以前にも書いたことがあるのだけれど 暑中お見舞いというのは梅雨明けしてからのものだという意識が私にはある
で 今年の暑中お見舞い状だけれど、まだ梅雨明けしていないので出せないでいる。 もう明後日は8月だ。 7月31日までの契約の短期アルバイトで何気に忙しいことも出せないでいることもあるけれど、 梅雨明けず 惑う季節の便りかな なぁんて句をつけて出してみようかな・・と 思ってみたり・・。
それにしてもよく雨が降る。 海や山のレジャーを当て込んでいる人たちには恨めしい天気だろうなぁ。 友のいる県ではひどい被害がでていて気を揉んでいる。
でも我が奈良県では『まほろば総体』として インターハイ開催中だ。 ゆえに駅でもどこでもジャージや見慣れない制服姿の高校生がイッパイだ。 みんな真っ黒に日焼けしていて溢れる若さを振りまいている。 きのう一昨日は皇太子殿下も県下にお見えになっておられるようで、私服制服取り混ぜた警察官の姿で駅なんぞは少々異様な感じ。 そこにカメラを担いだマスコミ関係の人も加わってよけいに暑苦しい。
主人には二人の姉がいるが、70歳になる次姉は要介護5のダンナさんを ヘルパーさんの手を借りながら自宅介護されている。 それで主人は仕事の帰りに時々この次姉の様子を見に行っている。 きのうも仕事帰りに寄ってきたようで私に次姉からのお土産があった。
手作りのパンツ(私の時代ではズボンと言う・・)と、孫の写真を入れるこれも手作りの小洒落た箱と。 パンツは3枚もあってどれも今の時期に穿きやすい短めのもの。 そしてダンボールの箱は果物が入っていたものにキレイな和紙を貼ってある
要介護5ということは日常の何もかもが人の手を煩わせるということ。 そんな介護の明け暮れの毎日にちょっとした息抜きのために、ミシンをかけ編み針を動かし小さなしっかりした箱を見つけては買い置きしてあった和紙を貼っているらしい。 そういえば縫い物や編み物はアドレナリンが排出されてストレス解消になるということを最近知ったばかりだった。 だから昔の女の人が夜なべ仕事に針を持つことは貧しさや何気に暗さを思うけれど、案外おんな達の慰めになっていた・・ということも、森南海子さんの手縫いの本で知ったばかりなのだ。 かく言う私も編み物をすることでずいぶんと癒されているのだ。
次姉は自分の様子を訪ねに来てくれる弟に感謝しながら、その弟を支えてくれている弟の嫁である私に自分の気持ちを伝えたかったようだ。 ・・・・・ちょっと照れくさい重い気持ちも正直あるけれど、若い頃のいろんないきさつを思うと・・やはり人の気持ちって変るのだと・・。
年寄り叱るな行く道じゃ、という言葉がある。
そして姑と私の父がよく言っていた 「その齢にならんと分からんことがある」という言葉とともに 頷くことが多い最近だ。
口には出さないけれど・・出せないけれど 心のなかでは言い訳ばかりを繰り返している。 そしてそれは 別の言い方をすれば 「分かってほしい」 ということになるのだ。
改めて自分のことも含めて 人の気持ちほど難しいものはないなぁ・・。
今 誰かに趣味は何か・・と聞かれたら迷わずに読書と答える。 日々の慰めにも似た編み物を差し置いてである。 で 最近芥川賞と直木賞が決まってしばらく前から他の候補の作品とともに本屋さんに並んでいるけれど、今の私はそれらを横目に見ながらも歴史物に夢中だ。
ある歴史上の人物がいたとして、男の作家と女の作家では見方が違うし私にはとても理解できないような日本書記などの解釈もその作家の主観で物語にしてくれる。
持統天皇に謀反の罪をきせられた大津皇子にしても、そして草壁皇子のことも・・。 そんなわけで私は飛鳥時代というか奈良時代をさまよっている・・。 ほんとうはそんな権力に近いところにいる人たちよりも、私のようにごく普通にその日を送る市井の女の物語が好きなんだけれど。
新刊とか話題の本を追いかけなくてもいいということも楽な気持ちでいられる。私のペースで今、読みたい物語にとっぷり浸かっている。
近畿地方はまだ梅雨明けしていない。 でも 一昨日からのお天気は梅雨明けしたかのようでとにかく暑い。
