Dance日記帳
モクジ|キノウ|ヨクジツ
驚愕するほどの過酷な週末を乗り切る。
気付いてみたら、今現在、もう8月になってしまった。 発表会参加者の締め切りが過ぎた。 さて、どれくらいの人が集まって、どういう構成になっているのだろうか。 楽しみなような、怖いような。
何事に於いても、その物事を先ずは楽しもうという心意気が大切だ。
既にこの時点で、制作であるカナコ先生が体調不良でダウンをしてしまっているあたりから、蛇行運転の面白い道のりになるような予感がする。 仲間がいれば、途中で挫けそうになっても、壁にブチ当たったとしても、支えあい、励ましあい、道中を進んでいけるものだ。
映画「スイングガールズ」や「シャルウィダンス」、最近では「リンダ リンダ リンダ」のような青春モノが、発表会制作の裏側では実際にある。 映画やドラマより、事実のほうが何倍も面白い。 参加者ひとりひとり、それぞれが「主役」なのだから。 社会人として、責任ある立場で仕事をこなしながら、週末はダンサーとしてリハーサルをする。 もう、それだけで十分ドラマチックだ。 ワクワクしてくる。 誰が参加表明をしたか、まだハッキリはわかっていませんが、発表会メンバーの皆さん、一緒に3ヶ月、楽しんでいきましょうね!
土用丑の日。
皆様はうなぎを召し上がりましたか? 私は、ほんのキモチですが「うな玉丼」なるものを食しました。
これで夏バテ知らずね。 (↑夏バテしたことないじゃない、というツッコミは厳禁です。)
本格的に夏になってきた、此処最近。 仕合わせを感じるモノは、かき氷、冷中華、すいかに水蜜桃、そして夕立ち。
月末は忙しいもので、素っ気なくてゴメン>愛読者の皆様
それは午前11時すぎ。 突然母が私の部屋にやってきて「おかしいのよ!変なの!」と言う。 何がおかしいのか。 どうも年寄は主語だとかが抜けたうえに、代名詞ばかりで、話の筋がつかめない。 しかも、動揺していたりすると尚更、意味不明だ。
よく聞くと、どうも自宅に警察から電話がかかってきて、父が出たらしく、内容は弟が電車で痴漢行為をはたらきつかまっているとのことらしい。
「なーんだ、オレオレ詐欺じゃない」
即座に弟の携帯に電話を入れてみる。 数回のコールのあとに弟が出る。 「どうしたの?」 いつもと一緒。 「今、どこ?どこにいるの?」 「へ?会社だよ?何?」 「あそう。じゃ、いいよ。警察とかじゃないよね?」 「はあ?警察?何それ?」 「後でまた電話するわ。じゃっ!」
母に、弟が電話にでて普通に会社にいて、普通に仕事していると伝えると、今にも泣き出さんばかりの表情。
電話でやりとりしている父にメモで「オレオレ詐欺。弟は会社にいる。連絡ついた。その相手の連絡先や口座番号を聞き出してメモってください。警察に連絡します。」と知らせる。 オロオロしていた父が、そのメモを見て、泣きそうな顔になった。
年老いた親というものは脆いものだ。僅かな嘘でも、わが子のことになれば真実を見抜けなくなるのだろうか。
「そんなこと、たとえ冤罪だろうとウチの弟がやるわけないじゃない!信じないでよ。弟に悪いでしょう〜」という私に、父が状況説明をする。
その手口は実に巧妙。 最初は「これは詐欺だろう」と思っていた父も、電話口に弟そっくりの声色の人が出て、狼狽えた様子で「どうしよう、、、、、」と言っているのを耳にしてしまったら、頭の中が真っ白になって信じてしまったらしい。 事情聴取で得た情報という弟の会社のことや、家族構成、あれやこれや、全てが「これは本当で、詐欺じゃないんですよ!」という裏付けに聞こえるようだ。 しかも、電話を切ろうとしても、こっちから質問しようとしても、上手に立ち回るらしく、こちらの思い通りにはならなかったとのこと。
私がいなかったら、間違いなく銀行に示談金を払いにダッシュしていたと父は言う。
ちなみに、ウチの両親は、わりと猜疑心たっぷりの人たちだ。 そう安々と詐欺に合うタイプとは思えない。セールスにも厳しい対応をするような人たちなのだ。 それに、なんたって狡猾な娘がいつだって、いろいろ嘘言ったりして、お小遣いを長年せびり取っているわけだから。 (よくやったなぁ、泣き顔で「お財布落としちゃったの」っていう奴。大学生の頃には通用しなくなっていたが。最大の嘘はNYに家出した時に「留学を許してくれなきゃビザ切れしてもパスポート捨ててこっちに居ます。違法滞在します!」というやつだったな。それにしても最悪の娘だ。) 以前、こういう詐欺の話をテレビで特集していた時に話し合ったことがあったが、まずひっかかるわけはないと高を括っていた。
母は、まだ半信半偽の様子。 もう一度弟に電話をする。 「もしもし?」 「なに?お姉ちゃん。どうしたわけ?」 「いやー。キミ、痴漢で新宿駅の鉄道警察詰め所にいることになっているよ。思い当たる?」 「はああ?何ふざけてんの?」 「オレオレ詐欺よ。父母ともにモロひっかかるところだった!」 「はああああ?何それ?」 「ま、母上、結構動揺しているようだから、ちょっと話してやって。」 母は、弟の声を携帯で聞いて、安心したようで、その場でしゃがみ込んでしまった。
皆さんも「ウチは大丈夫!」など思わず、今から家族でいざという時の暗号を決めたり、ルールを設定するほうがいいでしょう。
詐欺未遂とは言え、精神的なダメージは年老いた両親には結構堪えたようだ。可哀想に、憔悴しきった顔をしていた。 詐欺のターゲットになったということ自体が、かなりショックだったのだろう。
週末を乗り越え、どうにか休日の月曜。
