私が急な関節炎になっていなければ、明日から1泊だけれど孫を連れて旅行をする予定だった。
孫がずっと乗りたいと願っていたサンダーバードに乗って、松島水族館や福井の恐竜博物館へ行くプランをたてていたのだ。
関節炎はかなり落ち着いてきたが、日によっては強い強張りがあって歩くのが困難な時があるので、旅行中にそんなことになったら困るから残念だけれどホテルをキャンセルした。
幼稚園を18日に卒園して、春休みにお泊りくらいはさせてやりたいのだけど、それさえも今は私に気持ちの余裕がないので致し方ない。
代わりに 孫が欲しがっていた 3DS のゲーム器を買ってやることにして、でも じいちゃんとばあちゃんはそれがどんなものか分からないので息子任せにした。
まぁ 結果としては旅行よりは安くついたけれど、ばあちゃんもサンダーバードに乗って温泉に入りたかったなぁ。。。
プールや図書館やスーパーへの お買い物など、一人で出かけて帰ってこられたらそれだけで嬉しい。 重いものは持てないので特売品などの誘惑には負けないで、夕食に必要な食材だけを買う。 それでも大根やキャベツなどの重いものは主人と買い物に行ったときかネットスーパーでしか買えない。 とろりとろりと歩いていたら、大抵の人が私を追い越していくけれど自分の足で出かけられることの有難さをしみじみ思う。
毎朝 きょうも元気で過ごせますように、 夜には きょうも一日何とか過ごせました、明日も元気でいられますように・・・と 本当に祈る思いで毎日を過ごしている。
40歳半ばで膝が痛くなり、そのとき医師に 「あなたは 今40歳半ばですが膝は60才代です」と診断された。 それなら65歳の今は80才代の膝ということになる。 そうは言っても80歳代で元気に自分の足で歩いておられる人も多いのに、私は60半ばで両足人工関節という現実。 振り返れば50代半ばはパートに行って、休みの日には整形外科へ ヒアルロン酸の注射に行き、プールで水中歩行のリハビリをしていた。 サプリメントではなく医薬品になるグルコサミン等もせっせと飲んでいたけれど、それらが報われることなく人工関節という体たらく。 あぁ・・・あと10年経った70歳代はどんな日々が待っているのだろうか。 そうは言っても きょう一日を必死で生活しているのだから、先のことなど考えまい。 ・・・考えるのが怖いというのが正直な気持ちだけど、ホントどうなってるかなぁ。。。
奈良のお水取りも終わったし、きょうは彼岸の入りで暑さ寒さも彼岸までと言うし、桜の開花予報も出てるし、もう・・・もう本格的な春というか温かい日も目の前だ。
関節炎も落ち付いたようだし、神経性難聴もまぁ八割方以前の状態にまでなった。 相変わらず聞こえは悪いしテレビも字幕でないと理解できないことが多いけれど、じたばたしても現実はどうしようもない。
ここ1か月ほどは家に籠っていることがほとんどで、そうなると人と話すことがあまりないからストレスも溜まらない。 家で一人でいれば耳が聞こえなくても不自由はない。 お医者さんには耳が聞こえませんと言って通院しているのだから気を使う必要はないし、買い物はネットスーパーだから配達の人に「ありがとう」と言っておけば何の支障もない。 主人との会話も近くで話してもらえれば大体は理解できるし、聞こえていなくてもそれは承知だから何てことはない。
これから温かくなって プールや手芸クラブや水彩画も復活させていこうと思うけれど、耳が悪いことをはっきり伝えていこう。 そうすれば大体が気の置けない人たちとの集まりなんだから、お互い不愉快なことも何とかなるだろう。
「 寒い時期だから布団の中でじっとしてますが、1時も2時も3時も4時も5時も時間が分ってるんです」 そう言って処方された導入剤を飲めば眠れる。
朝 5時半頃に起きて、昼寝はしないで手抜きの家事しかしていないけれど、さて夜になったからといって全然眠気がやってこない。 そして・・・1時、2時と時計をにらんでいるのだ。 たまに運よく10時過ぎくらいに眠れる日があって、それでも12時前にはもう目覚めてしまって〜また1時、2時・・・となる。
眠れないと言う私にドクターは 「じゃぁ、1時と2時の間は眠ってるんですか?」と 問うた。 その時は この先生は冗談を言っているのか、茶化しているのかと思ったのだが、その後何日かその言葉をじっくり考えてみた。
