Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2006年02月27日(月) 落日を耳に

東京事変の「落日」を聞きながらの日記執筆。
美しい旋律、選び抜かれた言語は、荒げた心を潤す良薬。

気付けば、明日一日で2月は終わってしまう。
驚くほどの速さだ。

身体と心の整理の為に、トレーニングに行こうとしたらマシン調整のためお休み。
ならば、せめて、ここ数日に溜め込んだ疲れとアルコールを排出しようと酵素風呂にでかけたら予約で一杯。
とことんツイテいない。こういう日もあるのだろう。
最終手段、Chie先生のポップジャズクラスに急遽参加。
何が何でも、身体を調整したかった。

程よく身体を疲れさせたら、次は頭の番。
ホームページの更新作業。

来月のオープンのコンビネーションは、折角今月「荒川静香選手ゴールドメダル獲得記念」として「イナバウアー」の練習をしたので、「トゥーランドット」でも・・・と考えた、というのは嘘だが、ドラマティックなものを踊りたくなって、2年ぶりに「Suger High」を踊ることにした。
本当はうんとスローな曲にしたかったのだが、先月1月がスローだったので我慢。

休日とは云え、作業が多く休む暇無し。
貧乏暇無し。


2006年02月26日(日) 迷走の日々

春の足音が遠くに聞こえてきた此処最近。

何が此処まで雑然とし撒くっているのか、己さえも理解に苦しむ日々。
未だまだ迷走が続く。
ひとつ深く呼吸を採って、物事を簡素にしたいものだ。

前回の日記と同じような愚痴。
何故に、他人は人の心を侵害するのだろう。
其れとも、侵害されるような柔な心だから駄目なのだろうか。

もの凄く些細なことであっても、心が乱される。
何事にも動じることのない、そんな強さが備われば良いのだろうか。

先日、稽古に行く途中。
稽古中、邪魔になる髪をとめるピンを自宅に忘れてきたことに気付いて、慌てて駅ビルの小さなアクセサリー屋に立ち寄った。
ヘアピンを陳列しているのは、左側の小さな一角。
其所には先客。陳列されたヘアピンを手に取り、ゆっくりとショッピングを楽しんでいる20代の女性。身なりも良い。
慌てているにしても、ずうずうしく彼女の前を遮るように手を伸ばし、奥に陳列されているヘアピンを取るのは気が引ける。
せいぜい2〜3物色して、他のコーナーに移動するのだろうと、その女性の隣でヘアピンコーナーが空くのを待つ。
待てども、待てども、なかなかその女性の物色は終わりそうにもない。そこへ、別の女性(ハンディキャップの女性)がやってきて、私の横から割り込み、長々物色している女性の前を腕を伸ばし、目的らしきピンを掴む。
物色女性は其れに気付いても場所を譲るでもなく、飽くなく物色を続ける。それにまずは呆れた。
ハンディキャップの女性が出ていったあと、時間に追われた私も其れに続いて物色女性の横から遠慮なく手を伸ばして、ピンをとろうと思った。
物色女性が場所を譲るのを待っていたら閉店時間になってしまうかもしれない。
手を伸ばそうとした時に、つま先が物色女性の靴に軽くぶつかった。
「痛いな。いいかげんにしろ。」
は?と思わず振り向いたくらいだ。
沸き上る怒りの感情。「そっちこそ、いいかげんにしろ!」と言い返したい気持ちを堪えるのに酷く苦心したほど。

皆さんは、こんな事態の時、どう対処しているのでしょうか。
言い返すべきだったのか。ぶん殴るべきだったのか。
数日経った今でも、とっさの判断ができず、愚鈍に立ちすくんだ自分が情けなく思う。


2006年02月20日(月) 豪雨の道程、稽古の過程

降り荒ぶ豪雨の中、稽古へ。

何れ程頑張ったところで、年々弱りつつある私の記憶媒体。
努力を重ねれば重ねるほどボロが出て、情けなくなる。
毎回のように「降ろしてくれ」と祈るような思いで師匠の前に立つ。

今日は違った。
私の到着を待っていたかのように香盤変更が言い渡された。
過度の緊張より解きほぐされ、肩の荷は降りた。

困ったことは、なかなか全体練習に参加できず、本当に時間を都合できないという部分だ。
此処で、ようやく、MDSのメンバーが何れくらい大変な思いをしながら仕事とダンスの二足草鞋をしているのか、身に滲みてわかる。
ひとつ理解を深めた気がする。


何故、この世には、他人の嫌悪感を煽って平然としている人間がいるのだろうか。其所に悪意がないと云うのだろうか。
どの角度から見たところの、他人を感情的にさせること自体が「悪意」としか思えない。
なかには、常時、感情的に居ることが快適だという人もいるのだろうか。
私の常識においては、ひとは常に、平穏と安息を求めるものであると云うのに。
少なくとも、私は争いは好まない。
いっそのこと、自己正当化も不要。誤解も時として知らぬ振り。
ほんの一時の自分の荒れる感情を乗り越えることができれば、その先に平穏があるから。
まさに、今晩の豪雨のように。

