Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2006年01月27日(金) お辞儀学習

ひとつの間に、ひとつの動き。

日常、ついつい「ながら」な動きをしてばかりだということに気付く。
何かを話しながらの作業。
歩きながら何かをする。
上着を脱ぎながらの挨拶や、背中を向けながらの返事。

本来、日本の動作は全て美しい。
だから日本の伝統芸能は「芸術」として未だ息衝くのだろう。

まずは荷物を置き、師匠に向かって正座をする。
師匠が目線をくれるのを待って、「おはようございます」と言い、次に手をつき、頭を下げる。
下げた状態で3秒は呼吸をとる。
そこから、ゆっくりと胸をあげる。

単なる挨拶であっても、ひとつひとつの動作に心をこめ、丁寧に順をおってゆく。端折ることも、曖昧なこともない。簡潔な動作だ。

ダンスの複雑な振りも、結局は此れなのだと。

ひとつひとつは驚くほどシンプルだ。
基本的な単純なものだ。
それをスムーズに、然も、ひとつひとつを折り目正しくきちんと行う。
何度も何度も、気が遠くなる程繰り返すと、其れが身体に染込む。
身体に馴染めば、ぎこちなさはなくなり、流れの美しさが出てくる。

最近、稽古でお辞儀の仕方が悪いと叱られることがなくなった。
ようやく1年近くかかって、日本人として「正しく美しいお辞儀」ができるようになったのかもしれない。
お辞儀ひとつに1年ちかく。シェネやピルエットを1年程度でやってしまうMDSの皆さんのほうが何倍も凄いのだと思う。

日本の伝統的な動作には、どうやらひとつひとつ、理にかなったものであるらしい。
今日は、何故床に座る時に右足をひいて座り、立ち上がる時に左足をたててから立つのか、「理」を知ることができた。
其れだけでも儲け物。なるほど!と感動した程だ。
我々の先祖は賢く、シンプルにセンス良く日々を過ごしていたのだ。憧れる。そして、その文化や習慣を此のようにして引き継げることの喜びは大きい。今更ながら、日本人に生まれたことを心の底から嬉しく思うのだ。


2006年01月26日(木) 酵素効果

ゲルマニウム2回戦目にて、殆ど虜。

本日は酵素風呂を先にトライしてからゲルマへ。
大鋸屑の箱に埋められると、まるで己が幼虫にでもなったかのよう。
しかし、熱い。低温火傷するんでは?と不安さえ。
たった15分とはいっても、後半はほぼ拷問のようなもの。
酵素の効果も驚く。スベスベ&ツヤツヤです。有難い。

その後ゲルマでは前回以上の発汗に衝撃を覚える。
気持ち良いったらありゃしない。終わったあとの脱力感も快感になる。

また来週の愉しみだ。

休みの日の時の過ぎるのが俊速。


2006年01月25日(水) 大人気分

待ち続けていたアルバムのリリース。
期待を裏切らない。故に更なる信頼を寄せる。更に親愛を深める。

創造の神様というものは、常に特別な人のみ思し召すのだろう。
進歩を遂げる者は、何処までも其の歩みを緩めることはないのだと。

ふと立ち止まり、果たして己は如何なものなのか。自分の創るものは何が宿っているのだろう。単なる凡才にて悪足掻きにしか留まらず。
其れを憧れるだけでも烏滸がましい。

何時になれば『大人』になれるのだらう

貰えるだけの影響を身に余すのみ。
かうして、ひとつ、何かが変わる。
外身は刻々と時を経てゆくのに、中身は未発達の侭。
老い耄れたくないが、成長は遂げたいのだ。大人に憧れるのだ。

***

美しいと思うもの。
最近になって気付いた。
日本の文化、歴史、そして言葉。
昔から気付いていた、苦手なものは日本語。
身体の中の何処かで、日本語が美しく近寄り難いものに感じていたのだろうか。構え過ぎなのか。
口にする言葉も、文字にする言葉も、ひとつひとつ綺麗に綴れるようになればと思う。
想いは言葉になる。イメージは言葉にならないと説明がつかない。
表現する媒体は最初に言葉だ。
舞踊には言葉が存在しないと言われる。併し、聞こえないだけで、感じる言葉が在るからこそムーブメントが成り立つ。言葉が全く存在しない舞踊など、矛盾でしかない。
腹筋以上に言葉を鍛えねばならぬまい。
然う言う意味においても、東京事変のライナーノーツは最高のテキスト。有難い。珠玉の言の葉。


2006年01月19日(木) 本末転倒豆乳クリーム饅!

