60代でこんなにも歩くのに苦労することになるなんて夢にも思わなかった。
本音としたら情けなくて人には言いたくない。 (病気だから仕方ないのかもしれないが) リハビリのおかげもあって今は使っていないが、杖を持っていたり、足を引きずって歩いていればイヤでもバレてしまう。
人工関節の手術で入院してた時でも、友達というか知人から携帯に電話があった時でも入院のことは言わないでいた。 ランチの約束とか水彩画と手芸クラブの欠席も時にはウソを言ってごまかしてた。 だから私には見舞客も少なかった。
それでも 入院病棟やその後の通院とかでで知人や同級生に会ったりしたから、それはいつとはなしに人の口に出る。 そして、いざ退院して主人と一緒に買い物してても、杖を持っていたり足を引きずっていたら隠しようがない。 内臓の病気ならバレにくいと思うのだが、これは私の邪推か。
それにしても・・・足と私の気持ちと・・・両方・・・いつまで引きずるんだろうか。。。
去年のきょう、1回目の塞栓術を受けた。
いつもの整形外科の理学療法士が、その分野で有名な先生に最高の治療をしてもらったんだから、と2泊三日の入院の後で言った言葉。 でも実際は 術後7日目で膝血腫、再発した。
その後も再々発を繰り返したから6月に2回目、8月に3回目の塞栓術を受けて今日に至ってる。
そこの先生も、かかりつけの整形外科でも珍しい疾患だから、1回目は様子見の治療だったようだ。
私の気持ちの中では不安は消えていないけれど、それでももう治ったんだと、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせてる。
きょうはリハビリのつもりで行ったスーパーで小中学校時代の同級生に会った。 人づてに私が厄介な病気に罹ってるらしいと聞いていたらしく、 リユックを背負って買い物してる私に 「あんたも長い事パート頑張ってたもんな」 と言ってくれた。 その子も私と同じようにパートを頑張ってたことは知ってるし、 「私らの年になったら いろいろ出てくるねぇ」と ひとしきりお喋りして別れた。 でも私は嬉しかったのだ。 本当はその言葉を子供の口から聞きたかったのだけれど、それでも人様からそう言ってもらえて嬉しかったのだ。
私らは どんなに主婦業を頑張っても誰も褒めてくれないもの、たとえお世辞でも嬉しいのだ!
日本版の深夜食堂は見ていない。
韓国ドラマの深夜食堂は全部、見た。 主役のキム・スンウがいい。
今は中国版の深夜食堂をケーブルテレビで放送しているけれど、時間的に韓ドラと被るので予約もできない。 我が家のはダブルで録画できないし、夜遅くの放送は睡眠不足にならないよう自重してるから。
でも韓ドラでも ケーブルテレビで放送される映画でも、何が何でも見なければいけないということはないので、待っていたら後日 たいていのものがまた放送される。再放送のチェックさえ忘れなければね。
で、日本版の深夜食堂だけど、今日ふと思いついて予告ビデオを見たら、中学校の時の同級生が出てる。 彼は いくつかNHKの朝ドラにも大河ドラマにも出てるし、脇役なれどけっこういい演技してる。 近いうちにじっくり見ようと思う。 中学校のときはひょうひょうとした遅刻の常習犯で、東京の大学に行って、ある演劇というか劇団に入ったことは知ってたけど。
西城秀樹、まだ63才。
私の父は 私が西城秀樹のファンだと思い込んでいた。 決して嫌いではなかったけれど、ファンというほどでもなかったのに、プレーヤーがなかったからレコードも買えないし、ましてコンサートのようなものに行ける家計でもなかったから、テレビに西城秀樹が出てたら、 「オイ、西城秀樹 出てるぞ」と私を呼んだ。
主人と結婚した時、 父は主人のことを 「やっぱり西城秀樹によう似てるなぁ」 と言った。 他の誰もそんなこと言わないけれど。。。
でも私が本当に西城秀樹を意識しだしたのは、48歳で脳梗塞を患って、それでも頑張ってる姿を見てからだと思う。 再発してもなおリハビリしながら、舞台に立つ姿は常に死にたい願望がある私にはすごく新鮮に映った。 西條さんはまだ子供さんが小さいからその気持ちは大いに理解できるから、ぜひとも頑張ってもらいたいと密かに応援していた。
週1で行ってるリハビリで、脳梗塞の後遺症でマヒのあるひとを何人か見ているけれど、誰しも好きで病気になるわけでもないのだから、ほんとうに辛いだろうなぁと察せられる。
星由里子さんも西條さんと同じ16日の夜に亡くなられたらしい。
− 合掌 ー
今日は月1の手芸クラブの日。
去年は4月からずっとお休みして、今年は2月から参加。
みんなパートしてた時の友達なんだけれど、パッチワークと編み物好きの集まりだが、どちらもすごい上手な人がいる。
私は我流の編み物ばかりしているが、手芸店のサンプルを編んでた人がいて、その人があれも編んだ、これも編んだと素晴らしい作品を披露してくれる。
今までは すごいね! これ いいね! と、 邪念無く関心していたのだけれど、膝が悪化してからは主人が心配するくらいやる気もなくなっていたし、最近は根気もなくなってきたからウェァは編めなくなって、小物ばっかり編んでる。 それはそれでいいのだけれど、本音としたら着るものも編みたいのに、私の力量も含めて編めなくなってるから、その人にちょっとした妬みを感じてしまった。 あぁ、私は本当はイヤな女だったんだ!!
でも私の編むネックウオーマーを気に入ってくれる人がいて、ゆっくりでいいから、今度の冬まででいいからと、依頼されてる。 その人は友人に配りたいからと5つも。 歴史教室で知り合いになった人だけれど、それを励みにして毎日、少しずつ編み進めてる。
GWも終わった。
私の膝は完治したかどうかは分からない。 分からないがあのトイレにも立てないような痛みは、去年8月に受けた3度目の塞栓術からは起きていない。 だけど、日によって違うけれどかなりな違和感はまだ抜けない。
週1のリハビリの効果もよく分からない。 でも駅まで1キロが歩けるようになったから、3月末にあった水彩画の作品展の会場までリハビリのつもりで歩いて行った。 坂の有る道だったから 会館に着いたときは息も絶え絶えで、本当に情けなく思った。
案の定、次の日から違和感酷く、理学療法士に言ったら 「普通で筋肉痛は2週間くらいで収まります」とのこと。 でも私の場合、約1か月かかってようやく少しはマシになった。 というよりは 慣れたのかもしれないと私的には思うのだ。 まだ 違和感はあるし、それはまたぞろ・・・という不安が潜んでる。
でも、いつまでもグチグチ言ってられないし、自分の気持ちのなかで区切りがしたかったので、GWに近場の観光ホテルで息子の家族とささやかに快気祝いをした。 お風呂がいいらしいということなので、少々贅沢なれどお泊りの快気祝い。 小学3年生になった上の孫と、幼稚園年中さんの下の孫とからは 「おばあちゃん、あし なおってよかったね」と 書かれたお嫁さん手作りの色紙をもらった。
正直・・・今でも「こんな足なら死んでしまいたい」と 毎日思うけれど、死に病でないからには普通に生活したい。
GW前の診察では 主治医は 「もう少し落ち着いたら論文を書きます」 とのこと。 そのためにも やはりもっとリハビリを頑張って、生きた論文になればいいなぁと思うのだ。
|