Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2006年09月27日(水) 山積み生活

やるべきこと、やりたいこと、やりそこなったこと。
何もかもが山積みになったまま。

抑月末というのは此のようなものなのだと、自分自身に言い聞かせる。

自分では性格はB型寄りだと思うのだが、気づくとA型行動をしているらしい。
自覚はあまりない。

考えてみれば、旅行などになると顕著だが、予定は全て「100%こなせる」という内容のものではない限りたてない。
学生の頃などは、見事な「予定倒れ」ばかり繰り返した。
試験期間など、しっかりとみっちりと予定を作り、結局最初のほうで予定が守れず完全挫折。
予定を作っている暇があれば、其の分試験勉強してりゃ多少はマシだっただろう。
バカみたいに几帳面な分刻みのスケジュールをたてては、見事1日と守れない(機密すぎて!)。
夏休みの円グラフなんか、もっと見事だったと思う。
というか、あの円グラフの「一日の予定」というのを、毎日守って生活していた人というのは実際にいたのだろうか?

重ねた経験のうえ、今は「できることだけを予定する」という、なんだか間抜けなルールが出来上がった。
旅先などでは、一日ひとつしかスケジュールを入れない。
例えば今日はショッピング、明日は博物館、明後日は移動、など。
朝起きてレッスン行って、昼にショッピングで、夜は映画、、、などというのは無理。
実際は、其れに近いスケジュールをこなしていたりするのだが、予定していたものが100%こなせたうえで、他のこともできちゃえば、満足度150%ということで、それで仕合せなのだ。
3つも4つも予定を入れて、もしひとつだけでも達成できなかった時の挫折感は大きい。今日は駄目な一日だったなぁと思うのが悲しいわけだ。

しかし。
此処最近はそんなことも言ってられない。
一日1スケジュールだったら、もっともっとやるべきことがつもり積もってしまう。
斯くして、眠る時間を削ってでも、あれこれと作業することになる。
今日はこんなところで中途半端だけれど寝ることにしよう。
明日のスケジュールもみっちりですから。


2006年09月20日(水) 幸福論青山編

青山へレッスンを受けに行く。

しかし、昨日のレッスンの時に深くヘッドロールをし過ぎてしまったらしく、頸が昨日の夜から絶不調。今回は右を向くのが出来ない。
「今日は踊るのは止めてくれよぅ〜〜〜」と悲鳴をあげている頸を潔く無視してスタジオへ。

見渡す限り、10代20代のヤングなダンサーが集うスタジオ。
ついこの前までは、その仲間のひとりとして鎬を削るようなレッスンをしていたのだが、既に30代とも別れを告げようとしている私にライバル心など一切ない。張り合うつもりも一切ない。
張り合いようもないじゃないか。奴らは肌ツルツルで弛みもない、筋力だって最高潮だ。
斯くて、私は完璧なオヤジに化す。若くて美しくて踊れるダンサーたちに囲まれてレッスンを受けられるなんて仕合わせ過ぎる。
至近距離で観るスタジオパフォーマンス的な感じ。
飛ぶは回るわ(平均回転数3回転。4回転回る子も。)観ているだけで十分。
目の保養、心の保養。

思う存分、刺激を受け、久しぶりに濃度の高いレッスンを受けてきて、心も躯もスッカラカンになったかのような爽快感。

やはり、ダンスは佳いと深く思う。
20代の頃のように張りのある踊りはできなくなってきたが、斯うして踊り続けることができていることに感謝する。
明日も明後日も一年後も、今のように踊り続けることが出来るのならば、其れが一番の仕合わせなのだろう。
何時だって、如何なる時だって、踊っている最中は誰よりも幸福なのだから。
私の中は「あと少し手先を伸ばして」「もっと深く躯を沈ませて」という事柄ばかりで満たされる。もっと、もっと、もっと。求めても求めても、決して涸れることない。
何時になったら上手になれるのだろうと思い続けて30数年。まだ終わりは見えない。だから仕合わせ。


2006年09月19日(火) 表現者

長月も下旬。

寒くなったり、暑くなったり、体調を崩し放題の気候。
長雨は悪くはない。雨は基本的に好き。
虫は全般に無理だが、夏の虫よりは秋の虫のほうが好感がもてる。音色も良い。

「Love is blind」も中盤をこえた。
来週は後半のサビ。一番泣けるところを踊ることになる。
今日も踊りながら、歌詞をなぞってみたが、一語一句が切ない詩だと再認識。