とは言え、洗濯を始めとして、やらねばならぬことが山積み。 そのような状況でありながらも、週末の疲れから抜け出せないのか、情けないほど自堕落な一日。 真面目に反省して、次の休みは有意義に過ごそうと心に決める。
日記を綴る明け方の東京は台風のため大雨。 カーテンを引いた窓に、雨のあたる音が小気味良い。
しかし、何だろう。 前回は地震、そして、今度は台風。 オープンクラスのレッスンは呪われているのだろうか。 台風だろうとレッスンはやります。 誰も来ないかもしれないけれど。
月末になると憂鬱になる。 次の月に踊る作品を何にするか。 その作業が苦痛だ。 良い楽曲が見つかれば楽しめる作業なのだが、楽曲に巡り会わない時は地獄だ。 そして、正に、今、地獄に堕ちようとしている。 現実逃避でamazonにて「Chris Botti」などを購入してしまう。
普段、PCが立ち上がっている限り、ネットラジオを流したままにしている。 流れてくる楽曲に心トキメク時は直ぐに曲名やアーティストがわかるというのもありがたいし、私好み、それもストライクゾーンのステーションがあるからだ。
私のお気に入りは「Smooth Jazz」「Smooth Lounge」だが、最近「Soulful Smooth Jazz」という抜群に良いステーションが出来た。 居心地の良い曲ばかりが流れる。 その中で「Chris Botti」がたまたま流れていた。 名曲「The look of love」のアレンジ。 もともと好きな、この曲のアレンジ。 トランペットの音色が、悶えるくらい、艶っぽくて、切なくて。 思わずネットでオーダー。
「あーあ、それどころじゃなくて、来月の楽曲でしょう!」 と自分にツッコミながらも、今からCDが届くのが楽しみでならない。 早くあのトランペットが聴きたい。
さて、来月は何を踊ろうか。
兎に角多忙過ぎる週末をどうにか乗り切った。
木曜は、ほぼ半日以上を弁護士事務所で過ごし、電話にて無理矢理「診療時間間に合わないけど助けて〜!」と頼み込み整体へ駆け込む。
金曜は稽古へ。土曜の盆踊りの準備もあり、早めに稽古へ出る。 しかも、徹底的に扱かれ、半ば虐待かと疑う具合。周囲の心配が空気で伝わってくるほどに集中砲火を浴びて絶命寸前。 ヨレヨレになりつつも、友人との約束があったので、その足、その浴衣姿のまま土曜の朝まで過ごす。 本当はほんの少しだけ積もる話をしましょうという約束だったのだが、何故か久しぶりに逢ったからか話が尽きることなく気付けば朝日。 珍しく一滴もアルコールは身体に入れず(やはり踊り関係のイベントなど、人前で踊らないとならないスケジュールがある時は体調管理のためにアルコールは摂取できない)健全なオール。
いくつか人生の中で「そうだったのか!」と新たに学んだことがあるので日記に記しておく。 ひとつ、男性は女性のツルツルの脇の下に感動する ひとつ、男性は女性と同じく脇の無駄毛の処理をする 異性とは興味深いものである。
土曜。朝から練馬にて盆踊りの準備。 弟子が集まるのだから、凄い状態だ。(ブログにて写真を公開予定) 下は幼稚園生から、上は昭和一桁。 若手新参の弟子たちは、朝からかり出されて、テントの準備だとか、荷物運びだとかジャージでガンガン働く。 踊りの世界というものは、兎角「体育会系」。 先輩が言うことに背いてはならない。 「これ運んで!」「はいっ!!」 「ちがう!こっちよ!!」「はいっ!!」 「それも持ってきて!」「はいっ!!!!」 体育大学出身ですもの。余裕で御座います。多少の矛盾だとか不公平だとか理不尽なんて当たり前。
準備がほぼ終わりに近付き、「もうすぐお弁当の時間だわ♪」とワクワクしはじめた時に「テントの中に入れ!」「キャーッ!!」という騒ぎ。 何事かと思えば地震。師匠に言われなければ気付かなかった。 「結構揺れたねぇ」「震度いくつかねぇ」などと年配の先輩とお喋りしつつ、のほほんと稽古場に戻り、遅い昼飯。 当然これも体育会系。先輩が箸をとってからじゃなければ新参は弁当の蓋も開けられっこない。 弁当をスーパースピードで食べたら、先輩の分もお茶をいれ、ゴミを集める。 次に浴衣をササッと着込んで、会場入り。 さっきまでジャージやらジーパン姿だったヒトたちが、突然粋な浴衣姿に変身する様は驚くほど鮮やかだ。 年配の先輩たちの手際の良い着付けにも目が釘付け。 シャッシャッと小気味良い音とともに、サラッと帯を結ぶ動作そのものが美しい。
会場に到着すると、MIE先生から「電車動かないんですー!レッスンに間に合いそうにないです!!!!」と慌てた電話。 そこで初めて今回の地震って結構大きかったんだと驚く。
盆踊りスタート。 練馬の盆踊りが凄く盛り上がるということを初めて知った。 常連とも思う人が櫓の下でガンガン踊っていて「古来日本式ストリートダンス」とでも言うのだろうか。 私たち練習生は全員基本的に櫓に乗って、全曲の見本をしないとならない。 古参の先輩がたは下で和気藹々と楽しんでいる。それがまた、日舞をやってきている方の踊り方は、たかが盆踊りとは言え、凄くカッコイイのだ。 手先とか、足先がぴしっと決まるし、動きは柔らかいし。 櫓から師匠や古参の先輩方の踊りを眺めることができたのも良い経験。
櫓チームは、互いに踊りながらチラチラ目線飛ばしたりしつつ、本当に真剣に踊っている。元祖お立ち台だもの、気合い入れて踊るしかない。
