16ヶ月の孫にはまだ何もできないから、孫が被写体になったお嫁さん手作りの可愛い敬老の日のカードをもらったり お墓参りに行ったり 中秋の名月に猿沢池の采女祭りに行ったりと 書くことはそこそこあったけれど パソコンの不調でイライラが頭のてっぺんまで達していた。
履歴の削除もしたし システムの復元もしたし デフラグもしたし 重たいかと思われるデジカメの画像も取り込んだ音楽もみ〜んな他に移したし、もう私の知識ではどうしようもない。
接続の確認とかいうのが出てきて、指示通りに操作して復元出来ましたというのに、それでもインターネットエクスプローラーではこのページは表示できませんとなったり、途中でいきなりデスクトップの画面に戻ったりもうお手上げ。
最近はパソコンの前に座ると肩こりというか背中も凝ってくるのでしばらくパソコンからお休みします。 これも回線がすぐに切れてしまうので、メモ帳に書いたものを調子のいい時をねらってコピペしたものです。
せっかく涼しくなってきたのにねぇ。。。
生来 かなりのなまくら人間で 暑いときは涼しくなってから 寒いときは暖かくなってからと 主に掃除というか家の片付けを後回しにしてきた。
食事の用意と洗濯は苦にならないが 掃除は大の苦手で掃除機をかけるあの姿勢が私には苦痛だ。 それでも専業主婦の立場としてみれば言い逃れもできないで まるで苦行のようなつもりでたまには掃除する。
ここ二・三日はめっきり涼しくなって 暑いから・・という言い訳も出来ないので掃除をせねばならないという強迫観念に取り付かれている。 イマまで生きてきたよりも残された時間のほうが少ないことは歴然としているので、それなりの片付けくらいはしておきたいとは思っている。
母が持たせてくれた嫁入りの布団も、打ち直しやら捨てるやらしてもう昔の形では残っていない。 着物も少しずつ形を変えている。 集めていた端切れも裂き編みにしてバスマットに作り変えている。 この裂き編みはかなりの糸を消費してくれるので手間はかかるけれど、在庫処分にはそこそこ効果を出している。
息子と娘のものもそれぞれプラスティックの容器を用意してそこに入れていってるので、子供たちが思ったときにはすぐに持ち出せるだろう。
主人が家のことを何もわかっていないので、私の入院グッズもいざという時のためにカバンに詰めてある。
本の処分もあるけれど少しずつ・・・少しずつ片付けていけばいいのだ・・と思いつつ、次はエンディングノートの準備だな。
歴史教室で友達になったMさんは私より六歳年下で そのMさんの誕生日が私たち夫婦の結婚記念日で そんなこんなで意気投合してずいぶんと仲良くしてもらっている。
飛鳥や吉野やアチコチ歩きに行ったときも 私が足の悪いことをよく知っているので 「しんどない?」 「大丈夫?」 「荷物 持ったげよか」 とか 何かにつけて私を気遣ってくれる。
そんな彼女のお父さんが亡くなられた。 新聞の地方欄にも載る交通事故で詳細はここでは書かないが 胸を強打されて亡くなられた。 81歳だったけれど 雨や雪の日でない限りは近くの山に毎日登り 帰りにパターゴルフをしてと、とてもお元気で過されていた。 私も一度 お会いしたことがあって孫にも慕われるなかなかの好々爺だった
人は必ず 浄土へ旅立つ日がやってくるけれど こうもあっけなくやってきた突然の別れはあまりにも悲しい。 気丈に喪主を務める彼女の姿が目に焼きついている。
朝顔や 今を咲ききる こぼれ種
秋風を 肌に感じる夜明けかな
ここ一週間ほどの 肩と首のこりと後頭部の重い感じに少々イラついている。 これは血圧が高いから・・ 姿勢が悪いから・・ 編物のしすぎ・・・ はたまた睡眠不足・・・
ただ 笑ってしまうのは食べているときとお風呂に入っているときは 症状がマシというか忘れているのだ・・・
それでも土曜日に行ったイベントでせんとくんと握手したよ!! 間抜けなのはその日に限ってデジカメを忘れて 携帯を持たない私はせんとくんと記念撮影ができなかった。
遷都1300年祭の公式テーマソングである 谷村新司の『ムジカ』という歌がとても気に入って 一日に何回も聞いている。 だって・・・私も名もなき道を行く名もなきムジカの花だもの・・・ うん・・・こころに沁みるいい歌だ。
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