生まれて初めての「ゲルマニウム温浴」を試した。

5分で激しく発汗。
代謝が良いのだろうか。
予想以上の効果に吃驚。

10分にて干涸びる手前。
水分補給にてやりすごす。

20分終了。
湯に浸けていた腕と足が途中から真っ赤。
背中からダラダラと汗が滴り落ちる。なかなかの爽快感!

これでたったの千円とは。間違いなく行きつけになるだろう。
次は酵素風呂も試したい。

ほんの僅かな時間でも、こうして気分転換ができるのは良い。
然も、たった20分で600カロリーも消費できるなんて、願ったり叶ったり。大変有難い。

此の後、頼まれた書類コピーのために立ち寄ったコンビニで立ち読みするA子と図ったかのような逢瀬。彼女とともに130カロリーの「豆乳クリームまん」にて消費したカロリーの一部を補充。意味ないじゃん!


2006年01月16日(月) 覚醒ドラマ

生まれて初めての裁判所。傍聴席。被告としての立場。自分の代理人弁護士と証人。

誰が、如何して、自分が此のような渦の中に突き落とされることを予想できるのだろうか。

神様は、その人が乗り越えることができる苦難をお与えになると云う。

ハタシテ、私は、其所までに強靭な人間なのだろうか。

自分ほど、脆く、あやふやで、根拠のない人間などないと思う。神の買い被りだと思う。「強くありたい」と思うことが、このような苦難を投げかけてくる元凶なのだろうか。疑問ばかりだ。

ひとつ。オトナになった、そんな不可思議な、感覚に襲われる。

誰もが味わうことではない経験。多分、私の今後の人生においても、二度とないのではないかと思う、貴重な経験。全てが初めてで、全てが不明解で。
しかし、何処か、遠いところで、自分がこの境遇を醒めて視ている。然も、興味津々な視線で。

ブラウン管の中の、退屈なドラマのシーン其のもの。何度となく見た、いろんなドラマの在り来たりの情景。古い、安っぽい刑事ドラマのワンシーン。
傍聴席にいる私はカメラなのだろうか。実感が湧かない。

傍聴席の硬い椅子に背筋を伸ばし、このひとつひとつの出来事を漏らさず全て自分自身に記憶しようと意識を集中させる。

何度となく、沸き上る感情の波に流されそうになりながらも、頭の片隅では「何があっても明日は來るのだ」とテロップが流れ、知らず強く握った手の中に爪が深く食い込む感触を覚える。

次に自分の尋問の番が来た時に、冷静さを失わぬよう、今から心を鍛えるしかないのだろう。

法廷は、嘘吐きの居所だ。

法律は弱きにとどめを刺す凶器。
信じるべきは、唯、自分ひとり。


2006年01月13日(金) 六年生の足手纏い

常磐津『汐汲み』の稽古が進む。

これほどまでに振り覚えが悪く、身体が思うように動かぬ己を疎ましく思う以外ない。
まるで、記憶喪失かのように、スッパリと抜け落ちている振り。
細かな部分が曖昧というよりも、自分が何処へ向けば良いのか、次に何をすれば良いのか、何もわかっていないのだ。
右へオロオロ。左へヨロヨロ。

今日の稽古では師匠も諦めたかのような素振り。
派手に間違えていようと、視界にさえも入っていない。
それが少しの安堵と少しの焦燥感が入り交じる奇妙な感覚。

確かに稽古途中に師匠が口にしたように、私はまだ踊り始めて半年少し。隣で踊るSさんは既に6年目だ。
小学校1年生が目一杯背伸びをしたところの、鶴亀算の意味さえも不明どころか、ランドセルさえアンバランス、そういう事だ。五頭身のうちは、どんなに背伸びをしたって限界があるというものだ。
身の程知らずとは此のようなことを言うのだ。
六年生の教室の一角に座り、授業を参加するだけでも十分。そう思えば少し気も軽くなる。
足手纏いにならぬよう。