途中、僅かな休憩があり、アイスの差し入れがあったりして、気付けば「ちょっと怖そう」と思っていた先輩たちとの距離も僅かに縮まった。 「脚辛くない?」とか「焼き鳥の匂い、たまらないねぇ」などとくだらない会話があったり、歳の近い先輩たちとは小学生のようにアイスバー(ガリガリくん)の回し食いをしたり(ソーダとヨーグルトとコーラのフレーバーがあったので)、子供の帯の結びをなおしてあげたり。 このようなイベントや催しものがなければ、ここまで打ち解けるようなことはなかったことだろう。
こんな思いもあり、ふと今週には申し込み期限が終わるMDSの発表会のことを考えた。 こういうイベントごとは、やはり、今後のレッスンの楽しみを大きくさせるものだと思う。 準備期間が短くても、然程濃い内容でなかったとしても、普段とは違ったシュチュエーションで「踊る」ことは最大の刺激だし、人と人との距離を縮めることになる。 悩んでいる人は、とりあえずチャレンジするほうが絶対良いのだろうとは思う。
今回、オープンクラスのレッスンをお休みさせていただいてまで、日舞の催しものに参加して、凄く良かったと思う。 貴重な経験は沢山あったし、人との繋がりを持てたような気がする。 其れ也に大変では在ったが、苦労以上の収穫が確実にあった。 疲れたけれど、確実に楽しかった。 先ずは、来年まで「炭坑節」と「大東京音頭」と「しあわせ音頭」は忘れずにいたい。
ブログは写真つきで更新中。
こっち(日記)は画像がアップできないので、、、ごめんなさい。
諸事情により、日記サボリ中。
諸事情←公判関係により、弁護士事務所行ったり来たりのハードな日々。
今度は、どうやら「普通の消耗ではなく、ダンスで過剰に室内が消耗している」という言いがかりをつけてきやがった。(消耗するような内装って私が全部自費でやっているんですけど?) ああいえばこういう。 腹立ちを通り越して、早く天罰がくだれば良いと冷ややかな笑みさえ漏れるくらいだ。
罪を犯しても、真実に背いても、恥じらいもなく、堂々としていられるというのは、いったいどういう精神構造になっているのだろうか。 多分、いや、絶対、私には一生解り得ない。
ついに梅雨明けとなりました。 既に熱射病での死者が出ている模様。 兎に角夏が苦手な私にとっては辛い知らせで御座います。
--*----*----*----*----*----*-- 今日はオフ。 通常通りの掃除に洗濯。 1週間分の必需品を買い出しに行ったりして、其れ也に。 しかし、今日は全日本女子バレーの最終日。対中国戦だ。 以前よりしっかりと予定に組まれている。本日のメインイベント。
そもそも私は中学生の頃からのバレーファン。 球技が下手糞なくせに、年に一度の球技大会では迷わずバレーを選び、バレー部の友達にコーチしてもらった想い出も。 朝練、昼練と頑張った。(放課後は本当の部活があったので、、、バレー部を横目で見ながら練習していたなぁ)
柳本ジャパンは、久々に熱中できるチーム構成。 とにかく、ひとりひとりの選手のキャラが素晴しい。 そして、チームとしての風合が堪らなく良い。空気感というか、ムードというか。彼女たちだからこそ作れた「輪」のようなもの。 ひとりでも欠けてしまったら、魅力は失われてしまう。 だから、今回のリーグ戦は一戦たりとも見逃さないように全てDVD録画。
チームプレーというものは、ダンスにも繋がるものなので、どこかダブらせながら見ている部分もある。 何度もステージを作ってきたけれど、全く同じメンバーで同じような舞台をやることなど一度もない。 その時に集まったメンバーと、その時に踊ったものは、その時だけのものだから貴重だし、心に残るのだ。だからこそ、本番には「これでお別れなのだ」という気持ちが募って、気合いがはいる。 極端な言い方をすれば「人生の縮図」とでも言えるのだと思う。 二度と同じ時間は戻らないし、花咲く時は瞬く間に過ぎ去る。一緒に過ごした仲間との時間や想い出も、気付く頃には過去のものになっていて、同じ思いを望んだところで、決して戻ることはないのだ。
もし、大友選手が全日本に戻ってくることがなかったら、今回のような魅力的な雰囲気のチームが成り立ったかどうか。 それは、当然他の選手がそこに存在していたかどうかも同等に問われる。 誰ひとり欠けても、其れには成らなかったのだ。 その場にいたひとりひとりには、それぞれのヒストリーとバックグラウンドがある。それぞれに苦行を乗り越え、チャンスを掴んで、そして集まった。 あと数年生まれるのが遅かったり、早かったりしたら。 もし怪我や病気をしてしまっていたら。 ほんの小さな理由ひとつで、もしかしたら、その場にはいられなかったかもしれないのだ。 考えれば、全てがミラクルだ。 同じ時代に生まれ、同じものを好きになり、違った場所に存在しながらも、各々に成長し、実力をつけ、ひとつの舞台のために集まった選ばれし者たち。其所には、単に「運」として選ばれたわけではなく、自力で選ばれるように進んで来たという真実がある。 もし、柳本監督が大友に「戻ってこい」と言ったところで、彼女が本当にバレーをやりたくないと心に決め、それが揺るぎないものであったのならば、いくら選ばれていたとしても、あの舞台には乗らなかっただろう。 私たちはテレビの中で可憐にスパイクを撃つ彼女を見ることは一切望めなかったのだ。
ここでひとつ言っておこうと思う。 発表会に出ようかどうしようか悩んでいる人がいるのならば、自ら「選ばれた者」になるチャンスを捨てるようなことをしたら勿体無いと言いたい。 悩むまでもなく、経済的に、時間的に、仕事的に「最初から参加は不可能」という人が多いのだ。だから、悩める、つまり、選ぶことができるだけ恵まれているということだ。
