我が家から徒歩圏にミシュランガイドに載っているラーメン屋さんがある。 (噂には聞いていたけれど、まさか徒歩圏だなんて) そんなに大勢ではないけれど、いつも行列というか数人が並んでおられる。 きょう、朝一に行ったスーパー銭湯の帰りに通りかかったら、平日だしまだ11時半ということもあって誰も並んでいなかったので入ってみた。 カウンター10席あるかないかくらいの小さなお店だったが、ミシュランのことは掲示されていたし、超有名な野球選手のサインもあった。
主人は味噌、私は醤油味のラーメンを頼んだ。 ラーメンのチャーシューは豚肉とばかり思い込んでいたけれど、このお店のは鶏の胸肉だった。 まぁ ミシュランガイドに出てるくらいだから、胸肉だけどジューシーで美味しかった。
週に2回くらいはリハビリのつもりで、リッュクを背負って買い物に行く。
きのう、 プール友達で手術仲間の人から電話をもらった。 「バスに乗ってたら あんたが歩いてるのが見えてなぁ。 リッュク背負って一生懸命歩いてたけど、まだびっこ引いてるなぁ」と。
最近 膝はもう治ったものだと思い込むように努めているけれど、股関節がよろしくない。 寝てても痛いんだから辛い。 そう遠くない未来に股関節の手術をしなければならないかも。。。 電話をくれた人は両股関節の手術をしている。 秋がきたら6年になる手術の時、病室が同じだった。 私が急にプールに来なくなったから、心配してたらこんなとこで会うなんて、と病室での再会を驚いたものだ。 それからその人とは 人工関節のことや病院のことを、正味話せるから有難い。
股関節の手術は6年前に比べたら進化してるから、早い目にしたほうが予後もいいよ、と。
う〜〜ん。 本当に最近は股関節が痛いから、こころ揺れる。
神戸の震災の時、奈良は震度3だった。 今回は震度4。 結構〜揺れた。 大阪が震源地になるなんて思ったこともなかったから これは何処かで大きな地震が起きてそれの影響だと思ってた。
我が家は 台所の神棚の花活けが落ちた。 でも不信心で造花を挿しているから水が飛び散ることもなかったし、花活けも割れてない。 水道水が濁ったけど、ミネラルウオーターの買い置きが8本ほどあったから、飲料水は大丈夫。 だけど給水車があったとしても、足萎えの私では貰いに行くことも行列に並ぶこともできない。
孫が心配でお嫁さんにラインしたら、上の孫は登校途中で家に引き返してきたらしい。 下の孫はまだ家にいたから大丈夫。 帰宅困難ではないかと息子のことも心配でこれはメールしたけれど返事がない。 まぁ 普段でも息子からの返信はあんまり期待できないのだ。。。
ニュースでは亡くなられた方もおられるし、 地震大国の日本列島って怖いね!!
だいぶ前に 朝ドラで「すずらん」というのがあった。
幼少期の俳優は忘れたが成長した役を遠野凪子さんが、中年以降は倍賞千恵子さんが演じた。 物語は北海道の留萌が舞台だったと思うのだが、そこの駅長が駅に置き去りにされていた女の子を自分の家に連れ帰り育てた。 駅長役は橋爪功さんだったと思う。 でも家に捨て子がいれば、駅長の本当の子供の将来や縁談やらに差し障るからと、富士真奈美さん演じる伯母だったか、叔母だったかに言い含められて”もえ”と名付けられた子は孤児院(当時はそう呼んだ)に行った。 それでも駅長の愛を支えに成人して結婚し、一男をもうけた。 が、夫は機銃掃射で帰らぬ人となりシングルマザーになった。 成人した男の子は川野太郎さんが、その妻は伊藤かずえさんが演じた。 その後、もえは炭鉱事業で財を成した事業家が旅芸人に産ませた子だと分かった。 そして 相続した財産で自分のような境遇の者を救いたいと息子夫婦と保育園を経営するというものだったと、記憶している。
間違っている部分もあると思うが、この物語はいつも私の頭にある。 そして 目黒の5歳児虐待で思うことだが、もしも私に大金が入るようなことがあれば、主人と私が老人ホームに入れる分だけ引いて、あとはこういう いたいけな子供たちを救うことに使いたい。 まぁ 宝くじが当たるのを願うしかないのだけれど、10億とかいう当選金やロトのキャリーオーバーなど(でも それくらいのお金で何ができるんだろうか・・・)を見るにつけ溜息をついている。
ところで拘置されている親だけど、まさか三食 与えてないよね? 子供にしたように一日一食で充分でしょ。。。
今日は義母の祥月命日。 2006年6月1日。
義母が亡くなった。 あと2ヶ月で92歳。 年齢的には天寿を全うしたことになるのだろうか・・ そこそこ良くなってきていてリハビリも始めていたので急変といえなくもない 先週の土曜日に面会に行ったときはそれでも何となく元気がなかった。 その時に義母は ろれつの回らない口で「負けた・・」と言った。 「何に負けたん?」と聞いたダンナと私に義母はじっと目を見つめたけれども、それ以上は話してくれなかった。 ダンナと「いったい何に負けたんや、どういう意味やろ・・」と何回も話し合っていた。 今 思うのは 義母は死期をさとったのだろうか・・ 病気に負けた 人生に負けた・・という意味ではなかったのか 義母なら、義母ゆえにそう思う。
お義母さん お疲れ様でした。
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