土砂降りの時は、雨にうたれるが良い。
そのうち晴れ、地は乾くだろうから。
なのに、雨にうたれる私に、此れ以上、バケツの水はぶっかけないで欲しい。
自分のコントロールを失わず、明日を迎えたい。

悪意をもつ侵害者は其所此処に居る。
そう、直ぐ其所、電車で隣り合う人さえも、その侵害者成り得る。
自分を害悪から守る術を身に付けたい。

何も難しいことではない。
単純に、静かな明日が好きだから。
乱されることない強さを得たいだけ。


2006年02月17日(金) 渡米準備の兆し

ほぼ1年以上ぶりに米国に住む親友に国際電話を入れる。

思春期以上に変動の激しい年頃の私達。
数カ月連絡をとらねば、想像以上もの出来事が勃発し、互いに近況を説明することさえも回り諄く思う程。
「便りがないのは元気な証拠」とも云うが。

まるで初恋の人の処へ生まれて初めて電話をかけるかのような動悸に苛まれながらも、遠くに聞こえる呼び出し音を数える。

20年にもなる付き合い。
離れていようと、十代の頃のように日々共に時を過ごすことがなくとも、何処かで確実に繋がっている何かが在る。

ほぼ1年近く使っていなかった私の言語は錆付き、簡単な事情の説明さえも手間取る。

何てことはない。
先日までマンハッタンに住んでいたかのように、普通に会話が始まる。
「結婚した?」
「誰と?そういう貴女は?」
「するわけないじゃん!」
「じゃ、連絡くらいしたっていいじゃない!」
「したら連絡するに決まってるじゃない!」
「それもそうか」
「そうでしょ」
長年の漫才の相方のようだ。リズムが心地よい。(「貴女」という単語は直訳しますと「bit○h」という言葉になります。日本語って綺麗ですね。)

数カ月後、彼女に会えると思うと、今から落ち着かない。
待ち遠しくて堪らない。

たった数十分の会話だったけれど、彼女の声のトーン、聞き慣れたフレーズが私にこんなに元気を与えてくれるとは。
持つべきは、大切な友達。


2006年02月09日(木) 徒然日記

本人尋問に向けての準備に日々追われる。
弁護士事務所通いに、資料作り、打ち合わせ。
大人の『喧嘩ゲーム』はなかなか大変だ。

勝ち負けの結果より、この経過で得た、貴重な経験が大切だと思う。何時の日か、この経験が役立つことだろう。

負惜しみを云うのではない。
何事に於いても、私は「結果主義」ではない「経過主義」。
人を育むのは結果ではなく経過で、結果は単に経過についてくるエピローグみたいなものだ。
どのような舞台であれ、映画であれ、小説や、音楽であっても、エピローグやサビやコーダだけでは何事にも成り得ない。

どんなに辛いことがあったとしても、それは、ひとつの経緯として受け止める。それだけの強さを身に付けたい。

***

憂いで居ても、物事はなるようになる。
レッスンのない日は、兎角、余計なことを考えがちだ。
僅かな時間でも無駄にするものかと、分刻みのスケジュール。

心が弱ってくる時は、必ず身体も弱ってくる。
自分を見つめ直し、冷静さを取り戻すために鍛えに行く。
只管に無心になってマシンと向かい合って力技を出し続けるのは、脳を使わずにいられる心地よさ。
程良い疲労を作成したら、次にはお決まりの酵素風呂にゲルマで、溜め込んだ疲労物質を吐き出す作業。

ご近所A子とこれまた不意の遭遇。予想はしていたが。
汗を放出したあとの供給に暫し付き合ってもらう。
フルスピードでDVDを返却しに自転車を走らせ、自宅に戻ったら、これまたご近所Dから電話&メール。
お誘いがあるのは嬉しいことだ。

横浜に住む親友から、本人尋問に付き添いたいとの申し出。
心より嬉しく思う。支えが欲しいと思うとき、不安が一杯のとき、気付けば側にいてくれる。彼女が結婚し、出産し、一児の母になってしまった今、然程の自由があるわけでもなし。だからこそ、其のような優しい心を感じることができるだけで勇気が湧く。
大人の醜い争いごとを、育児中の彼女に曝したくない。何処かで彼女の自慢の親友で居続けたいという企みがあるのだろう。
気持ちだけ受け取り、遠方で祈っていてもらうように頼んだ。

何事があったとして、死ぬほどのことではない。
そう思えば、乗り越えられる。人生は二度とない。だから、前向きに生きるだけだ。今日を今を大切に生き、明日を夢で満たしたい。