ちょっと意地悪な私は、悩んでいる人には「いいのよ、発表会は強制じゃないから出る必要はないんだし」と言いたかったりする。 そして、本番のステージを見てもらって「あの時出るって決めれば良かった!」と後悔する様子を見たいという気持ちがあったりもするのだ。 私に背中を押してもらわないと決断できないという人もいるだろう。 しかし、私は悩む人の背中を押すつもりは一切ない。 自分の意志で決めない限り、本当に楽しめるものではないからだ。 「本当はどっちにしようか悩んでいたんだけれど、先生が「出たら」って言ってくれたので決めた」じゃダメなのだ。 人生の中で、たった3ヶ月だが、ダンスにどっぷり浸かる時があっても良いだろう。しかし、それが来年、または3年後などに機会を得ることができるかどうかは誰にもわからないのだ。 チャンスの女神には前髪しかない。 来年再来年に発表会を企画できるかどうかわからない。だから、今年やろうと私も心に決めた。(だって、私だって女の子だもん、来年は結婚しちゃうかもしれないし、妊娠しちゃうかもしれないしー)
兎に角、背中を押してあげることはできないが、「やりたい!」と決心してくれたなら、本番まで全力で引っ張っていってあげる。
話をバレーに戻して。
皆さんもご存じのとおり、ストレートで今回の試合は負けてしまった。 あと2セットは彼女たちの姿を見ていたかったのだが残念。 しかし、バレーのゲームを見て、もの凄い刺激を戴いたし、パワーを分けて貰った。負けそうになっても挫けず、前向きに頑張るということは、結果がどうであっても美しく潔く尊いと思った。 「頑張るのってダサイ」という風潮があるのかもしれないが、私は頑張ることもせず、それがカッコイイとはき違えている奴のほうがダサイと思う。 クールだとか、カッコイイだとかいうものは、さっきテレビで見たバレーのコートの中に溢れていた。 例え狙いが外れたサーブであっても、レシーブできないボールだったとしても、それに固執せず、次のボールを追いかける姿勢の格好良さに惚れ惚れとした。 私も、そんな風に、次のボールを追いかけて、少しばかりは格好良く生きていきたいものだと思うのだ。
全日本女子バレー選手の皆様、お疲れさまでした。そして、有難う御座いました。まずは1ヶ月の辛い日々から解放され、暫くは身体も心も休めてください。 次の活躍、今から楽しみです。 ニッポン★チャチャチャ!
強力な換気扇によるバージョンアップしたスタジオでの週末のレッスンはどうでしたか? 土曜日のオープンクラスでは「結構暑いけど鏡が曇ってない〜!」との声も聞こえました。多少なりとも効力があったようで。
もうすぐ梅雨明け。 本格的な暑い夏になる前に工事が間に合って良かった。
土曜の夜は、気付けば3段呑み。 結果、始発どころか朝8時くらいに電車で帰宅ということになっていた。 朝のスターバックスは、余りにも健康的すぎて、居心地の悪ささえ感じる。 自宅に戻れば、駄犬チョコの非難の態度に参った。すいません、素行が悪くて、、、。
最近会っていなかった仲間たちに久々に会って、あれこれ近況を話したり、うわさ話に興じたり。 呑み仲間だからこそのストレートな会話は一番の刺激。 「酔い」というウェポンは最強だ。 そんな中、「最近会わないから、嫌われたかと思ってたよ」という一言が何故か心に突き刺さった。 そんなつもりなかったのにな。知らぬうちに、誰かを傷つけたりしているんだと思い、結構動揺した。 そして、然程深い付き合いというわけではないというのに、こんな私に少しでも「会いたい」と思ってくれる人が在るんだと仕合わせに思った。 その裏側で、1軒目で呑んでいたカナコ先生から心温まるメールが届いたりして、ささやかながらも心が温まるような週末の夜を過ごさせてもらった。
普段の私のライフスタイルの中にアルコールは必須ではない。(実際自宅では一人で呑むことは滅多にない) が、しかし、こうして仲間と呑むということは大切だと思う。 呑まなければ言えないこと、呑まなければ聴けないことも山ほどあるから。 よく「呑みニケーション」などと言うが、言い得て妙だと思う。 真面目な大人ほど、言い訳ツールとしての「酒」というのは大切なのだろう。
2005年07月15日(金) |
Dynamite in and explode me |
| 待ちに待った『東京事変』のライブDVDが発売された。 勿論、言うまでもなくファンのワタクシは予約買いにて、しっかり発売日には拝見させてもらった。
今回のDVDは2部作。 まずはDynamite inが今月リリース、そして来月はDynamite outがリリースされる。 どうして、購買意欲を駆り立てるようなプロデュースをするかな。 バイト生活の学生じゃなくて良かった。もし、バイトしてたら本当にお財布がesplode(爆破)だ。
そもそも、椎名林檎というアーティストは、両極端な反応を世間から浴びる。 毛嫌いする人と、べた惚れする人。極端なのだ。 かく言う私も、最初は前者。そして、今や後者。 その転換の発端はDVDだった。
近所のTsutayaで音楽DVDを貸し出していて、たまたま振りに彼女の曲を使おうとしていた矢先だったので、勉強がてら最新作を1枚手に取った。振りのイメージ作りに役立つかなぁ、、くらいの程度で。 翌日には、残りのDVDを一気に借りて、一気に観た。
彼女の作風、在り方そのものを好きだと意識した瞬間に「毒に侵された」わけだ。毒の回りは早い。 |
さて、今回のDVDについて。
毎度ながらライブのDVDには、裏舞台が見られる。 これが何よりもの魅力。今回のものも、たっぷりと素顔や、リハーサル風景が見られるのだから堪らない!
