実際には飛んでもいない蚊が見えるという飛蚊症は聞いたことがあるが、私の場合はもやもやとした黒い煙のようなものが見えた。 2・3日前くらいに左目のほうでピカッと光線が何度か走った。 で、きのうの朝 洗濯物を干していたら突如として左目にもくもくと煙がわいてきた。
うっとおしいし、目だから編み物や読書やパソコンが出来なくなったら困るので眼科に行ってきた。 眼底検査も含めたいくつかの検査をして、診断は硝子体の膜が剥がれて微量の眼底出血があったようだ。 とは言っても加齢によるもので今のところ何も心配もないらしい。 あぁ〜良かった。
今も週末は息子の家に行って孫といるから正直疲れている。 でも疲れたと言ったら息子が心配するし、自分らで何とかすると言われたら辛いので平気なふりをしている。 爆弾のような手術していないほうの足も日によって辛いときもあるが、何ともない日もあるので私のペースでゆっくり用事をこなしているから、私としてはせめて1か月検診がすむまでは息子の家に行きたいと思っている。 そんなさなかの左目のもやもやだったから何ともないと診断が出て本当にホッとしている。
覚書として記しておけば、元旦に産まれた下の孫はほんとうはきょう、1月28日が予定日だったのだ。 36周になっていきなり産まれて、2610だった体重も5日ほど前に測ったときは3260まで増えていた。 どうか来週の1か月検診で母子ともに経過順調で、何の問題もありませんよ、と言っていただけるよう心から願っている。
誘われて 「白寿展」というのに行く。
99歳のその画家さんは誘ってくれた人の友達のお父様。 その画家さんは 私が習いに行っている水彩画教室の作品展に来てくださったことを思い出した。 狭い町だから その画家さんも私の水彩画教室の先生とも絵仲間ということだった。
そして、その画家さんの100号の大作はバレリーナを描いたもので、 あぁ・・・タイトルを失念してしまった。 近くに寄って背景の虹のような色を見て、少し離れて見たらその色はみんな、バレリーナの姿をしている。 この絵を描くためにダンス教室へお弟子さんと三月通ったとか。 感嘆!!
早春というタイトルで違った情景で女学生を描いた絵が2点。 他にも女性の絵が主流で どれもこれも素晴らしい。
99歳の今も毎日 絵筆を持たれているようで 誘ってくれた友達が「健康の秘訣は何ですか?」と おたずねしたら 「ははは、もうボチボチあかんね。せやけど肉が好きやねん」というご返事。 お弟子さんのお話だと食後、必ず歯を磨かれるようで99歳の今も全部ご自分の歯だとか。
おいとまする時、私にいろんな模写を重ねていたら自分の色が出てくるから励みなさいというアドバイスを下さった。 そして 99歳のお祝いということで紅白まんじゅうをお土産にいただいた。 3月には京都である展覧会に出品するとかで、私の足が許せばぜひお邪魔してみたいものだ。
きょうは大寒。
寒さの絶頂期だそうで 寒さの底という表現をすることもあるようだ。 次の二十四節気はもう立春ということだけれど、まだまだ春は遠い。
でもいつもの駅に行く道の枝垂れ梅は芽吹いていた。 チューリップの球根もいくつか芽を出していて、孫とどちらの家がたくさん芽を出しているか数えあっている。
その上の孫はきのう、明け方と八時過ぎと二回吐いた。 熱はない。 主人に言わせたら「自家中毒」だろうと。 息子もよく自家中毒で吐いていた。 これは子供のストレス病らしいけれど、弟が産まれてその前から伯母の家に何日も預けられて何かと我慢の日々を送っているのだろうな。 きっと思い切り母親に甘えたいのだろうと思う。 ばあちゃんでは母親の代わりにはならないらしい。
きのうは母の祥月命日でお墓詣りに行った。
お寺は静かで私の挿したフリージアがやさしく香る。 母に2人目の孫が産まれたことを報告する。
実は・・・母のお墓の隣りに我が家の墓地を昨夏、購入した。 主人は次男で私らの死後の家がなかったので、主人の強い勧めで買った。 正確には墓を建てられる権利を購入したということだけけれど、私らがいずれ隣りに来るということを母はどんなにか喜んでくれるだろうと思うのだ。
私らの死後は・・・熟年離婚した父の骨を預けたお寺へという考えや、散骨やら樹木葬などという思いがあったことも事実だけれど、息子に子供が出来て孫と接しているうちに普通のお墓で息子や孫が来てくれるのを待つ、というのも悪くないなぁと思うようになったのだ。
