技としてだけの涙ではないのだ。

去年発表会に出演したメンバーならば、この「涙」の意味がよくわかることだろう。
同じ「涙」を流した仲間として、深く理解できるはずだ。
そして、私もその「涙」を知っている。

まだこの映画は先日公開されたばかりだし、これから観たいと思っている人も多くいるだろうから、此処で多くを語るつもりはない。
何も聞かず、先ずは劇場に行くべし。
喜怒哀楽総てを見事に織り込んだ作品だから、ハンカチのひとつは持参していくのがお勧めだ。

---ここから先、ちょっとネタバレしちゃうので、ネタバレ嫌いな人は映画を観てから読んでください---

松雪泰子は抑も大好きな女優さんなので、何をしていても大いに嬉しいのだが、この映画では見事に「カッコイイ」ダンス教師を演じていてくれていて大満足。
じっくり見ると手先までが本当に美しい。フラを教える姿も堂々としていて、貫禄さえ感じてしまうほど。終盤、袖でダンサーを見ている様子はまるまる私の姿を演じられているようで恥ずかしく思えるくらい。
今までも何度となく発表会の袖で「ああああああ、私自身が出演するほうが100倍気楽だよぅ。」とハラハラドキドキ落ち着かない時を過ごし、終演後の誇らしい気持ちを味わい、そしてゆるやかな別れを感傷とともに受け入れる。
そう簡単には表現できない複雑なダンス教師の思いを見事に演技してくれたと思う。
何時だって最終的に、ダンス教師は孤独で切ないのだ。其のような普通では気付かない部分までが見事に表現されていたのだから堪らない。

蒼井優のダンスは本当に素晴らしかったと思う。
健やかに伸びた頸や、背中。綺麗な肩のライン。その佇まいが既に踊り手として十分に思えるほど。
フラについては私は全くド素人なので何とも言えないのだが、それにしても綺麗な踊りだった。
腕の使い方も滑らかで、観ていて不安になる要素がない。
大抵はどんなに稽古を積んだ女優であっても、プロのダンサーに比べてしまえば、プロから見てしまえば、其れは稚拙なものに過ぎない。ゆるい腕の使い方や、ほんの少し落ちている背中や腰のラインで「ほらね。素人だからね。」とガッカリするものだが、其れも一切見られなかった。
「私もフラやってみる!」と言わせるような、凄い迫力と刺激があったように思う。

必ず触れなければならないのは、南海キャンディーズのしずちゃんだろう。
この子のように、どこか不器用で、ぎこちない子が、小さな努力を重ね、少しずつ成長を遂げ、見事に花開いてゆく過程を私は何度も見てきている。
だからこそ、どんなに見返りがなかったとしても、報酬につながらなくても、この感動が支えとなり糧となり、ダンス教師を辞めることはできないでいるのだ。
過去にMDSを巣立って行った子たちを思い出して、目の奥がつーんと痛くなった。
松雪泰子とのダンスレッスンシーンにおいては、笑いすぎて(予告編を見ていたのにもかかわらず)右脇腹が痙ってしまうほどだった。
しかし、しずちゃんって、無駄にデカイ。それが武器なんだな。

ノンフィクションをもとに作られている作品だからこそのリアリティと、各キャラクターの持ち味。この作品はそういう意味で何倍も楽しめる映画なのだろう。

現ハワイアンリゾートのフラダンサーズの出演もあってなのか、ちりばめられたダンスシーンは見応え十分。
フラダンスを専門でやっている方から見れば、どうなのかはわからないが・・・・私から見ればタヒチアンダンスも迫力満点で、フォーメーションも美しく、「ものすごく練習を積んだのだろう」という完成度の高さを伺えた。
ブルーハワイの大人っぽいダンスにおいては、思わず次の休みにはハワイに立ち寄って一度フラのレッスンを受けておきたいと本気で思うほど魅力的だった。

少なくとも、日々レッスンを通して、ダンスの難しさや本当の楽しさを知る皆さんならば、確実に楽しめる作品だと思う。
そうそう、プログラムも忘れず購入しておくべし。ハードカバー仕立て、読み応え十分のプログラムだ。合宿日記を読むと、出演者の素顔に触れることもできて、さらにこの作品を好きになることだろう。

良い作品は、必ずパワーを与えてくれる。
この作品は、しっかりとパワーを私に授けてくれたように思える。
明日も、明後日も、私は踊ってゆきたい。


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