そもそも私は、本番の輝かしいものも好きだが、それ以上に、その裏側にある素の部分が好きだ。 つまり本番ライブよりも、そこまでの過程のほうに惹かれる。リハーサルが好きなのだ。 此れは、自分のステージでもそうだし、他の人のステージにおいても言える。素顔に近い状態で、ひとつのものを只管に練習し、完成に近付ける作業というのは何ともストイック。
ダンスのリハーサルは、見るものやるのもいい。 ダンサーたちが、身体を温めたり、振りを思い出すためにフロアをウロウロしたり、汗を散らして踊っている姿を見るのが好きでたまらない。自分が「今日はリハだ!」と普段より早く起きて、リハのために身体がもつ食べ物を選び、ひとつひとつの関節や筋肉が思うままに動いてくれるように時間をかけてストレッチしたりアップをしていく過程もいい。 私は必ず毎回「アップ選曲集」というCDを作って、アップをする時に聞きながらやっている。それは本番直前のアップまで続く。
話を戻して。
今回のDVD。勿論本番のライブは素晴しいけれど、やはり以上のような理由により、楽屋裏やリハーサルスタジオでのオフショットがサイコー。 このDVDの一番の目玉は新曲(まだCDリリースされてませんが)「透明人間」。そして、リハで流れる名曲「ここでキスして。」 ライブで生で聴いた時には全身に鳥肌がたったのを思い出す。 更には、リハの合間で振付けの練習をしている姿などがキュート。 この値段でこんなに楽しませてもらっていいのだろうか、、、、と思うくらいだ。
もし、DVDが作られることなく、表向きの椎名林檎のパフォーマンス姿しか知らなかったら、たぶん彼女の魅力を一生理解することはなかったと思う。 過激な歌詞(私には過激というより、素直、、と思えるけれど。もしくは、きちんと作り込んであると思うけれどね。)やオーバーな衣装とかだけで判断してしまったら見えないものをDVDでは見せてくれる。 そのギャップというか、彼女の素の部分が本当にステキなのだ。 そういう「素敵」とされる彼女の表情や姿を記録に納め、編集をして、一般のファンに見せてくれる企画に感謝だ。
来月の第二弾DVDの発売が待ち遠しい。
★日記のみご覧の皆様。こっそりブログのほうには画像つきの記事がアップされていたりします。数日日記の更新がない時は大抵画像がたくさんある記事をブログのみにアップしています(日記のほうでは大きな画像に対応していないので、、、)。お時間のある時にご覧くださいませ。
2005年07月12日(火) |
スプリンクラーの満足度 |
サウナ状態のオープンクラス。 多少はダイエット効果を望めるのだろうか?
近々、換気扇と吸気口を入れる工事をすることになっているのだけれど(工務店は今週って言っていたのになぁ)、そうなれば今よりは快適にレッスンできるはず。 でも、蒸しむしした状態で踊るのは、身体にはいいように思える。(息苦しいけど)ホットヨーガが流行りならば、ホットジャズもあっても良いではないかと屁理屈をこねたりする。 汗ひとつかかずに踊ると「なんか不完全燃焼?」って気分になるのだ。 髪から汗がしたたり、ターンでスプリンクラーのように汗が飛び散るくらいが「めいっぱい踊ったよ!」という充実した気分になれる。 代謝を高めるためにも、こっちのほうが良いとは思うけれど、皆さんが白目を剥きそうになっているのを見ると、、、
しかし、今日は踊りつつ、アタマが重くてたまらなかった。 アタマというのは頭じゃなくて、髪のほうだ。 汗を含んで重みが出て、そのうえに首だの肩だのにベッタリひっついて踊りづらいったらありゃしない。 ターンなんてした時には、顔面にひっついた髪で何も見えず、「貞子か?」と自問自答したいくらいだ(古っ)。 もう耐えられない。無理。ダメ。 一応、日舞関係で7月下旬の盆踊りのお手伝いがあるので、それまでは短くカットしちゃうのは無理だけれど、ひとまず、軽くしなきゃ我慢できない。 今週にでも軽くしに行くことを決意。 秋には絶対短くするぞ。 短くしたら、着物の後ろ姿も今っぽくて新鮮だろう。
着物と言えば、先ほどもスタジオで話題に出ていたが、来年、1月にはMDSで「着物で初詣」を計画している。 晴れ着なんていうゴージャスなものじゃなくていい。 ちょっとはお洒落して、みんなで初詣にでかけようじゃないかと。 たぶん3が日は帰省している人とかもいるから、その後ね。 参加したい人は今から骨董市とかオークションで激安の着物をゲットしておきましょう。 古着だと¥1000くらいから余裕で見つかります♪ フルセットでそろえたとしても、洋服より安かったりもする。 新しいものでも洗えるキモノは結構お安く売っていたり。浴衣程度のお値段で見つかるはず。 あとは、夏休みや正月に自宅に戻る時には、しっかりと母親の箪笥をチェックして、めぼしいものはもらってくる! せっかく日本人に生まれたんだし、日本人にピッタリ似合う着物を着ることを楽しまなければ勿体無い。 着物を始めてわかったけれど、此れは金持ちだけの楽しみではないし、フォーマルよりも普段キモノのほうが実はいろいろと楽しかったりもするのだ。着物の存在って、日本人の私たちにとっては思っている以上に身近だ。
昨日のブログで心配してくださった皆さん、コメントくださった皆さん、本当にありがとう。 もともと私は飽きっぽいので、凹んでいることさえも長くは続かないようです。状況が良くなったというわけではないのですが、凹んでいても、笑顔でいても、結局は明日が確実にやってくるわけで。 皆さんと同様に、よりよい明日を迎えるために、今日の至難に耐えるだけのことなんです。
