愚痴日記

2014年03月27日(木)


 謙遜でなく 自分を貶めるというか自分のことを低く言うこと・・・ああ・・・最近、言葉が出てこない。

で、どれくらいの人が自分の人生を真摯に考えて尚且つ、人との折り合いも考えて自分に正直に生きているだろうか。

大方が食べていくために嫌な仕事もして人の顔色も状況に応じて窺がって、時には流されるという表現の生き方をしていると私は思っている。
そんな人生の合間に趣味を持ったり可能な限りの楽しみを見つけて生活しているんだと。

それを大人の生き方というかある意味当たり前だと思っていた。

夢を追いかけ、だけど現実は叶わぬ夢も多い。

その夢がいつしか別物になっていても今の自分の夢をその時は精一杯に追いかける。


高校中退すると決めたときの娘の担任は
「しんどい性格の娘さんですね」と言ったことを思い出した。

















2014年03月25日(火)





  唐突の 春一番や 愛娘(あこ)戻る




  歳月が埋めぬ溝あり今さらに人の心の難しきかな


















2014年03月24日(月)



最近 睡眠導入剤を飲みたいなぁと思う夜がある。

でも 朝6時前には絶対起きなくてはならないから、まだ一度も飲んだことのない眠剤と言うものに対して知識?がない。
寝付くのに2時間も3時間もかかる夜があるのだが、さぁ寝ようとお布団に入ってそこそこの時間で寝付けるかどうかはその時には分からないので、飲むタイミングを失なっている。
眠剤を飲んだとして、起きてからふらつきなどが残らないのだろうかと危惧しているのだ。
ネットで調べたら 超短時間作用型という眠剤があるそうなので、それだ!とは思うものの、やはり眠剤には頼らないで眠りたいなぁ、という気持ちもある。

昼食後や夕食後のあの眠気が何故、夜には起きないのか?

お気楽な毎日だから夜、眠れなくてもお昼寝すればいいんだろうけれど、それは悪循環で、下手に昼寝でもしようものなら朝の4時くらいまで眠れなくなる。
だから 必至で昼間の睡魔と闘っている。


















2014年03月22日(土)


今朝は寒かったけれど きょうの昼間とかは温かくなりそう。

きのうは風が冷たい一日で お墓参りに行ったけれど、ちょうど母のお墓にお参りしているときあられが降った。
お墓にはキレイな色のアリスを挿した。
母が好きだったお花を挿すことで親不孝だったことの許しを請う気持ちになっている。

そして お墓参りの帰りにおはぎを買った。
普段 私はコーヒーは飲むけれどそのときにちょっとつまむというかおやつは食べない。
だけどきのうは無性におはぎを食べたかったのでそれをお昼ご飯にした。
お昼を食べてたまのこととはいえおはぎも食べたらカロリーオーバーになるから、それじゃぁお昼ご飯にしてしまえ、ということで。
よくデザートとか甘いものは別腹というけれど、最近はその別腹がきつくなってきた。
食べようと思ったら食べれるけれどあとから胃がもたれたり、胸やけすることが結構あるのだ。
こういうことでも寄る年波をすごく感じる。
無理がきかないお年頃になったということだろう。













2014年03月20日(木)


 私の手慰みである編み物作品をレンタルBOXに出して2年余り。

マフラーやハンドウオーマーや靴下や帽子を主に並べていたけれど、どれもがよく売れた。
それは価格設定が低かったからだろう。
ほとんど毛糸代だけでいわゆる編み賃なるものは加算しなかったから、結構お買い得だったと思っている。
レンタルBOXのオーナーさんがこんな値段でいいの?と、何度か尋ねられたけれど、拙い自己満足の趣味のようなものに価格は付けられない。

でもレンタルBOXに出すのに追われて自分のものがほとんど編めなかった。

だから しばらくお休みすることにした。
決して撤退ではない。

「ほんとうに いい趣味をもったね」と友達が言ってくれたが、私も心からそう思う。
未だに解決しないある一つの心配事が原因の寂寥感をいろんな毛糸が埋めてくれている。

はぁっ。。。























2014年03月09日(日)


近い将来に恍惚の人になってしまうのではないかという日々を暮しているから・・・テレビのドラマを見て感動するというか心に残るセリフをすぐ失念してしまう。

いつも心に残るのは主人公が人生に挫折したときや困難な状況に置かれたとき、その母の存在がまた頑張ろうという力を与えてくれるという場面。
母の笑顔や母の何気ない言葉やそして母の手料理など。
それらがいつもドラマの主人公を再び前に向かって歩みだすきっかけとなるのだ。
そんなドラマを見るたびに私は涙し、そして私はそんな母だろうか・・・という思いにかられる。
自信は全然ないし、子供たちに改めて聞いてみるということもできないでいるけれど、そんな時やはり13年前に亡くなった私の母を思う。

母の世代は先の戦争を経験しているから今の私たちには想像もつかないような困難を乗り越えてきた。
そして母の死後、叔母から聞いた母の苦労を思うと私なんぞいかに甘ちゃんで楽な人生を歩んでいることか、とつくづく思う。

来週は春の彼岸に入る。
またお墓参りに行こう。


節くれに 膏薬貼りて 我が頭 撫でし母の手 いつも冷たき



















2014年03月03日(月)


何だか きのうの続きのような感じだが
きょうは眼科と整形外科と同じ病院なれど掛け持ち受診。

眼科は1月の終わりに突如として左目に沸いてきたもやもやの経過観察。
整形外科は もうじき60肩(ココ、笑うとこです〜よろしく)と勝手に言ってたのが酷くなってきたから、ようやく診てもらった。
矢張りと言うべきか〜レントゲンに映し出された肩の関節は特に異常がないそうな。。。
身体が固くなってて筋肉が萎縮してきているから、痛いくらいにまで自分で運動というかストレッチのようなことをして身体を動かすようにという診断。

まぁ、結果として何の異常も認められないんだから喜ぶべきなんだろうけれど加齢というか年のせいとして片づけられることに多少の不満もある。

結局のところ・・・私の疾患は膝だけなのか。。。
それにしても膝も眼も肩もみ〜んな左側、何か不思議。。。

そして、きょうもつくづく感じたことだが患者はほとんどが高齢者。
お医者さんも ばあさん、じいさん、ばあさんと高齢者ばっかり診察していたら本音としてはイヤだろうなぁ・・・と思ってしまった。















2014年03月02日(日)


プールのお知り合いで共に70歳代の人の転倒骨折を聞いた。
一人は右肩の骨折、もう一人は左膝のお皿の骨折。
どちらも転んで骨折されたようだが、お二方とも日頃からプールに来ておられるくらいだから運動に対する意識は高いほうだろう。
それでも転んでしまって、我が身を思えば情けないという言葉しか浮かばない。

私が人工関節の手術をしたときも医師から、普段から運動されている人は手術の予後がいいと聞かされた。
何もプールやジムに行くことだけが運動能力を高めて筋力をつけるわけではないけれど、いかに日頃の運動が大切かということは理解できる。
今は早朝や夜にウオーキングする人も多いが、それでも高齢者にとって転ぶということは寝たきりに繋がりかねない。
私も意識して転ばないように、転ばないようにと歩いているけれど、爆弾のような足を抱えて明日ではなく最早きょうが我が身の思いでいる。

瓶を開けるとか、プラ表示のいろんな袋物を開けるとか
だんだんにし辛くなってきて時にイライラする。
何もかもが加齢・老化〜あぁ逃げたい!!












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