正確には11月29日だけれど膝の手術から2年がたつので 術後2年の定期検診に行った。 経過は順調とのことでひとまずは安心。
で もう片方の膝、私としては年が明けたら手術するつもりだったのだが 主治医が言うのにはもうちょっと様子を見ましょう、と。 いつも手術した膝と一緒にレントゲンを撮っているが、この2年間で著しい進行がないからとのこと。 先生がそう言うのなら私だって本音としたら手術なんてしたくない。 いつグキッと悪くなるかもわからない爆弾のような膝を抱えて生活していくわけだけれど、これも仕方ないのだろう。
時折・・・あれっヤバイかなぁ、と思うこともあるけれど、私の場合その日によって辛い箇所がいくつかあるので膝の痛みもそれなりに耐えられるが、歩けなくなるのがいちばん困るし。。。
ついでに診てもらった右ひじの痛みはよくある使い痛みだそうで、しばらく手仕事を小休止しなさいとの診断。 やっぱり編み物のし過ぎ・・・これは主人に言ったら怒られるなぁ。 要は寄る年波の筋力の低下なのだろうか。
だからと言うわけではないがものすごくお金が欲しい。 家計のことなど一切気にしないで整体とかマッサージに行きたいのだ。 高いところだと1回5千円もするので年金生活者のような家計ではとてもとても。。。 先日、孫にばあちゃんの肩揉んでとお願いしたら 4・5回撫でるようにさすったあとで「しんどい」と言われた。 まぁ、息子や娘にも肩もみさせたことないし。 私が子供の頃はしょっちゅう父の腰揉みをさせられたもんだけれど。 こうなったら年末ジャンボ宝くじしかないか、 買わないと当たらない宝くじだが、買っても当たらないんだなぁ。 それより宝くじを買うお金で1回くらいは整体に行けたりしてね。。。
私は全般的にスポーツは好きではないが 主人がスポーツ番組をよく見るので大相撲もよく見ている。 あまり好きではないから勝敗よりも懸賞金の数を数えたり 和服で観戦しているひとを探したりがもっぱらだ。 面白いのが立ち合いで勇み足をする力士も多くて 仕切り直しとなるのだけれど勇み足をした力士はかなりの確率で負けている。
で、何が言いたいのかというと きのうのニュースにあった衆議院解散のときのことだが 伊吹文明衆議院議長が「衆議院を解散する」と言ったときに 勇み足のような恰好で「万歳」を叫ぶ議員のいたことだ。 まず「衆議院を解散する」と言って、それから内閣総理大臣の名前を言い終わって後に「万歳」するのが通例らしい。 だのに一部の議員が逸って万歳と叫んだようだ。 それ以前に何で万歳するのかよう分からんわ!!
今度の解散をうちわ解散(うちは=内輪)とか アベノミクス解散とか 根拠なき解散とか 税金ムダ使い解散とか 色々報道されているが フライイング解散とも言っている。 そもそも今回の選挙で使う700億というお金を他に使ってくれたら、と私は思うけど。
私は 今なら勝てると思っている安倍さんに 国民をなめるなよ! と 言えるものなら言いたい思いでいるので 相撲の勇み足にあるように自民党が負けたらいいなぁと。 アベノミクスだけが焦点じゃないでしょ、 裏で何かたくらんでいるでしょ、と 問い質したい。
きのうは孫の七五三参りに行った。
男の子の五歳は袴着ということで、着付けてもらった袴を孫は窮屈がった。 八月に前撮りしてあるからとはいうものの、神社でのスナップ写真はぜったい撮りたいし、何よりご祈祷をしてもらわなくてはならない。 去年の秋、孫の従妹のお姉ちゃんがお参りしているから 「Yちゃんも頑張ったんだからもうちょっと我慢して」と言い聞かせて、無事にご祈祷を済ませた。
神社には氏子さんたちがお手伝いに来られていて、 「おばあさん、お孫さんの名前でのぼりをだしませんか」と。 神社の境内には七五三参りとそれぞれの名前を書いた赤いのぼりがはためいていたので、私はちょっと気になっていたのでお願いした。 お孫さんの名前はおばあさんが書いてくださいとのことだったので、太字用のペンで気持ちよく孫の名前を書いた。 孫に 「これがあんたの名前の漢字だよ」と言うと深くうなづいて嬉しそう。 少々風はあったもののいいお天気で 、素晴らしい七五三参りになってよかった。
それにしても下の孫の重たいこと。 今 10か月で立っちができるようになってきたからお正月には歩いてくれるかな。 ばあちゃんはいろいろ不定愁訴でぐずぐず言ってるけれど、きのうばかりはそれらも吹っ飛ぶ思いだった。 まさに 孫はかすがい。 孫が元気ならじいちゃんとばあちゃんも平和です♪
きょうから11月。
毎日、毎日があっという間で「きょうは何したっけ?」と思う日も多い。 実際は最低限の家事をして3度のごはんを食べ韓ドラを見て、編み針を持ち何かしらしているはずなのに、 夜寝る頃にはさっき起きたばかりのような気がする。
だから・・・年賀状も発売される時期になってちょっと焦っている。 年々 いろんなことが面倒になってきて人との付き合いもしんどいなぁと感じる。 87歳で亡くなった父がある年 、年賀状に「自分の父が亡くなった年齢になりましたので勝手ながらこれで最後のご挨拶にさせていただきます」と書いた。 それは何歳だったのか記憶にないのだがそれこそ今でいう断捨離なのだと今頃感心している。 その頃はまだ断捨離とか終活という言葉もなかった。 エンディングノートも今ほど出回っていなかったような。
私はまだ母が亡くなった78歳という年齢には間があるし、主人もまだ働いているのだから最低限のお付き合いはしていくつもりだが、それとて時にはしんどい。
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