自分が置き去りにされ、まわりが変異を遂げているのか。 さては、私が変異してしまったがために、周りが違う景色に見えるのだろうか。
たとえば。 握手だと思っていたのに、其れは唯、私が一方的に相手の手のひらを握っているだけのことで、相手にしてみたら、それは決して「握手」というものには成っていなかった。 「独り相撲」ならば自己完結できるけれど、「独り握手」ってどうしたらいいものやら。途方に暮れる。
哲学は苦手です。
忙しいと、どうも余計なことを考えてしまう傾向があるみたいだ。 答えだとか、結果だとか、そういう前向きなことがないとわかっているくせにたちが悪い。 しかし、答えの出ないような物事こそ、厄介なほど心にとりついて離れはしない。
今日は一日引き蘢りで仕事。 あまりはかどらず、結局、掃除だとか片づけだとかをして現実逃避。 昨日できなかった分の事務処理だとか、振付けだとか、やらねばならぬことが山積みなればなるほど、よそ見をしたくなってしまうのは誰もが同じ?
夜になって、どうにかエンジンがかかって、この時間にようやく仕事が完了した。 おかげで、部屋がスッキリ綺麗でキモチいい。
憂鬱なことがひとつあると、まるで、それが磁石かのように、他の憂鬱なことを吸い寄せる。 またひとつ。そして、またひとつ。 嫌なことがあったあとは、必ず良いことがあると信じて眠りにつきたい。 明日はいいことがありますように。
凄い雨でした。 レッスン頑張った皆さん、無事帰宅できましたか? ずぶ濡れになってしまった人も多いことでしょう。
昨日は超フルコースの休日。 午前中に事務仕事を終わらせ、銀行をまわったりして、その足で遅ればせながらバーゲンに足を運んでみた。 欲しいものは幾らでもあるのだが、「似たようなもの去年買ったはず?」とか思っているうちに結局は、仕事で使うCDとDVD、書籍だけ購入という全くもって不完全燃焼な結果になってしまった。
そのまま稽古場へ。 稽古場は本当にいい。 着物を着て、舞扇子を帯に挟むと背筋がシャキーンとしてくる。 異空間だ。 BGMは師匠の口三味線。 普段ルーズになりがちな挨拶や礼儀も、此処ではきっちり。 心の整体とでも言えるかもしれない。 バシバシやられるし、厳しいけれど、背筋がのびる。 冷や汗も脂汗も出るけれど、終わった後の爽快感は何とも言えない。
今回稽古が一緒になった先輩は、なんと1時間半もかけて稽古にやってくる。どうしても、何がなんでも、師匠に踊りを教わりたくて、わざわざやってきたという話をきいた。 何でも、以前に舞台を観た時に師匠の踊りに惚れ込んだとのこと。 私は師匠の踊りをじっくり観たわけではないのだけれど、稽古を付けてもらうに従って、師匠の魅力に嵌ってゆく。
***
またまた、久しぶりに悩み事を抱え始めた。 本当に最近、いろいろと浮き沈みが激しい。 持て余すばかり。 「昔は○○だったのに、、、」というのが口癖になりそうで恐ろしい。
明日になれば雨も止むのだろうか。 悩みも消えるのだろうか。
人が、それも、自分が大切に思っていた人が、変わってしまうことが哀しい。 善くも悪くも、変わってしまわれると、まるで自分が置き去りにされたかのように思える。 矢張り私は愚鈍なのだ。
休日は通常通り。 洗濯、掃除、事務作業。
事務作業の合間に、溜まりに溜まった雑誌などを片付ける。 必要な記事だけスクラップしたり。 これがまた結構楽しいのだ。
本日スクラップした記事の中で気に入ったのは、簡単な和食のレシピだった。 しかし、残念かな、実家にいると台所は母のもの。 昔から台所を勝手に使うと嫌な顔をされていた。というのも、ウチの母は調理師免許を持っているので、「台所は私の世界」とばかりに縄張り意識が強いのだ。 たまに休日になると、気まぐれに料理を作りたいのだが、それもほとんどは空想で終わったりする。 一人暮らしをしていた時は結構自炊していたんだけどなぁ。
料理も暫くやっていないと感覚を忘れる。 包丁を持つ感覚とか、炒め物する感覚とか、煮物の味付けの感覚とか。 頭では理解しているものの、実際包丁をもったり、鍋をもつと「あれ?ええ〜〜っと?」となるのだ。
そういえば英語とかの語学もそう。 暫く口にしていないと口が動かなくなるのだ。 毎日のように喋っていた時は、然程あれこれ考えることなく、言葉が習慣的に出てきていたのに、日本に戻ってきて外国語を一切使わなくなると感覚が鈍ってしまうのだ。 年に1度ばかり海外へ行って使うにしても、リハビリに3〜4日はかかる。 矢鱈と吃るのだ。「あ〜、あ、あ、あい、あい、、、あい」って、お前は「アイアイ♪おさーるさーん」かよ?と自分にツッコミを入れたくなるほどだ。
ダンスも同類。 毎日だとか、毎週だとか、ペースを保っている時はいいのだ。 ある意味自然に身体が動く。しかし、一端距離を置いてしまったら最後、大抵の場合、リハビリ途中にギブアップだ。
ふと、世の中のこと、何もかも、ベースは一緒なのかもしれないと考える。 どんなことでも「慣性」ということが重大な要素なのだ。
そう、だからこそ、折角習った着付けを忘れてしまう前に、できるだけ着物を着る生活というのを実践していかないとならない。 そして、他にも今までの人生で自分が習ってきたことや、これからも続けたいと思うことについても同じだ。 パソコンもしばらく使っていないと使い方忘れてしまうしね。 自分の頭の中の抽き出しに鍵をかけることができればいいのに、、、と思う。
★先日の飲み会のレポートを画像と一緒にブログにアップしました。詳しくはPC版HPよりご覧ください!
