一昨日も昨日もよく眠れなかった エアコンを入れていたから暑くて眠れないわけではない 原因は正直なところ分からない
夕べは168/106 今朝の血圧は181/106 あまりにも高いので測りなおしても 175/101 これくらい高いと後頭部が重い感じがしてふらつきというか目眩もある
一昨日によく眠れなかったことは ままあることだけど 夕べ眠れなかったのは 昨日の夜の死刑場公開のニュースに動揺したのだろうかと思う ニュースの途中で胸がドキドキして気分が悪くなったのだ だから きのうはほとんど眠れなかったのだろうか 私はこう見えても(・・・?)テレビ等の暴力シーンとか拷問の場面になると、トイレに立ったりわざと家事などしてその場面を見ないようにしている それくらい苦手なもので死刑場の公開という思いもしなかったニュースに驚いてしまった でも私は死刑制度に反対ではない 今は裁判でも何でも加害者の利益は考えても、無残に散らされた被害者のことを考えていない気がする
話しはそれたが 明日は私の父の祥月命日で、日曜日は混むからきょう、父の骨を納めたお寺にお参りに行くつもりにしていたのに、血圧が高いから止めておく まぁ血圧の高いのはこの暑さも一因だと思うけれど 今やっと薬が効いてきて 141/94 まぁこんなもんかなぁ・・・ でも きょうはプールも買物もパスして家で大人しくしていよう
午前中は国立博物館の『仏像修理100年』に行く。 仏像の実物大の頭部とか、明治時代の修理の頃なんかの自筆のメモなど普段は見れないようなものが珍しい。 東大寺南大門にある阿吽像の実物大の手と足、さすがですなぁ。 それと・・・ずう〜っと前に 今回展示されていた朱塗りの阿修羅像をどこかで、いや何かで見たような覚えが・・。
今までは旧館の奈良仏像館へすっと行けたはずなのに、地下のミュージアムを経るか、いったん外へ出ないと行けないなんてねぇ。 でも 地下のミュージアムは読みたい 欲しい本がどっさり! 思い出さなかった私が悪いけれど、ここにはキレイな奈良うちわがあった。 気がついてみれば東向きのお土産屋さんにも。 先日これを捜していて 結局見つけられなくて子供だましのような物を贈ってしまったものなぁ。。。
午後からは某大学教授の 『遷都1300年前の頃の新羅との関係』と言うお話を聞きに行く。 少し大げさに言えば目からうろこのようなお話もあったけれど、肝心なところは耳が悪くてはっきりと聞き取れない。 いつもそうなんだけれど・・結局は消化不良のような気分。。。 悲しいなぁ。。。
だからいつも、いつも本で読んだ小説の筋書きばかりが頭に残るのだ。 それはそれでいいんだけれどね。。。
お盆を過ぎたら暑さも山を越すだろう・・なんて思っていたけれど ここんとこの暑さに参って夜になれば いつにも増して 「あぁ きょうも無事に一日が終わりそうだ」と安堵する。
あんまり暑いからこの夏はアイスを2回ほど食べた。 私はかなりなお馬鹿さんなものでカキ氷やアイスなどの冷たいものを食べると、猛烈に頭が痛くなる。 ソフトケリームでさえもゆっくり舐めないとガンガンが襲ってくる。
で きのう連日の暑さで食事の支度も暑いだろう、という主人の有難いお言葉で餃子の○将へ行った。 店内はエアコンが良く効いてはいるけれど、私は主人がキライでふだんは作らない冷麺と餃子を頼んだ。 主人は餃子定食。 冷麺のたれが美味しいのと いわゆる上げ膳据え膳というか、食事の用意も後片付けもしなくてもいいという二重の楽ちんを味わえた (^0^)