そして気が付いたことがある。
導入剤を飲んで寝た、というか眠れたときは夢を見ていないのだ。 だけど、導入剤を飲まないで悶々としている夜には必ず違う夢をいくつか見ているのだ。 〇よく知った場所に行ったはずなのに何もない、ただ土間が広がってる。 〇買い物に行って目当ての商品がいくら探してもない、買えない。 〇パートしてた時に苦手だった人が私に何か言ってる。 〇孫が病気になった。 〇トイレに行きたいのにいくら探しても見つからない。 その他・・・いろいろ思い出せないけれど変というか不愉快な夢ばかり。
と・・・言うことはドクターの言うように、1時から2時の間は眠っているのか?? 起きてて夢は見ないもんな。。。 だけど、それはそれで小刻みな睡眠しかとれていないってことだ。
思いもかけなかった関節炎は私に心身ともにかなりなダメージを残した。 日によってはあまりにも強い強張りで歩けない日もあって、ずっと家に籠っていた。 せっかく人工関節の手術を受けたのに、一人では外出も出来ないのかという大きなストレスは、時に嘔吐も伴って私を苦しめた。 2月最後の日に夜中に3度も嘔吐して、その時後頭部が何やら詰まったような感じがした。 でも その時は夜中だったからそのまま寝たというか、身体を横たえていた。 そして朝、いつものように主人が起きてきて何やら口をパクパクしてる。 何も聞こえない。。。 テレビを点けたが音量を上げても何も聞こえない。。。
ドクターは「突発性難聴」とは言わないで 「神経性難聴」だと言った。 ずっと難聴傾向だったけれど、何も聞こえない世界は異様だ。 でも 今は抗生物質とかで早い治療なら最悪の状態は避けられることもあると。
耳は聞こえなくても生きてはいける。 足だって車椅子があるしそれで死ぬことはない。
ここ数日 温かい日が続いていたから足の調子が良くて、聴力検査の結果も好転している。 そうなったら ネガティブな気持ちが少しずつ薄らいできて、駅前のデパートへ夏糸を見に行きたいと思う。 耳にピタッと着けたら電話も大丈夫で、夕べの孫からの電話も良く効く薬のような効果があった。 もうじき 卒園式、そして一年生。 思うだけで うるうるしてきて・・・うれしい。
痴呆老人遺族対JR東海訴訟の最高裁判決に私が思うこと。 : : : 介護の現実のなかにいる人たちにムチ打つことにならなくて本当に良かったと思う。
主人と私の親と義姉のお母さんと5人の高齢者を見送った今だから、そしていずれ私が行く道だから、これから介護される側に片足どころか両足を突っ込みかけてる状態だから、最高裁にお礼を申したい。
見送った親たちは幸い痴呆はなかったものの、病院や施設での状況にここでは詳しく書かないが正直、何度か「そろそろ逝ってほしい」と思った。 それがもし徘徊する親だとしたら どうだったろう。 私は次男の嫁だが、長男の嫁さんがある日 「○○家、殺人事件が起こっても不思議ではないよね」と言ったことがある。 現に介護に疲れた配偶者や子供による殺人事件も起こっている。 そんな場合、大抵は温情判決が出ている。 今回の最高裁の判決も正に温情だけれど、裁判官の人たちの中に介護で苦しんでる方でもおられたのだろうか。 介護の現実は本当にむごい。
鉄道会社には気の毒だとは思うがこれが日本の現実なのだから、各鉄道会社のお偉方たちがこぞって対策を立ててほしい。
そしてこの機会に 私としては 尊厳死より効果的(?)な安楽死を討論してほしい。 誰も好き好んで団塊の世代に生まれたわけではないが、これからの高齢化社会を考えたらお先真っ暗ではないか。 今でさえものすごい赤字のこの国の財政を考えたら、健康保険や年金が好転するのではないだろうか。
終末期医療が一番お金になると何かで読んだことがある。 (最近、とみに病院にお世話になってるのに、ごめんなさい)
それには 私たち、老い行く者もしっかりと自分の考えというか想いを伝えていかなくてはならない。 口から食べられなくなったら、それは死が近づいているのだから経管栄養や胃瘻などしないでほしい。 痴呆になったら様子を見て安楽死させてほしい。 それは誰の責任でもなく、私が心から願っていることですから、と。
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