パートを辞めて3ヶ月が過ぎた。 きょうが最期の営業日という日にN店長に呼ばれた。 他店であるイベントの短期アルバイトを一人だけ募集してるんやけど行ってくれへんか、ということだった。 このN店長は割りと私の接客を評価してくれて店代表の接客コンクールにも推薦してくれた人だ。 事務所の社員さんたちにも私の接客が上手いと話していたようだ。 そんなこともあって他店で一人だけ募集していたいわゆるマネキンさんに私を推薦したようだ。 私自身はパート仲間にもあまり話していないけれど耳が悪くて聞き取りにくいので接客は正直、苦手だ。 だけど私の気持ちとしてはN店長がわざわざ私を名指ししてくださったものを断れない気持ちでいる。 その他店から確認の電話があって失業給付を受けていることも話してなおかつその範囲内で、ということだった。 ハローワークに話したら、短期ということだし失業給付を受ける権利が生じた日から一年以内に収まるのなら先延ばしにできるということだった。 N店長がかなり私を買いかぶっておられるだけに・・・正直どうしたものかなぁ。
明日 5月28日は在原業平の命日になる。 歴史に興味をもつようになってからは、いろんな歴史上の人物ゆかりの地を訪ねるのを楽しみにしている。 それで 数年前に5月28日が在原業平の命日だと知って手帳に書き留めておいた。業平忌という名目の法要が不退寺で行われるので奈良に住んでいるからには一度は訪れたいとかねがねから思っていた。 それでも何かにつけ失念することばかりの日々ゆえいろんな行事が済んでから思い出すことも多いのだ。 そして明日の業平忌だけれどパート仲間と別な約束をしてしまったので、明日は行けそうにない。 特別な法要を目の前で見るチャンスなのにと思ったけれど、仕方がないので今日出掛けてきた。
・・・こじんまりとしたなかなか赴きのあるお寺だった。 本堂で聖観音や業平画を見て住職の説明をうけるが、これが何をしゃべっておられるのかほとんど聞き取れない。 できたら別な人の説明を聞きたいものだ。 そして野あざみや黄しょうぶ、ムラサキシャガやマーガレットがほんとうに自然に咲いている。
平安時代名うてのプレーボーイだった業平さんだけれど、歌の名手でもあられたのできっとその頃はお寺の周りには何もなかっただろうし・・季節の花々を前にしてさぞかし・・ ふと風の音にまじってさらさらと筆を走らすそんなお姿を想像してしまっている・・
またもや 尿路結石で1泊2日の入院となった。 先月も木曜日で今度も木曜日だったからか、入院した病院の夜間担当医は同じT医師だった。 私はこのT医師に少々不信感をもってしまった。 先月 救急外来で受診したとき 「何でこんなに痛くなるまで放っておいたのか」 と 責めた。 でも今までこの病気に罹患したこともなく、しくしくとした不快な腹痛はあってもそれはたいていの人が日常で経験するものだと思うのだ。 夜の十時過ぎに急な腹痛に変わって夜間の救急外来を経てきた患者に言うことか。今まで経験したこともないような疝痛でわらをも掴む思いで受診しているのに、患者と目をあわすこともなくパソコンに向って話しながらカルテを入力していたっけ・・。 看護士も先月と同じ人でこの二人はペアを組んでいるのかと一瞬思ったけれど、この人はそれなりに親切な対応だった。 が T医師はここに書きたくない理由で今回もまた私の気持ちを逆なでた。 途中でもうどうなってもいいから帰ろうとさえ思った。 でも主人が 「ここまできてそんなことは言うな」 というから、一晩その病院でお世話になった。 ただ いつも降圧剤をもらってるかかりつけ医、そして泌尿器科の担当医、そしてこのT医師と、うまく言葉にできない違和感を感じてしまった。
昨日の画像による診察では結石はまだ健在のようだ・・。 入院中にもらった説明書きによると尿路結石も生活習慣病と大いに関係があると書いていた。 それも私には不信なことだ。
☆肉の食べすぎ(カロリー過多) 最近の我が家は緊縮財政もあるけれどほとんど肉を食べていない。 食間のおやつも食べないし、クリスマスや誕生日やその他の記念日さえも ケーキ類は買っていない。野菜を多く取り入れてバランスのよい食事、常にカロリーを気にする生活を心がけている。 ☆アルコールの飲みすぎ 週に一回くらい缶ビールを一缶飲むくらい。
☆カラダを動かさない パートを辞めてからは週に3・4回はプールに行っている。 免許を持たないからたいていの場所には歩いて行く。 だから買物も重い荷物を持って帰る。
何やら言い訳めいているけれど、これで生活習慣病だと言われたら立つ瀬がないと感じるのだ。 だとすると今何かにつけて言われるストレスなのか・・。 ただ母も下の弟もこの病気に罹っているので遺伝も関係しているのかなぁ。