ダンサーは言葉を使えない分、役者より歌手よりも気高い。
役者や歌手を超えた表現者にならなければダンサーには成れない。
自分の心に、もう一度刻んでおこうと思う。


2006年09月18日(月) 復活の兆し

サポセンとのストレス満載なやりとりの果て、不安定な状態ではあるけれど、どうにか回線が繋がるようになった。
此の喜びをどう表現したら良いのやら。

ネットに繋ぐことのできなかった日々は、まるで陸の孤島に居るかのような孤独感を味わった。
何かとネットに頼ることが日常になっており、ネットが使えないというだけで驚くほど不便な生活に陥った。
些細な情報を拾い集めるのも、友達と連絡を取り合うのも、皆さんに近況を報告するのも、何もかもネットなのだから。

抑、私はアナログな人間で、理数系にはほど遠い体育会系。
パソコンの設定さえまともに出来ない訳で、ちょっとしたアラートでかなりビビる。
「設定がおかしい」という内容のアラートが出されると冷や汗が出るのだ。
この数日、毎日、毎回、非条理なアラートを連発され、その度に泣きたい気分を堪えてきた。
此の心細さは簡単に言葉に言い表すことは出来ない。

このようにして無事、日記を執筆できる事を本当に心から嬉しく思うのだ。
明日から、日常に戻れるのだと思うと、其れだけで仕合せで堪らない。
一先ず、近況報告を。


2006年09月08日(金) 起死回生

パソコンが壊れ、間髪おかず、携帯が水没。
其のような安っぽいコントのような出来事って実際にあるのだと今更知った、然も、身を以て。
其れらのものが使えなくなると、如何に自分の生活が脆くも機能しなくなることを実感。

而して、此のような状況を「二重苦」または「ダブルショック」と呼称するのだが、この衝撃の二乗によるダメージは想像を超えるものである。
情けなさ過ぎて泣けてくる。
一体私の今までの行いの何が悪かったのか。
詛いをかけられるようなことがあったのだろうか。
他にも家族が深刻な病気になったり、度重なる頸の怪我や脚の痛み。数えればきりがないほどの些細な困り事。
矢張り思い返せば返すほどに、何かが禍いしているように思えてならない。
不幸が重なると言っても、ここまでいろいろと重なってくると不思議に思えるほどだ。

しかし、それについて只管に悩んだり、悔いたりしたとしても無駄なだけだ。
こうなったら自力でフォローして、前向きになれることをするしかない。
起死回生プロジェクト始動。別称自棄糞(やけくそ)プロジェクト。

瀕死状態のパソコンに綺麗サッパリ別れを告げ、まるで図ったかのように昨日発売になった新しいiMacを購入。
今までたっぷり溜め込んでいたデータの数々も凡て破棄。
おかげさまで、皆さんのアドレスも全てIT宇宙の彼方へ。

腐れ縁の男と別れたかのように、しばらくは不便を感じることもあるのだろうが、まずは新しい環境に喜びを覚えたいと思う。


2006年09月04日(月) 黄昏泣き

このところ、夜、明け方に肌寒さを覚えるようになってきた。
今日の黄昏は思ったよりも早い時刻に思えた。
少しずつ、僅かに、秋が近づいてきている。
夏嫌いの私にとって、有り難い事だ。

夏休みもないままに9月を迎えてしまった。

久々に「黄昏泣き」を聴きながらの日記執筆。
たぶん、私は四季の中で秋が一番好きなのだと思う。
明るすぎる夏が行き過ぎ、その後ろ姿に憂う、陰気な季節が一番落ち着く。
完全に秋が来てしまう前に、今年最後の冷やし中華とかき氷を堪能しておけないとならない。

さて、レッスンのほうは「Love is blind」ということで、ひと夏の熱い恋を嘆き悲しむセンチメンタルなラブソング。
私も、その昔、其のような経験があったよな、と振り返ってみる。
若い頃って、身体も心も柔軟性に富んでいるせいか、傷つくことを恐れぬ強さがあったように思う。
今は、老いてきたのだろうか、心が硬化症。
傷ついたり、我を失うのが恐ろしくて、ひとりでいる心地よさを選んでしまう。どんどんと柔軟性がなくなってゆく自分を実感しつつ、これが歳を重ねるってことなのかな、などと悲しく思うのだ。
そういう事をふと考えることができるのも、此の作品のおかげなのだろう。
2番目のサビの部分は、何度踊っても泣きそうになる自分が可笑しい。
「すすり泣く、自分の声で目が覚めるの。あなたを失ってから。」
本当に素敵な歌だ。
実際の私は、自分のすすり泣きの声で目覚めるどこか、アラーム最大音量であっても爆睡する愚鈍さ。ぜんぜんメランコリックなんかじゃあない。


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