昨年末 NHK 『坂の上の雲』を見た。 で その前くらいから 『なぜ 今 坂の上の雲なのか』 とか 『司馬遼太郎の歴史観を問う』 といったことが話題になっていた。 私は 勉強不足なことだが 『坂の上の雲』を 読んでいない。
読書が好きで 読んだ本がテレビや映画で再現されることはほんとうに楽しいことだけれど、時に脚本家の書く筋書きが原作本から大きくズレルことも多い。 そういう気持ちから 『坂の上の雲』を 読まなかった言い訳にしていた。
歴史教室の先生が いつもの歴史教室と違う場で『司馬遼太郎の歴史観を問う』 という勉強会をされているとのことで参加してきた。 15人足らずの少人数の集まりだったけれど、なかなかホンマもんの活動をされているグループだった。 朝鮮近代史研究の一人者だという某大学の名誉教授が出されている資料をつかっての読み合わせと意見交換だった。
詳しいことも私の意見もここでは書かないが 日本が朝鮮にしたことを書かない。しかも、朝鮮人がどういうふうに自分たちの民族のために立ち上がったということを書かない。これが『坂の上の雲』の一番の欠陥です。ということだった。 あのテレビを見て元気な明治時代、今の日本と同じように新たな価値観の創造に苦悩・奮闘したという感想になってはいけないということだった。
私は 正直 ただの小説・テレビドラマと見たらいいのではないか、と思ってはいるけれど外国人の参政権も話題になってきた昨今ゆえに、重いテーマだなぁ・・と感じた。 そして私は 秋山兄弟よりも正岡子規・兄妹の描き方のほうが気になる。
雨の夜明け。
ひとつふたつ気がかりを抱えた日々は何となく心落ち着かない。 季節に合わせたわけでもないが何気に停滞モード。
髪の生え際・・2センチほど、筋をひいたような白髪・・ うっとおしい・・ ほんとうは白髪染めなどしないで、母のようにキレイな白髪頭に徹してみたいと思いつつ・・自分から老けることはない、という友達の声に押されて染めてしまう繰り返し・・
自治会主催の応急手当講習会に行く。 基本的な心肺蘇生法やAEDの使用方法を教わった。 市内の主だった場所に設置されているAEDの確認もする。 真面目にすれば心肺蘇生はうっすらと汗をかくくらいのものだった。 後日 消防署から修了書をいただけるらしい。
9月には防災グッズの説明会と消火訓練もあって、これは主人に参加してもらった。 そして11月にはDIG図上訓練というのもした。 これは自分の住んでいる地域の地図を広げて図面上での非難経路を確認するというものだった。 地域の防火水槽の場所も確認した。
今回も数名の消防署の職員が同席しての本格的なものだった。 スーパーでパートしているときに、何回も避難訓練や消火器の取扱い方も教えてもらってはいるけれど、人間は忘れる動物のようで繰り返しの訓練が必要とのことだった。
でも わが自治会も社会の流れと同じで高齢者が多い。 中には心肺蘇生がうまく出来ない人もおられた。 私も真剣に取り組ませてもらったし、最近の寒さのせいか膝の調子がよくないので少々疲れた。
主人のいらち(関西の方言で短気というかせっかちのこと)は承知していたけれど、孫のこいのぼりを買いにいこうと言う。 私は 「まだ一月だしお雛様はあっても男の子の五月人形とかはまだだと思うよ」と 言うが俺みたいな人間も多いはずだと譲らない。 で どうせヒマだしということでトイザらスに行ってきた。 案の定 お雛様はたくさん並んでいたけれど店員さんに聞いてもまだ展示しておりませんって。
それでも夫婦して別々に店内をうろうろしていた。 何を見つけたのか主人が「これをYに買おう」と言ってくる。 プラスチックのレールを並べた機関車だった。 息子の好きだった機関車トーマスが2歳児からを対象にした室内での乗り物になっている。 まだ8ヶ月半の孫に今から買っておくのだと言う。 五月の初節句に身体を支えてやったら乗れるだろう・・と言うのだ。
お正月にしっかりお座りできて 立たせたら足を突っ張るものだから、5月にお誕生日がきたら歩き出すだろうという逸る思いからのことのようだ。 それまでに試運転しないとなぁ、とすっかり孫と遊ぶ気まんまんのようだ。 「これ見たらYはどんな顔するかなぁ、何か分からんから泣くかもしれんなぁ」 と期待と不安が主人の胸のうちで交差しているようだ。