でも気になったことが。 隣りのテーブルで小学生の男の子二人と幼稚園児らしい女の子を連れた若い両親が食事をしていたのだけれど、父親も母親もビールを飲んでいた。 私らの座った席は駐車場が丸見えだったからこの若いお父さんが車を運転してきているのをはっきりと見ている。 お父さんだけが飲んでいるのなら、帰りはお母さんが運転するのかもしれないけれど夫婦で飲んでいるのなら誰が運転するんだ。 連日の猛暑をみればそりゃぁビールも飲みたいだろうが 小学生の男の子はもうはっきりと事の善悪が判断できるだろうから、子供の前で飲酒運転などしないでほしい。 たまたま隣りの席に座っただけの見ず知らずのおばちゃんゆえに注意も何もしないで店を出てきたけれど、あの子供たちが自分らの親のことに気が付く日もあるのだろうか・・なんてふと考えてしまった。
日本では終戦記念日でも 韓国(北朝鮮も・・)では 光復節といって 日本の植民地支配から逃れた日ということになる。
『ホ・ギュン』という漢ドラのなかで 豊臣秀吉に責め込まれた朝鮮の人々が逃げ回る場面があった。 いずれも ドラマが言うところの民が苦労する場面である。
65年前・・私の両親は共に満州にいた。 父の遺品の中に旭日旗があったことや 母が引き上げの顛末を一切 語らなかったことなどが 年を追うごとに強く思われてならない。
最近 この8月22日で日本による韓国併合100年とかで『管談話』を発表するとかしないとかでいろんな意見がでている。
ところで朝鮮王朝第26代高宗の后で閔妃(ミンビ、びんぴ)が、宮殿に押し入った日本人に殺害されたことを多くの日本人は知らないだろう。 高宗の王妃に選ばれ、舅である興宣大院君との血で血を洗う戦いを繰り広げた末に勝利し、あまり政治に興味のなかった高宗の影から政治を自在に操り、日本によって悲惨な死を遂げる“鉄の女”とも言われている明成皇后という女性がいたのだ。 そしてその実行犯とされた外交官の三浦梧楼以下数人のものは形だけの裁判で何の罰も受けてはいないのだ。
私もそういった事実を知らなかった。 この春に 歴史教室の先生が主催された『坂の上の雲』を考えるという場で教えてもらって、正直驚いた。 そのときは今 何故 坂の上の雲なのか? 司馬遼太郎の歴史観を問う? というものであった。 明治政府が何をしてきたかということを、司馬遼太郎は何も書いていないというのであるけれど、私は先生には申し訳ないがただの小説として読んだらいいのでは、と内心は思っている。 だから角田房子 著による 『閔妃暗殺 朝鮮王朝末期の国母』も読んでみたが、私のような頭では一回読んだくらいでは理解できない部分が多いのだ。
私が理解したのは その明成皇后がロシアを狼、日本を狐と称して ロシアに傾いていったがために日本人に殺害されたのかなぁ、と思っているのだけれど、そしてその明成皇后を主人公とした漢ドラがあるのだ。 今 日々のテレビに飽き足らず ”ネットで借りてポストへ返却” してまで漢ドラにはまっているので、今のシリーズを借り終わったら明成皇后のドラマに移ろう・・と楽しみにしているのだ。
よく人の後姿はその人の真実を出しているという。
週に4日ほど行くプールの帰りは疲れているのと、買物をした荷物の重さとで とろとろよろよろ歩いているのは自分でも分かっていた。
今日も暑いし買物袋は重いしでゆっくり歩いていたら 「おばあちゃん、おばあちゃん」と 後ろから聞こえた。 確かにおばあちゃんだった。 おばちゃんではなかった。 でも私は自分のことだと思わないから 振り返らないでいたら また「おばあちゃん おばあちゃん」と聞こえてきた。 誰が言ってるんかと思ったがまだ自分のことだと思わないでいたら また「おばあちゃん おばあちゃん」と聞こえる。 その時 人通りはなかったので ふと私が何か落し物でもしたのかと、つい振り向いてしまった。
「おばあちゃん あっ、奥さん。。。」 「○○へはどう行ったらいいですか」
やっぱり私に言ってたんだ。 振り向いた途端に奥さんと言い直しはしたけれど 後姿では完全におばあちゃん! だと思ったんだろう。。。
