手術からまる2ヶ月を過ぎた。
数日前から す〜うっという感じで楽に歩けるようになった。 もう 杖も持っていないし 階段もいけてる。 理学療法士は 日にち薬を「う〜〜ん……」という感じで肯定しないけど、 やっぱりそうなんだ。 まぁ 日々、お気楽に過させてもらってるお陰でもあるけれど、そこそこ穏やかな日常は一番の薬かもしれないなぁ、とつくづく思う。
週2回のリハビリと、主人が休みのときはいつもスーパー銭湯に行き、残りの日はプールに行き、と 数年前には想像も出来なかった毎日だ。
停年の65歳まで働くつもりだったパートも辞めてもうすぐ4年になる。 主人だって それこそ青天の霹靂だった転職をして丸五年が過ぎた。 これから先 いつまで元気でいられるかは分からないけれど、若い頃には気づかなかったいろんなことに思いを馳せて生活していこう。。。
初物のかますご焼きて生姜する
ほろ苦き菜の花和えて夫を待つ
パート仲間だった人で 9年くらい前にご主人を糖尿病で亡くされて 今は40代の未婚の息子さんと二人暮らしされている人から たまに電話がかかってくる。
その息子さんがあまり母親と会話してくれないし 嫁に行ってる娘も自身の生活が忙しいとかで 要は寂しいのと時間がたっぷりあるからと 私に電話してくるのだけれど、最近私はそれがうっとおしくてならない。
うだうだ その人の日常など聞きたくない。 でもその人は普通にいい人だ。 以前はそんなにイヤでなかったのだが この頃の私は何気にイラついているのが自分でも分かる。 私だってすごく寂しいけれど、それは自分の心の中で解決していくしかないと思っているから。
私も寄る年波で好き嫌いが激しくなってきて、だんだんと我儘になってきたのかなぁ。。。
週2回のリハビリに行くと 同じ頃に入院していた人に会うことも多い。
今日 お会いしたのは私と同じく膝に人工関節を入れた八十歳のおばあちゃん。 入院中にお互いの大きな傷跡を見せ合いながら 私が「もう ミニを穿けなくなってしまいましたね」 と言ったら 「そんなこと 何で決め付けるんですか」と反論された。 確かにそうで、穿きたければ穿いたらいいんだ、何て前向きなんだろう、と感心した覚えがある。
入院中のリハビリでも その方のほうが歩行器から杖への移行が早くて、私は18歳も年下なのに…とかなり落ちこんだ日もあった。
でも 今日 お話したら、階段がまだ苦手のようで階段をクリアできてる私はやっと年下の面目躍如した気分。。。
理学療法士の人に手術前の私の状態を見て、正直どこまで直せるかちょっと案じていました、と言われて入院中のリハビリが人より遅れがちを嘆いていただけにちょっとうれしい思いだ。
でも手術から2・3カ月くらいのリハビリが一番大事だそうで、日にち薬を望む私はマイナス思考なのか…という思いもある。
早く暖かくなってほしいなぁ。
麻生副総理の発言がマスコミ(マスゴミと言う人もある)や、いらないおまけのような野党だか何だかによって、またいじられようとしている。
あなたは どうせ死ぬなら楽に死にたいとは思いませんか? 苦しんで死にたいですか?
当り前のことだけれど人は必ず死ぬ。 どんな名医でも助けられない命がある。 そしてその時はいつか必ず誰にでもその順番がやってくる。
主人と私の4人の親を見送って、私も命に別状はないけれど昨年末に入院した。 そこでは脳卒中の患者さんも少なからずおられた。 ご主人を看護されておられた70歳代のご婦人が 「主人はいいですよ、私が看てますから。 でも私のことは誰が看てくれるんですか?」と声を詰らせた。
昨年 秋に 『大往生したけりゃ医療とかかわるな』 と 『母の遺産 新聞小説』 と 続けて読んだ。
この2冊の本の内容は全然違うけれど私は正に膝を打つ思いで読み終えた。
昔はどこかからだの調子が悪くなれば、当然食欲がなくなって物が食べられない状態になる。 点滴はもちろん 胃ろうなんてものはないから自然と餓死に近い状態で亡くなっていく。 ある程度の年齢になっていればそれこそ覚悟をすべきだ、と私は強く思う。
取りとめのない書き方と人によれば暴論といわれるかもしれないし 少々話がズレがちだけれど、私はさっさと死にたい。もし心肺停止したなら、せっかく止まった心臓に手をかけないでもらいたい。 延命なんて真っ平ゴメンだ。 だが 家族(・・・これも疑問・・・)や使命感ある救急隊の人たちの立場を考えると難しい問題だ。
でも麻生副総理の発言というか思いは今の日本が抱えている問題点といえるのではないだろうか。共感する人も多いはずだ。
きのうは母の祥月命日で 本当ならお墓参りに行かないといけないのに 3ヶ月ぶりの友との集まりを優先させてしまった。
連休だった14日に命日の前日だからダンナにお墓参りに連れて行ってもらうはずだったのが、朝から冷たい雨が降ってそれがみぞれになったりしたから、二人して足が遠のいてしまったのだ。
そういえば 9年前に膝の手術をしたのもちょうど1月15日の命日の日だったことを思い出した。
左膝にうっすらと残る9年前の傷跡と、くっきり残る術後1ヶ月半の傷と、寒さでこわばる膝をさするのがクセのようになってしまってる。
膝をさすりながら……母と私、私と娘のことをいつも思う。
少し前に読んだ新聞に次のような投稿があった。
小説を読むと友達が一人増えたように感じるときがある。気分が浮き立って、そいつのことを誰かに話したくなる。
ほんとうに私も同じ意見で、誰かとその物語について語りたくてしかたない。だが現実にはそんな人が回りにいるはずもなく、読み終えてからも私はその物語の余韻に浸りながら年甲斐もなく夢見る夢子さんでいる。
子供の頃から本が好きだったけれど、いつ頃からか歴史物ばかりを読むようになった。 それにはきっかけになった本がある。
澤田ふじ子 著の『陸奥甲冑記』 そして 佐々木譲 著 『駿女』や 諸田玲子 著 『月を吐く』 等……
澤田ふじ子 著の『陸奥甲冑記』 は きのうからBSプレミアムで始まった bs時代劇 火怨北の英雄 アテルイ伝と同じ人物が主人公だ。 ただBSに採用されている原作は高橋克彦 著の『火怨』だが、きのうのドラマは正直物足りない。。。 もうじき二年になる あの大震災を意識して東北の英雄が主人公のドラマを作ったのだろうけれど、私としては澤田ふじ子 著の『陸奥甲冑記』のほうを採用してほしかったなぁ、と 心から思うのだ。
きょうは七草。
ほんとうは母の炊いてくれたあずき粥を食べたいのだ。
今年のお正月はいろんなことをパスしているので ただの普通の寒い日が続いているだけのこと。
したいこと、しなければいけないことは いっぱいあるけれど 身体より気持がその気にならない。
暮れのご挨拶をしませんでしたけれど 本年もどうぞ宜しくお願い致します。
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