主人も私もまだ60代でこれからどんな老後を送るか、送れるかは分からないけれど頭がしっかりしているうちにちょっとづつ決められることは決めておきたい。 でも 廻りに迷惑をかけないように好きなようには暮らしたい。 そのためには主人と私がいろんな意味でしっかり自立していなくてはならない。
孫といて 無事に過ごせた 一日に 胸なでおろし 夜具を引きよす
それにしても寒いなぁ。。。
やしきたかじん さんが亡くなられた。
64歳、主人と同い年だな。 人には何でも好き嫌いがあるけれど、この人は大阪人そのままのようなおっちゃんで、エッチでイヤらしくて酒飲みでそのくせシャイで、テレビでしか知らないけれど、私は大好きだった。 日曜日の「たかじんのそこまで言って委員会」なんか大好きだった。 番組の最後に たかじんさんの口が白いチャックになっていて、タイトルとは反対にそのチャックは閉じられていた。
その番組の何かの特別企画で、安倍総理大臣との対談があった。 安倍首相が体調不良で一回降板していたときに、地元の山口県の温泉に入りながらのそれこそ裸の対談だった。 いまのみんなの党の渡辺代表のお姉さんが紹介してくれた薬が安倍さんに合ったようで、もう一度首長としての登板を待っているとの話だった。 あぁ、でもそのときの対談の内容をほとんど覚えていないことが悔やまれる。 安倍さんは復帰したのにたかじんさんは亡くなられてしまった。
親しい人にも別れを告げずに・・・めちゃめちゃカッコイイやん!
9日に退院が決まったお嫁さんの今日のお昼の病院食が ”お祝い膳”とかで、上の孫とお邪魔しに行った。 病院の近くにあるお店で焼き立てのたこ焼きとお好み焼きを持って行って、 3人でそれぞれを分けっこしながら食べた。 長い入院で病院食にちょっぴり飽きていたお嫁さんはたこ焼きとお好み焼きを喜んで食べた。 上の孫も本当にうれしそうでちょっとハイになっている。
帰りに新生児室を除いて赤ちゃんとガラス越しに対面する。 あんなに小っちゃいんだ。 二人目の孫を抱けるなんて想像もしていなかったから、うれしいやら怖いやら。 名前も決まって上の孫ももうしっかり認識している。 明日からまた幼稚園が始まるけれど、それにしても上の孫もよく頑張った。 幼稚園のある日は伯母の家に預けられて、金曜の夜から日曜の夜までは自分の家でと、そんな生活がまた始まる。 帝王切開での出産ゆえに大事をとっての療養をあとしばらく続ける。 私もまた金曜の夜から日曜の夜までの出番になる。 お嫁さんの回復は結局のところ、みんなの為だもんね、頑張ろうね。
それにつけても 息子がこれからお嫁さんと二人の子供をしっかり食べさせていけるだろうかと、こんなご時世で不安が先にたつけれど何の力もないおかんはそれを口にすることもできずに案じている。
今日 息子と上の孫はATC ホールである「トミカプラレール博」に行くというので、夕べ私は自分の家に帰ってきた。 年末に白浜に行く準備で孫と帰ってきた時には気づかなかったけれど、水仙が咲いていた。 でも主人が水やりをしてくれていないのでシクラメンは枯れかけている。
朝からプールに行ってお馴染さんたちと新年のあいさつをした。 きょうは日曜日で来ていないお馴染さんも多いけれど、自分のペースで過ごせるというのは何気にホッとする。
明日からは息子も仕事だし、幼稚園の3学期が始まる8日まではまた孫といることになる。 主人の口癖のような「コケるなよ、無理すなや」を 常に意識して、あと少し頑張らねば!!
明けましておめでとうございます。
今年も拙い日記を読んで下さる方がいらっしゃることに感謝して 細々ながらも更新していきます。 どうぞよろしくお願いいたします。
お陰様で元旦、1月1日の深夜23時40分に帝王切開で2610グラムの男の子が無事に生まれてくれました。 36週に入ってお腹の張りを止める24時間の点滴を抜いたばかりでした。 8か月から入院していてどうなることかとずいぶん気を揉みましたけれど未熟児でなくて幸いでした。 お嫁さんも辛かったとは思うけれどみんなが心配していましたから。 上の孫でさえ、遊んでいてふと空を見つめるように 「お母さん、寝てるかなぁ、お腹いたいかなぁ」と呟いていましたもの。
これからの子育ては今以上に大変でしょうけれど、とにかく一つトンネルを抜け出せたと思っています。
ここで心配してくださる方もいて本当にありがとうございました。 今はすべての人にありがとう、感謝していますと伝えたい気持ちでいます。
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