明日で1月も終わって2月になる。
節分、立春、旧正月、、、
仕事もしていないし手抜きの家事をするだけで、好きに暮らしているはずだけど毎日が流れるように過ぎて行って時間が足りない。 健康寿命とかを考えたら残り時間が少ないことを身を持って感じているから、余計に毎日が早く過ぎるのだろうか。
毎朝、今日も元気でいさせてください、夜には今日も一日無事に過ごせました、と 祈るような・・・お願いするような日々の繰り返し。
きょう 二十四節気の大寒、季節通りの寒さに完敗。。。
でも心はあったかい、楽しかった。 27年ぶりに、高校時代の友達に会ってきた。 ずっと年賀状のやり取りは続いていたけれど お正月に思い立って私のほうから電話した。 私の体調不良もあってやっと日にちが合ってきょう、会ってきた。
正直、彼女は おばあちゃんになっていた。 私も毛染めを止めて白髪だからおばあちゃんには間違いないのだが、彼女もしっかり見た目がおばあちゃんになっていた。 彼女は結婚しなかったから、きっと見た目も若々しいだろうと勝手に想像していたから。 でも話したら 高校時代そのままで、本当に楽しい時間を過ごしてイッパイお喋りした。
でも彼女はメールとかが苦手だというから、電話か手紙のやり取りになるけれど、年賀状だけのお付き合いからは前進したと言えよう。
このお正月に私が急に思い立って電話したのは、何か急き立てられるような気持ちになったからだった。 日々、体力の衰えというか老いを感じて元気なうちに会いたい人には会って、したいことはしておこうという気持ちになった。 年を取ると結構わがままになって、気の合わない人とはお付き合いしたくない。 仕事とかしていたらそんなことも言っていられないが、子供も自立していけばそうそう世間様に気を使うこともなくなってきた。 簡単に言えば 自分のペースで生活していくということなのだが、それは人間関係にも言える事。 気の置けない人とだけお付き合いしていこうと思うのだ。
術後 3か月が過ぎてきのうで今回の手術のリハビリは終わった。
私は10月1日に手術したのだが、10月5日に手術した人が先週の7日に再手術されてる。 膝の曲がりがあまりにも悪いということの再手術だが、3年前に同室だった人も再手術されてるのを見たことがある。 この人は他所の病院でも2回手術されていて、それでもらちがあかなかったために転院されてきた人だった。 再手術のあとは 日に数時間膝を曲げる器械をあてがっておられた。 2か月入院して、杖なしで退院されるときのうれしそうなお顔が目に浮かぶ。
まぁ 人間の身体は一人ひとり違うってことだけど、私なんか順調なほうだと改めて感謝している。
それでもこれからは自分なりのリハビリを欠かさないことと、決して転ばない ことを常に肝に銘じておかなければだ。
きのうは今年最初の診察とリハビリの日。 2週間ごとの診察日は、さながらミニ同窓会のようで入院してたときのお仲間に会える日。 顔を合わすなり 「足、どう❓ 調子いい❓ 変わりなかった❓ 」と お互いの体調を気遣う。
そんなお仲間の一人で 退院が決まった時に 「先生、退院してもまだ無理のきく身体ではないということを主人に話していただけませんでしょうか」と頼んでいる人がいた。 みんな それぞれの家庭の事情は自分から話さない限り尋ねるということはしないけれど、私は自分の立場を思ったら有難いことだなぁと感じた。
私の場合、例えば目につくような片づけのようなことをしたら主人が 「そんなことして大丈夫なんか 」と 必ず聞いてくれる。 病院に行く日の朝も、仕事に出かけるときいつも 「気ぃ つけて行けや、こけるなや」と 言ってくれる。 私はそんな主人の気遣いに少々、甘えすぎている感もあるけれど、とにかく好きに暮らさせてもらっている。 何と有難いことかとしみじみ思う。
明けましておめでとうございます。 今年も宜しくお願いいたします。
新年、早々見た夢はまたしてもパートしてる夢。 パートを辞めてそろそろ7年になろうかというのに、いつまで私はパートに縛られているのだろうか。。。 「約25年も務めたのだから、よっぽどしんどかったんやろ」 と、主人は言ってくれるのだが、結果そういうことなのだろう。 たかがパート、されどパートだが、よく考えてみれば、家のことや子供たちのこと、それに両方の親のことなどに加えてのパート勤めだったから確かにしんどかったなぁ。 ほとんど毎日主人の弁当を作り、夏場など大量の冷茶を持たせ、子供の学費のやり繰りと、双方の親のご機嫌伺いというか様子見とか、そして難聴なのに接客を中心としたパートだものねぇ。
最近、ことさらに無我夢中で生きてきた過ぎ去った日々が思われてならない。
まぁ、正月早々からグチっても仕方ないし、今年も私はただただ健康を願って暮らしていこう。
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