暑い暑いを連発しても涼しくはならないのでそれなら・・と、一念発起して障子の張替えをすることにした。 去年の暮れは私の勇気と決断が足らなくて破れ障子でお正月を迎えてしまったが、8月になったら孫が初めて我が家にやってくるのでばあちゃんは頑張ってしまった。 新しい障子紙もちゃんと用意してあったのでほんとうに私の勇気と決断だけだったのだ。 カーポートで障子を水洗いして昼前にはもう乾いたので午後から張り始めた 汗だくになりながらの作業はかえって気持ちいいものだ。
まぁ 所詮家事なんて自己満足の世界だけれど、明るくなった息子の部屋に孫を寝かせるのだと思うと感慨深いものがある。 何か一つくらいおもちゃでも用意しようかしら・・。
きょうは東京都議会議員選挙の投票日ではあるけれど 奈良市の市長と市議会議員選挙の日でもある。
その中に十年前に亡くなった母が熟年離婚したとき、たいへんお世話になった方がおられる。 駅などで選挙演説をされているときにワタシから近づいていってお礼を言い、応援もしたい気持ちでいるけれど足を踏みとどめさせる気持ちが正直なところある・・。
母が亡くなって満中陰も済ませて、生前の母がお世話になった方へ家族葬だったから母の死を知らない数人の方へお礼の手紙をだした。 母はとても人受けのする人で割りとささやかながら心のこもったお付き合いをしていた人も多くて、ワタシは手書きのお礼状にちょっぴり疲れたものだ
皆さん 母の死を悼んでくださりお返事もいただいたのだけれど、そのお世話になった市会議員さんだけがお返事をくださらなかった。 きっとお忙しいのだろう・・ということにしてきょうの日になったのだけれど、前回は気になかかった選挙が今回はやけに気になるのだ。 理由は分からない・・。
そして市長選挙だ。 来年は平城京遷都1300年祭という大きなイベントがあるのに、現市長は再出馬されないのか? こんなある意味、世間の眼をひくビッグイベントが控えているというのに何か考えというか思うところありだろうとは思うけれど・・。
衆議院選挙も控えていて何かと世間は姦しいけれど、これから日本はどうなっていくのだろう・・と、ワタシではどうしようもない孫の将来も気になって仕方がないのだ・・。
ささやかな自分への贅沢のつもりで ある手芸メーカーの小冊子を愛読している。
そこには読者の渾身こめた作品が紹介されてあって なかには八十歳を過ぎても老眼鏡なしで編みました、と素晴らしい作品が掲載されている。 ・・・そして、振り返った我が身・・・ もう老眼鏡なしでは何もできないようになって いろんなことも重なって自分の将来が不安で仕方がない。
そうは言っても ケセラセラ・・みたいな気持ちも大いにあるのだけれど、 孫が昼間はご機嫌さんでも夕方になったらグズるように ワタシも人生の夕方に差し掛かってグズっているのだろうか。
そこそこ生きてると 当たり前のように代わる毎日にいろいろな思いがある。
去年はああだった・・ 3年前はああだった・・ 10年前は・・
きょうは七夕。 奈良駅周辺の商店街は七夕飾りがとても目を引いて 毎年こんなだったかなぁ・・なんて。
そしてワタシは・・ 7年前のあの日に向ってまたカウントダウンしてる・・
伝えたいけれど 伝わらぬ思いに 空 見上げても こ た え は無い・・
2ヶ月か1ヶ月くらい前に手芸の雄鶏社が倒産したことを知った。 えっ・・なんで・・いきなり・・というのが正直な気持ちで、 多少でも手芸やってる人なら絶対知ってる出版社だし、 ワタシもずいぶんと参考にさせていただいたものだ。 これからは雄鶏社の編み物の本が手に入りにくくなるのだろうか・・ と、ネットでいろいろ捜している。
それで手に入れた本で秋口から編むべビーものをあれこれ思案している。 手芸店のセールも楽しみで そのためにも今は倹約の忍耐の日々であることよ!
初めて孫の夢をみた。
寝返りを覚えて それが面白いのか何度もゴロンゴロンと寝返る夢だった。 そして一番最初に覚えた言葉が『ママ』で ママを連発していた。
きのうで産まれて2ヶ月が過ぎた。 早く「ばあちゃん」と 言ってくれないかなぁ‥‥‥
キーボードの調子が悪いから一言日記。。。
短期で行ってる他店でのアルバイト‥‥‥ まるで仮住まい‥‥‥ 居心地の悪さは最高!!
そして‥‥‥ 老眼‥‥‥進んでる‥‥‥?
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