(いし) 生き様を知らしめるのか 下りぬ結石
病えて それゆえ思う生きるとは
もう5月も半ばを過ぎて夏日もあったりしたけれど、家の中は寒くて恥かしながらまだホットカーペットをしまえないでいる。 上半身というか顔は時に暑くて辛い日もあるけれど、足・・膝から下がとにかく冷える。 そんなわけでホットカーペットがしまえないでいる。
あと10日もしたら6月だ。 梅雨寒というのも聞いたことがあるけれど、この中途半端な寒さも原因なのか新型インフルエンザ大流行である。 息子の住んでいる市も感染者がでたようで、さりとて新生児の孫にマスクはつけさせられない。 神戸・大阪とそして奈良も射程距離なのだろうなぁ。 奈良から大阪へ通勤通学してる人ものすごく多いし・・。 神戸だって3月20日に阪神なんば線が開通して、三ノ宮も通勤圏になった。 数年前に大阪の堺市でO157が猛威をふるったことがある。 なぜ 関西ばかりが・・。
おくればせながら 映画『おくりびと』 を見た。
主人公の納棺師という耳慣れない職業がクローズアップされたような感があるけれど、いつか必ず誰にでも訪れる死というものの人と人との繋がりがテーマなのだと私は思うのだ。 親子、夫婦、地域、職場での人と人との繋がりを考えさせてくれる映画だった。
作品の中で 『石ぶみ』と 言って 自分の気持ちに近い石を見つけて大切な人と交換するというのがあった。 主人公は幼い頃に別れた父とたった一度だけ石を交換して、それを密かに大事にしまっていた。 そして最期に孤独死した父に納棺師としての仕事をするとき、その父の硬直した手には自分が幼い頃に父に渡した石が握り締められていたのだった。
そして折に流れるチェロの演奏も 山形の美しい自然も素晴らしいものだった。
昨日 銀行でお金を下ろした(・・はず・・) 下ろしたお金と明細書を確かにお財布に入れた(・・はず・・)
きょうはハローワークで求人情報閲覧しがてらパート仲間とランチの約束をしていた。 出かける支度のときに昨日 お金を下ろしたことを思い出して財布を見たが無い!! キャッシュコーナーの取り出し口から抜き取るのを忘れた・・? わぁ エライこっちゃ・・どないしよう・・ あの時 確か通帳と明細書だけを財布に入れた・・ そしてその明細書を見たら暗証番号か金額が間違っています、もう一度やり直してください、とある。 昨日は何を考えていたのか、お金を下ろしに行ったにの出てきた明細書を確かめもせず財布に入れたってこと・・ なぜ お金が出てこないのか確かめもしなかったのか・・
まるで夢のようなホントの話・・ 要は私がボケてるってことなのか・・
もし こんなことが続くようならば生きていくのが怖いなぁ・・
よく言われる病は気から・・そんな言葉があたまの中を駆け巡る。 気持ちの持ちようというか、たいていのことは自分の心が決めるというが 因果応報とか輪廻転生とかそんな言葉もあたまの中でチラチラする。
今朝からの下腹部の異様感は結石の疝痛の前触れか・・。 いつものかかりつけ医のところへ行って点滴をしてもらった。 4×2ミリの米粒大の結石はこの医師に言わせたら一番厄介な大きさなのだそうな。いつまたあの痛みが起きるのか・・そう思うだけで震えがくる。 解決しない気がかりが結石に姿を変えているのだと・・私は理解しているのだけど・・。
さりとて私の定額給付金はすべて孫の毛糸代に消えるほど編み物三昧の静かな日々で 「何を思うことがあるのか?」 というのが主人の言い分。 急な蒸し暑さも軟弱な私の苦手とするところ。 好きな読書も進まない・・。
パートを辞めたから母の日のことは失念していた。 例年は売り場作りやらラッピングやらで忙しい思いをしていたけれど 今年はそういうことでは静かな日々を送っていた。 だから息子夫婦からカーネーションの花かごをもらってびっくりしている。
今年は何といっても、初孫の誕生でこれ以上はないというビッグなプレゼントをもらっているのにお花までもらって何とうれしいことだろう。 主人はお花を見て二週間くらいはもつのか、と言うので 「上手に管理したら来年も再来年も咲くよ」 と答えた。 「ふうん、あんたはいいなぁ」 と少々うらやまし気。
きのう おかげさまで母子ともに退院したが 孫の体重が生れたときの2860グラムに戻らないでなかなか増えない。 まぁ あまり体重のことは気にしないでのんびり育ってくれればいいとは思うけれど、本音とすればちょっと気になるかなぁ。
きょうは私の腎盂造影の検査の日。 まれに副作用があるとかで検査の同意書にサインさせられた。 放射線室の看護士にも同意書にサインしました? なんて 聞かれてちょいと不安になる。 私 自慢じゃないけど図体が大きい割りには怖がりなんよ! 医師にも看護士にも念を押されたら余計に怖くなるじゃん!
