一日はほんとうに24時間もあるの? と思うくらい時間のたつのが早く感じられる。
昼間ボケ〜ッとしてたわけでもないのに、気がついたら夕方になっていて夕食の支度に追われるし、なかなか寝付けない夜でも時計を見れば1時間くらいは過ぎていることも多い。
孫だって去年の今頃は、何故かいろんな物の並べ替えというか入れたり出したり並べたりを繰返していた。 みかんもカゴからだしてテーブルに並べて、またカゴに入れてと繰返していたのに、今年は皮を剥くのが面白いらしくて好きなようにさせていたら2・3個くらいは剥いてしまっている。 私も孫の向いたみかんを食べられるなんて夢にも思わなかったもの。 まぁ…ばあちゃんのために剥いてくれたわけではないけれど、皮を剥いたみかんが何個かできたので食べただけだけれど。 わずか一年くらいで孫の成長も目を見張るものがあって、身をもって毎日の流れを感じている。
孫剥きし みかんを食べる感謝の日
秋雨や 膝を抱えて眠る夜
奈良町の 身代わり申や 片しぐれ
今日はどうしたことか知り合いにたくさん会った。
パート仲間だった人に 娘の同級生だった人のお母さんに 息子が中学生だったとき一緒にPTAの仕事をした人に パートしてたときのお客さんに そして会いたいなぁと思っていた女史会のメンバーに
それぞれ挨拶したり近況を話したり 次の女史会の相談したり おばちゃんの立ち話は少々見苦しいこともあるけれど 夫婦二人の静かな暮らしの明け暮れで、プールに行かない日などは朝主人を送って 主人が帰ってくるまで誰とも話さない日もあるから、きょうは刺激がイッパイで楽しかった。
正倉院展の混雑がだんだん辛くなってきたので、この秋は正倉院展には行かないで代わりに法華寺に行った。
ここは藤原不比等の邸宅跡を、光明皇后が伽藍にしたところで今は総国分尼寺だ。
今でも光明皇后は慈母のように伝えられているが、長屋王邸跡から発見された大量の木簡からはまた別な皇后の姿が浮かび上がってくる。 この木簡について話し出したら一年はかかるそうで、大学の講義でも3時間単位で話していると聞いた。
私も昔から歴史が好きだったわけではない。 図書館で何気に見についた『ある女官の生涯』と、光明皇后の母である『橘三千代』の物語が私を今まで興味のなかった世界へ誘った。 そしてそれらの物語の世界に登場する県に住まいしていることとが拍車をかけた。
そういう意味でも法華寺はかなりポイントが高い寺だ。 そして毎年秋季特別公開で光明皇后のお姿を模したといわれる十一面観音を拝見できる。 思っていたのよりは小ぶりな仏さまだった。 だけど不信心な私は観音さまよりも手水鉢に彫られていた天女だか仙女のほうが素晴らしいと感じた。
それにしてもほんとうにお寺参りは気持が落ち着く。 自分と対話しながら今回も心穏やかな半日を過した。
今年はちょっと違うけれど・・・
11月といったら晩秋のしっとりしたイメージがある。 道を歩いていたらカサコソと落ち葉の舞う音がしたり はらはらと枯れ葉が降ってきたりすると もうそれだけでこころが沁みてくるようだ。
だから・・・立冬の頃が一番好き♪
11月5日に必ず着いてほしい郵便物を持って郵便局に行った。
少し前まで覚えていたはずの年賀ハガキの販売がもう始まっていることに気がついて少数買い求める。
11月5日の1ヶ月前とか1週間前とか前日とか、そしてもちろん当日は私の気持ちはかなりな情緒不安定になる。 頭も働いているのか停滞しているのか要は上の空状態になってしまう。
大声をあげて思い切り泣き叫ぼうか……それともカラカラ笑おうか。。。
過ぎ去った9年の歳月は思いをまた新たにする。 会いたいよう〜〜〜。。。
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