親友より久々にメールが届く。 暫く連絡がなかったから心配していたら、ベビー連れて北海道へ行っていたとのこと。 しかも、昨日の私の日記を読んだらしく、「あれって○×くんのことだよね。」と鋭いツッコミ。 長年付き合っていると過去のオトコなども全て知られきっているので、すっかりバレバレだ。 かなり過去のことだったので、良い想い出しか残っていなかったのだが、彼女からのメールを読んだら、思い出した。別れた最大の理由を。そう。彼は「デリカシー」のない人だったのだ。 ああ、こうして過去を綴ってゆくと、更に詳しい不愉快な想い出までもが浮かんでくる。
付き合って数カ月、私の職場の友達と彼と大勢でスキーにでかけた。 私はその3ヶ月前に中古で憧れだった4WDをローンで購入していた。 中古とはいえ、どうしてもその車が欲しくて、千葉の市川まで探しに行って、ようやく見つけたという愛車だ。 夜に集合して、数台の車に分乗してスキー場へ。 山道に差し掛かる早朝、既に路面は凍結して色が変わっていた。 雪路での運転は結構なれているとは言え、まだ買ったばかりの車だ。 途中で助手席に座る彼に(彼は運転免許を持っていなかったので、運転は専ら私だけ)「ねえ、そろそろチェーンつけたいんだけど。滑ったら怖いし。」と言うと「え?まだ平気だよ。大丈夫。あと少し行ってみようよ。」と言う。恋する乙女は彼の言葉に従順だ。「そうね。じゃ、あと少ししたらチェーン付けるの手伝ってね。」とステアリングを握った。 暫く走ったところで左カーブのゆるやかな下り道にさしかかった。 ふと気付くとカーブの頂点とでも言うべきところ(反対車線が完全に隠れるスポット!)に、除雪車が停まっている。 嫌な予感はしていたのだ。 凍結した下りの坂道。しかもカーブ。対向車線。 ゆるゆると走っているつもりが、下り道であるのと人間と荷物を満載した愛車は当然のごとく、その停車しているでかい除雪車に吸い込まれるように滑ってゆくのだ。 スリップしはじめたと気付いた時点で慌ててアクセルをふんで、体制を立て直そうとするが、弧を描くかのようにリアが流れてゆく。 ああ、もうダメだ。ぶつかる。 相手は除雪車。まるで超合金。横っ腹あたりをしたたかに打った愛車は見るも無惨な姿。窓ガラスは左全面が割れて飛び散り、ピラーまでもがひしゃげている。ありがたいことに足周りには影響がでなかったので運転はどうにか可能ではあったが、、、。 リアシートに座っていた職場の人たちには怪我もなく。 ただ、やはり事故のショックというのは大きい。 ひざ頭や顎がガクガクと震えていて、自分でも驚くほどだ。 激しい動悸を抑えつつ、暫く呆然としていると、彼が私のもとにやってきて一言「やっちゃったね〜。ローンだけ残っちゃったねえ。」。 私の中で「こいつとは別れよう」と8割がた決まった瞬間であった。
勿論、これだけじゃない。 そりゃ書き出したら自制がきかなくなるくらい、「デリカシーはどこに?」と聞きたくなるような想い出、出来事、発言が一杯だ。 今はもう笑えるけれどね。 そういうのを思い出したら、昨日の電話、気にするのもバカ馬鹿しくなってきた。そもそも相手にする私がいけないのだ。 次に電話がかかってきても、二度と出ない。 ちょっと切ないけど、さようなら。
★話は違いますが、、、 白黒のチビ子猫が里親を探しています。 すごく可愛い子なの。 興味がある人は是非。写真みると絶叫するくらい可愛いの。なかなか貰い手が見つからず、苦心しているようなので。
どうにかHP更新しました。 携帯HPも更新しました。 メルマガも発行しました。 気絶寸前です。
今日のオープンクラス。 私の予想に反して、サクサクとみんな踊るんだもん。 作った私が一番振り覚え悪かったってことなんですね。
明日には、先日の飲み会の写真とレポートをアップしようと思うのですが、本当に予定は未定。 今日もテキストを書こうと思っていたら、突然10年以上も前に別れた元彼から電話がかかってきた。 「結婚するのかな?それとも私の誕生日を思い出して?」 なんて思いつつ電話口に出たら。 どうも変。なにかおかしい。声は確かに別れた彼の声なんだけど。 喋り方が妙なのだ。ろれつがまわっていないというか、何を言っているのか聞き取り辛い。 「なあに?久しぶりじゃない!どうしたの?」 という私の言葉に対してかえってきた言葉は 「俺さあ、鬱で。病院行って、安定剤を酒で飲んでるんだー。」 さて、どうしたものか。 そもそも、奴はもう40歳もとっくに越えたいい歳したおっさんだ。 何を今さら思春期のナイーブな少年のようなことを宣っているんだ? レッスンの準備だってあるし、テキストも作成したいし、、、悠長に電話でお喋りというシュチュエーションではない。 しかし、本当に鬱だかアル中だかの奴の耳には届かない。 しかも「俺、あんたと別れて、そのショックで飲めなかった酒を飲むようになってさ。