でもまぁ造影剤の点滴が始まっても何ともない・・ かなりポピュラーな検査らしいけれど 「イマどきのことゆえ・・」 同意書にサインもらっているんだって。 検査の結果は残念なことにまだ結石は下りていないようだ。 5日間の入院中に2個の結石が下りたけれど まだ4×2ミリくらいの結石がはっきりと映っている。 あぁぁ・・だとすると、またあの痛みが起きる可能性があるということか。 そういえば私、捨てられない・・というか物持ちいいもんな・・ 主人が言うように私、粘着質だもんなぁ・・
きょうは主人が初めて孫と体面した。 見かけによらずテレやの主人は私の勧めでやっと重い腰を上げた。 世間では父親でさえもなかなか実感がないと言うけれど ましてじいちゃんとなれば尚更で感想を聞いても「別に・・」という返事。 それでも「なかなかしっかりした顔してるなぁ」 と 身びいきの感想。 きのうはおっぱいを貰っているときに同席できたけれど きょうはよく眠っていて抱っこもできなかった。 まぁ先が長いのだから・・と あきらめて家路についた。 それでも きょうの沐浴でへその緒が取れたそうで、病院にいる間にキレイに取れてよかった。
すこし前から編みだしたベビードレスを編み直すことになった。 参考にした本は冬の毛糸になっているけれど、これからの季節だとコットンの糸だからゲージも計算したつもりなのに袖付けが合わないのだ。 全部編めているのに袖ぐりだけ合わないので見頃の脇の部分から編み直すことにした。 退院には間に合わないけれど、お揃いでボンネットとソックスも編めばお宮参りには着せてあげられるだろう。
孫も産まれてきょうで4日目。 わずかな日にちでもだんだんとしっかりしてきているように思うのだ。 私がはるか昔に出産した頃は、第二次ベビーブームとかで病院もあまり細かなことはできなかったのか、約一週間の入院中に赤ちゃんにはほとんど接することが出来なかったように記憶している。 おっぱいを飲ませる練習とかで二度くらい我が子を抱かせてもらったくらいだろうか。 今回 お嫁さんの出産した病院は母子同室ということで、私も何度も孫を抱かせてもらえてる。 でも 帝王切開したお嫁さんは疲れがでたのかきのう、おとといと熱を出して赤ちゃんから遠避けられていた。 きょうは熱もさがったので再度、おっぱいを飲ませる練習を兼ねて母親のベッドサイドに来ていた。 母親も赤ちゃんもまだ馴れないのかなかなか食いつかない。 お嫁さんは 「がんばれ! 頑張れ!」 と 赤ちゃんに声をかける。 私も「しっかり飲ませてもらいね」 と 食い入るように見ている。 それでも しばらくしたらおっぱいの乳臭いとまではいかない何気にあたたかなにおいがしてきて、お嫁さんと顔を見合わせて笑いあった。 泣いているときもおっぱいを飲んでるときも、小さな足の先まで力を入れていて体中で生きていることを表現している。
それにしても初孫を見ていることのなんて幸せな時間なのだろうと・・ つくづく思うのだ。
とうとう念願のばあちゃんになりました。
5月1日 2860グラムの男の子が 帝王切開で無事産まれて お嫁さんも元気で忘れられない一日になった。
私は50を過ぎた頃から 「若いおばあちゃんですねぇ」 と 言われるのが夢だったけれど 58歳になってようように念願のばあちゃんデヴューできた。 息子が結婚してからは いまどきのことゆえ いくら親だとしても 「赤ちゃん まだ?」と 聞けるはずもなく お嫁さんに さりげなく夏みかんを出すこともできず 一日千秋の思いで孫誕生の日を待っていた。
きのうは帰るときに 「Tちゃんのお陰で孫の顔を見ることができました。 ほんとうにありがとう」 と言ってきたけれど きょうも そこそこに家事を片付けて・・と いうか手につかないから・・赤ちゃんの顔を見に病院へ行ってこよう。
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