2006年01月11日(水) 徒然日記

完全に遅ればせになっていたホームページをどうにか更新。
調子づいて(とは言え、前からやろうと思いつつ、なかなか手がつかなかった)indexページ(トップページ)の画像なども作成。
先日のshowcaseの写真を多用。肖像権無視。陳謝。

何が困ったって、自分の写真が少な過ぎて使えないの。あっても不細工すぎて使えないの。
他の画像を見る限り、メンバーの写真写りは大変美しいわけなのだから、フォトグラファーの腕が悪いわけではない。
云うまでもない事実。

ホームページを更新するたびに思う、些細なこと。
時には何らかのレスポンスやリアクションがあれば、、、と。
何もないと「誰もこのホームページを見ていないのか」と妙に不安になってくるのだ。
悪戯心も手伝って、何のリアクションもない場合は「封印して欲しい衝撃不細工画像」を多用したトップページを作ってやろうかと。
さて、半日かけて作った画像、気に入っていただけたら幸いにて、一声耳に届くことがあればと思う。

年末から2週間ほど、全く休む暇がない。何故か取り乱した毎日が続いている。明日こそは公休と思っていたのも、哀しいかな、家族の都合に振り回されることが先ほど判明し、少々哀しい気分。
貧乏暇無しとは良く云ったものだ。
極寒な毎日が続くけれど、皆様、くれぐれもご自愛のほどを。


2006年01月09日(月) 乞食唱歌

非常に久しぶりに日生劇場へ。
『ベガーズオペラ』を鑑賞。

よく「ダンスの先生だから」という理由だけで「ミュージカルファン」と間違えられることが多いが、正直、私はミュージカルに精通していない。断言する。MDSのメンバーのほうが私の何百倍と詳しい。
では、私が得意とするのは何かというと、舞踊なのである。
好き嫌いは殆どなく、クラシカルなものからモダンなものまで、舞踊であれば何でも節操もなく鑑賞する。

さて、本日の舞台についてだが、昨日が初日の真新しいものであるからして、ネタバレするような野暮なことは書くつもりはない。
チケット完売の作品を拝見できただけでも嬉しい。

しかし、舞台人というのは何ともつまらない。
客席についてはまず、天井を見上げる。
吊られている照明やセットを確認してしまう。
日生のような素晴しく立派な舞台などは、全くもって縁はないだろうに、矢張りそのあたりは職業柄チェックだ。
演し物やキャストを想っての高揚感よりも「へえ〜、この照明ってどんな時に使うんだろ?」とか「緞帳や紗幕はどうするんだ?」とか、其のようなことばかりが気になる。

内容的には、流石の演出、そして構成。
淡々とした内容の中には睡魔が襲う瞬間が何度かあったが、見事な大道具や、舞台転換などに目を見張った。

舞台後、誘ってくれたY子と暫し夕食などをともにして、ダンスの話やら、私の過去のクダラヌ話などを。
出無精な私は、こうして誘われるようなことがないと自分でチケットを手配して舞台を鑑賞することなど滅多にないので感謝する。
本来は、仕事柄、もっともっと色々な舞台を鑑賞すべきなのにと反省。
しかし、流石に舞台というものは、量り知れないパワーや刺激を与えてくれるものだ。

明日からキモチを入れ替えていきたい。


2006年01月01日(日) 新春のご挨拶

新春の喜びを。

昨年中は多くの方々に支えられ、励まされ、過ごすことが出来ました。
今年もまた皆様とともに、心に残る壱年を送りたいと思っています。
何卒、本年も宜しくお付き合いお願い申し上げます。

***

御年賀状、御年賀メール等をくださった皆様、ありがとうございます。
ひとつひとつにお返事を、、、と思っておりますが、なかなか時間の都合がとれずにおります。
年末年始の取り乱した時期のこと。何卒お許しくださいませ。

***

抱負
嵶やかに、丁寧にいちにち、壱日を過ごしたいと所存しております。
自分の在り方、ひととの関わり方、何事をも基礎をかためてゆくことができればと。

***


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