あんたのせいなんだよね。あんたの。あんたと別れたから、こんなになったんだよ。」おいおい、クレームか? 確か、鬱の人には「がんばれ」とか禁句なんだよなーと頭のなかで過ったりするのだが、どうしたものかわからない。 「知るか!」と電話を切りたいところだが、下手に切って手首でも切られてしまっちゃ、こっちだって嫌だし困る。 電話口ではグズグズと愚痴が続いている。 「俺さあ、去年体調崩してさあ〜〜〜」 アタシだって去年入院してるさ!しかも入院保険解約した直後にさ! 「あのさ、ごめん、私ね、今から仕事なのよ。近々、飲みに行こうね。その時いろいろ話そう。私もいろいろあったしさ。」 「俺ね、約束ダメなの。無理。だからね、突然呼んで。前もって此の日って決めると無理だから。出られないから。あんたが都合いいときに『今から飲まない?』って言ってくれたら行くから。」 そうか、壊れてしまっているのか。そこまで。 丁重に、彼を傷つけることがないように、電話を切った。 しかし、確かに昔好きだった人だから、どうでもいいとは思えないのだけれど、会って話をする勇気は私にはわかない。 私だって歳とともに弱気になってきて、凹みやすくなってきている。今まで気力で乗り越えられたものが、すぐに意欲や気力というものが削がれてしまうのだ。発表会という大仕事が決まって今は、自分を前向きで調整させていなければ、何人もの出演者を引っ張って行くなんてことは無理なのだから。自分をマイナス方向へ仕向ける要因は全て排除しておきたい。 人でなしだなあと思いつつ、たぶん、彼とは二度と会うことはないだろうと。少々ブルーな気分。
ここ数日日記アップできず、申し訳ない。
飲み会があったり、 誕生日を迎えたり、 発表会をやることが決まったり、 今月の新しい振付けを作成したり、 HPの更新データを作成したり、 あれこれ、 それなりに忙しくて、日記執筆できずにいました。
明日あたりには一段落しそうなので、先日の飲み会の写真などもアップしたいなと考えております。
決して体調を崩したりしているわけではないので心配御無用。
気付けば7/2となってしまいました。 また、ひとつ、、、虚しいのでやめておきます。
いい友達や仲間に恵まれた1年を過ごしたと感謝。 今の瞬間に「誕生日おめでとう」とメールを送ってくれる人がこの世の中に存在してくれているって、非常に嬉しい。 この歳になると、卑屈になって、誕生日なんて疎ましいものでしかなくなってくるのに。 僅かだけれど、誰かとの繋がりを確信できる、その作業ができる誕生日って悪くないのかもしれないなどと思ったりする。
***
今日は稽古。 この数日、もしかしたら浴衣でいることのほうが長いかもしれないというほど、日々着物だ。
稽古に行く途中で先輩からメール。 「ごめんなさい!本当にごめんなさい!仕事、終わりそうにありませぬ。本日の稽古、私のぶんも頑張ってください!」 なああああああにいいいいいいいいいい? この時点で「引き返して稽古休む50%:覚悟をきめて稽古に挑む50%」。 通常の稽古はS先輩と二人でやるのだが、先輩が休むと必然的に独り稽古となる。いや、本当は師匠に一対一で稽古をつけてもらえるのならば、心から感謝し、喜ぶべきことなのだが、だが、だが。
週に1度の稽古を休めば、その翌週、稽古についてゆけなくなるのはわかっている。だからこそ、休んではならない。 下手糞で、先輩の足をいつも引っ張っているのだから、こういう時に少しでも進歩できるように頑張るしかないのだ。(言い方を変えれば、「下手糞で、普段先輩と二人で稽古していても、どっちみに注意を食らうのは私のほうばかりなんだから、ひとりで稽古しても普段と基本的には変わらない」ってこと。)
私の心境を物語るような小雨の中を稽古場へ。
今日は舞台の稽古などもあったためか、普段はお会いすることのない先輩がたも稽古場にいる。 師匠の愛弟子ともいう先輩も。 まずは新参の私からいつも通りのご挨拶。「はじめまして、よろしくお願いいたします」(フラットバック状態にて正座のお辞儀)
先週に引き続き「汐汲」のおさらい。 ええ、そりゃもう、ターゲットは私ひとり。集中砲火であることは言うまでもありません。 「腰!」「ひざ!!」「どっち向いているの!」「早いっ、我慢しなさい!」 今日はいただいた注意が多すぎて、飽和状態。
稽古のあとは相変わらず笑う膝を引きずっての帰途。 しかし、どうやら今日は左の肩(前々から調子が悪いほう)を悪くしてしまった様子。 車のステアリングがきれず、結構怖いので、そのまま速攻行きつけのスポーツマッサージへ飛び込む。担当さんがいてくれて良かった(涙)。 左の肩甲骨の内側の靭帯を伸ばしてしまったようです。 こうしてタイプするのもわりと痛い。
明日はレッスンお休みでよかった、、、、
|