それにしても・・これからも どんなじじばかを見せてくれるのだろう・・と私は可笑しくてならない。 「5月まで内緒やぞ、しゃべったらアカンぞ」 「ハイハイ!」
よく十年ひと昔と言うけれど 今日は母の祥月命日でちょうど十年たった。 お墓参り用のお花ではなく 菜の花と水仙を買ってお墓に挿してきた。 きょうも冷たい風の吹く一日で、ふと十年前のお天気はどうだっただろう・・と思うが全然記憶にない。
お寺の奥さんがいれてくださった熱いお茶に一息ついた。
命日や 水仙買いて母偲ぶ
餅焼けば 父母思うこの頃や
干し芋が 甘く香りて 母笑う
どちら様も寒中お見舞い申しあげます。
角地で安普請の我が家では 暖房がこたつだけだと家の中にいても手がかじかむ。。。
冬眠したい Z Z Z zzz ・・・・・
68分58秒・・・約1時間10分だな。 要介護5のご主人をもう十年近くも自宅介護している義姉と電話で話した。 主人の次姉であるこの人の人生を思うと私なんぞは何と楽な道を歩いていることか、といつも思う。
ひとそれぞれの人生を比べることは決して出来ないけれど、それでもこの義姉のバイタリティにはいつも感心する。 もうじき71歳の義姉自身にも持病があって今ではひとりで外出もままならない。 家の中では何とか歩けるらしい。 訪問介護の看護士とヘルパーさんに助けを借りての老々介護だ。 だから主人は時折この次姉の様子を見にいっているのだ。
電話の話の内容はいつも主人が尋ねてきてくれることのお礼と日常のグチだったけれど、義姉が言うにはこういうグチを話せる相手のいることが介護を続けられるというのだ。 私とは義理の間柄だけにお互いが若い頃には正直ぶつかることもあったけれど、人間老いてきたら自分を飾らないで本音で話のできる人が必要だ。 義姉はその対象に私を選んでくれたようだけれど、私の正直な気持ちとしてはチト荷が重い。 でもなぁ・・・。 私なら要介護5の主人をこんなに長い間親身に世話できるだろうか・・という思いがおぼろげにある。 だから出来る限りは話相手になってあげたいと思っている。
今日から主人も仕事でいつもの日常が戻った。
お正月そうそうから夫婦でお通夜に行く。 自治会の前会長の奥様がお正月に亡くなられた。 今期は自治会の役員に当っているし、前会長には主人が草野球の監督をしていたときに随分とお世話になっている。 亡くなられた奥様がお好きだったのか・・ピンクのスイートピーがたくさん飾られていた。 生病老死は世の習いとはいえ・・・こんな寒い冬のお通夜のお守りはさぞかし大変だろうなぁ。
大晦日にいきなりリビングの片側の電球が切れてほの暗いお正月を過ごしていた。 きのうやっと電球を買ってきて本来の明るさになった。 初詣の帰りにスーパー銭湯にも行ったし、専業主婦になってからの初めてのお正月はほんとうにゆっくりさせてもらった。 きょうからはまたプール通いも再開する予定。 とにもかくにも健康でつつがなく、つつがなくそれだけを祈る。
自分にな なまけるな おこるな いばるな あせるな くさるな おごるな
右條々自戒自守
東大寺第207・208世別当 清水公照
あけましておめでとうございます。 本年が皆様にとって素晴らしい年になりますように。 都合のいいマイペースで更新していきます。 どうぞ宜しくお願い致します。
ひむがしの野にかぎろひのたつ見えて かえり見すれば月かたむきぬ
柿本人麻呂
毎年 旧暦の11月17日に『かぎろひを見る会』が催される。 この冬は2010年の元旦と重なって、さらの平城遷都1300年祭の幕開けに相応しい暁明けとなった。
午前3時 少し月食のかかった満月を見て出かけたけれど、1時間少々で着いたかぎろいの丘万葉公園は横殴りの雪が降っていた。 宇陀市の観光協会から阿騎野汁と黒豆パンの配給があり、暖をとるためだけではない大きなやぐらが自然の火熾しによって火柱を立てた。 結局 天候不良でかぎろひを見ることはできなかったけれど、古代衣裳を身に着けた人もいていにしえの雰囲気は大いに味わえた。 そしてかぎろひを見る会の日に特別の早朝営業で近くのあきのの湯というところで身体を温められた。 元旦の早朝から奈良の温泉に浸かることができて、何ともうれしい新年の幕開けを迎えられたと思っている。
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