2006年02月05日(日) 摩天楼への誘い文句

来週、本人尋問を受け、裁判、第一審は一段落。
まるで死刑囚のような、重苦しい日々にも一応は収束する。
一段落したら、深呼吸をしに里帰りをしたいのだ。

東京生まれの東京育ちが?と思う方も居ろうものだろうが、私は青春の一時期を米国ニューヨーク州で過ごしていて、今でも友人がいたりする。
私にとっては第二の故郷だ。

さて、かねてから、機会があれば「一緒にNYへ行ってみたい」と思う人たちもいたようで。

そりゃ面白いと思う。
過去にも何度もNY合宿旅行を企画したが、どの回も記憶に鮮明に残る旅になっている。
発表会や飲み会と同様で、参加者がひとりでも多ければ、其の分愉しみを分かち合う仲間が増える。つまり、人が多ければ多いほど、愉しみも膨らむというものだ。

当然ながら、私の里帰りの内容は「ダンス研修」であり「買い出しツアー」「食い倒れツアー」の3本立てだ。
ダンスについては、現地で本場ブロードウェイのレッスンを受けることと、ミュージカルやオフブロードウェイのパフォーマンスを見たり、ダンス用品を買いあさったり。
単に買い出しや食い倒れならば、他の気の合う友達と旅行したほうが良いのだろう。
何より、もとツアコンにてもとNY在住だった私がツアーメイトなのだから、愉しくないわけはない。アパートメントホテルを借りて、合宿なのだから、愉しくないわけはない。そして、程よく放置プレイとなるわけで、愉しくないわけはないのだ。珍道中、お好きな方だったら垂涎もの。
ひとりじゃなかなか実現できないような本場NYダンスレッスンだって、一緒に行けば怖いことはないわけで、此れは類い稀なチャンスだ。

この企画、秘密裏にてやっているわけではない。
今日のレッスンで某Kちゃんが「Yちゃん誘ってあげてください。誘われてないし、、、って言ってましたから。」と。仲間外れを作るつもりは毛頭なかったので、ここで大大的に公言しておきましょう。
一緒に行きたい人、有給ゲット、旅資金ゲットして、「私行く〜!」とメールでも何でも参加表明してください。
時期は4月初旬。期間は8日程度。まだまだ企画段階なので「こういう条件にならない?」などの交渉にも応じましょう。

さて、今日から職場では有給目当てで「よゐこ」でお仕事ですぞ。
旅行資金稼ぐため、残業休日出勤頑張りましょう。


2006年02月02日(木) 奇数から偶数へ

決して誕生日ではないのです。
意味不明の画像に思えた人も多いのだろう。

20年近く続けていた奇数の人生を、この月曜日、偶数に変えたのです。
ピアスの穴の数。
今日、1ダースに到達。

20年ぶりくらいでピアッシング(穴開け)をしたのだが、「えっ?こんなもんだったっけ?」と思う程の呆気無さだった。
しかし、左耳上部「ヘリッジ」という名前の付く箇所、詰まりは「軟骨」の部分は別。
ピアスの軸の太さも違うのだし。

MDSはピアスヴァージンのメンバーが多い。
如何様な育ちのメンバーが集っているのかが分かる。
さぞかし大切に育てられたのだろう。

今回の穴開け行為に付き合ってくれたのはカナコ。
彼女もピアスヴァージンのひとりだ。
以前、立ち寄ったアクセサリーショップでピアスを見ながら「ピアス開けてみたいんだ」と言っていたのを覚えていたので、彼女が休みをとった月曜に「一緒に行く?」と誘ってみた。

カナコ初めてピアッシングをするわけで、ちょいとばかり責任を感じ、私独りならばピアッシングスタジオなどで適当に開けてしまうのだが、今回は皮膚科へ赴いた。
下手なところへ行き、アレルギーになったり、炎症を起こしてしまったら嫌だ。

問診票に記入をし、ファーストピアス(開けたばかりの穴を固定するための軸となっているピアスで、これを穴が安定するまでの1ヶ月ほどつけたままにする)を選び、待ち合い室で待つ。
カナコが先に呼ばれる。
専用のペンが渡され「ピアスを開けたいところにマークを付けてください。」と。初めての彼女は「えーーーーっ、わかんないよぅ。」とペンを手に廊下で待つ私のもとに。
「どの辺りに開けたいとかってないの?」と言うと「普通に!」という曖昧な答が。如何にも普通っぽい部分にマークを付けてあげる。
彼女のピアスホールは私が決めた、そう思うと何だか不思議だ。
暫くして、輝くファーストピアスを耳朶に、カナコが戻ってきた。
次は私の番。
まずは今まで一番下にあったメインのホールの下に、もうひとつづつホールを。キャッチ(ピアスのうらの留め金)がぶつからないギリギリの位置に。
耳朶から真珠が零れ落ちそうな形にしたかった。
最後に軟骨。

全て開けた私の耳を見ながら、カナコが「私ももうひとつ開けても良かったかも」と。
彼女の耳が私の其れに近付くのも時間の問題なのだろうか。


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