確かに私には孫がいるからおばあちゃんに間違いはない。 でも見知らぬ人からおばあちゃん呼ばわりされる筋合いはない。 いくら私の後姿が老いて見えたとはいえ・・・ 何とも気分の悪い日になったことよ。。。
きのうの午後は黒い雲が出てきて すわっ・・夕立か! と あわてて洗濯物を取り込んだ。。。 ・・・でも空振り・・・ 水遣りも助かるぅ〜〜と・・・あぁ〜〜 ぬか喜びでした。。。
私が出した郵便物が戻ってきた 私製ハガキだったもので切手が貼っていませんって。。。 ふつうのハガキと勘違いして切手を貼るの忘れてました。 ハガキを書いてるときは切手を貼らなくちゃ、と思っていたんだけどね。
お風呂で シャンプーをしてたら今日のシャンプーは何故かあわ立ちが悪い ・・・ん・・・? なんでこんなにあわ立ちが悪いの? 髪が汚れてるから・・でも毎日ちゃんとシャンプーしてるのに・・・ と 改めて先ほどより多い目のシャンプーを出す。 やっぱりあわ立ちが悪すぎる・・でも指はスッと通るなぁ。 可笑しいなぁ・・・えっ・・・これリンスだぁ!
オーガニックコットンの手紡ぎ糸を買った。 玉巻きではなく カセになっているのでカセくり機を引っ張り出す。 別にあわてることもないのに 早く編みたいものだからあせって糸を絡ませてしまう。 いつまでたっても落ち着きがないなぁ。。。 (でもこういう作業のときはいつもあるひとつのことを考えているんだけど・・・)
切手を貼り忘れたことも シャンプーとリンスを間違えたことも あせって糸を絡ませることも 暑さのせいなのか、それとも私の老いなのか。。。
きょうは8月6日。 広島の日なのに私はのん気なことだなぁ・・・
うろ覚えですが・・・
だいぶ前 国営放送の朝ドラで『すずらん』というのがあった。 北海道のある駅で捨て子だった 萌という女の子がその駅の駅長さんに育てられて、親戚の言で一時は孤児院(古い言い方ですが)に入ったものの 無事成人して一男を儲けるも戦争で夫を亡くす。 その後 自分がある財閥と旅芸人の女性との間に生れたということが解って、その父親から一時は辞退した遺産をもらって保育所を経営しながら、息子夫婦と幸薄い子供たちと暮す、という内容だったと思う。
最近の小さな子供たちの悲惨な事件を見るにつけ、いい年である私はいつまでたっても夢見る夢子さんなもので、私に絶対ありもしない財産が転がり込んだら絶対そんな子供たちを救うためにお金を使いたい・・・と思うのだ。
パート仲間だったひとの娘さんが乳児院の保育士をされている。 その人の話しによると、やはり親から虐待を受けた赤ちゃんがとても多いとのこと。 ぱっと見ただけでは何もわからないけれど、オムツを替えようと開けたらそこには虐待のあとがはっきりと見てとれるそうだ。 そして 月1くらいの割合でそこそこ大きくなった子供に家庭の雰囲気を味わわせてあげるために、それぞれの自宅へ一晩連れて帰っているそうだ。 そのうち その子供はその保育士をほんとうの母だと思い、その保育士の両親をじいちゃんばあちゃんと信じこむようになっていって、その娘さんもある男の子に情が移ってしまって・・・ということを聞いた。
そういうことを聞くにつけ、私は今の政府の子ども手当てには反対だ。 いくら子供を社会で大きくしようといっても、それをのべつまくなく手当てを支給することではないと思うのだ。 主人の方の甥には子供が四人いて、それこそ必死で子育てしているけれど、それでも一律に手当てを支給するのは反対だ。 それより 施設の職員が足りないからと見落とされることのないよう、そして咄嗟のときに一時預かりができるような施設をいっぱい作ってもらいたい。 どうか せっかくこの世に生まれてきた いたいけのない子供たちが犠牲になるようなことだけは行政の力で防いでもらいたいと切に願うのだ。
|