思いがけず4泊5日の入院生活を送ってしまった。 私はふだんから鈍痛というか おなかの痛む日が多かった。 (おなかに限らず頭からあちこちの関節やらハートやら・・ん・・?・・)
木曜日の夜にいつもより重いようなおなか痛で早めにお布団に入ったけれど、10時くらいから我慢できない痛みに変ってきた。 まだ10時だし明日の朝まではとても耐えられそうもないし、吐き出すしで主人に電話してもらって市の休日夜間診療所へ向った。 そこでは応急の処置しかできないからと、担当医師の判断でそこから救急車で輪番になっている病院に向った。 痛みは最高潮で余りの痛みのために身体は震えてくるしで生きた心地がしなかった。 で 着いた病院での診断は尿管結石。 幸い手術まではいかなかったけれどCTには はっきりと4ミリくらいの白い結石が写し出されていた。 この石はいつ降りるか分からないということで5日間入院して、あとは様子見ということになった。 薬で降りてくれればいいのですが・・という診断。 私にすれば尿管結石という病名は知ってはいたけれど、まさか私がという気持ち。数年前に主人の野球仲間がこの病気で亡くなっておられる。 亡くなられたとき余りの痛みで、下唇をきつく噛み締めておられたのか喰い込んでいたそうだ。 私も余りの痛みでこの先に死が待っているのかな・・なんて思っていた。 それにしてもいろんな病気を抱えて情けないなぁ・・とつくづく思う。
そんな中 お嫁さんも臨月になったばかりだというのに、おなかの張りがきつくていつ破水するかもしれないからと入院した。 逆子なのと前置胎盤とまではいかないけれど、胎盤の位置がすこしズレていて子宮口をふさぐからと帝王切開することになっている。 お嫁さんも姑である私も入院してて、 「お互い ヨメはんが難儀やなぁ」と 主人と息子は話していたらしい。 結石を抱えた私はこの調子ではあんまりお嫁さんの力になれない。 ほんとうに情けないなぁ・・と落ち込むことしきり・・。
それでも 明日は主人とお嫁さんの様子を見に行く。 私のことはさておいて ただただ無事の出産を祈りたい!!
私はかなりな頻度でタメ息をつく。ついているらしい・・・。 自分ではそれが私のクセなのだと軽く思っているのだけれど 夕べも自治会費の集金で残っていた2軒分がやっと徴収できて こたつに座ったとたん大きなタメ息をついたようで ダンナになんでそんなにタメ息つくんやと言われた。 自分では意識していなかったけれど、そういえばタメ息ついたなぁくらいなもので「自治会費の徴収が済んだからホッとしたんやわ」と 返事した。
パートに行っているときも バックルームで人に聞こえるくらいの大きなタメ息をつくことも多くて 「そんなにタメ息ついてたら幸せが逃げるよ」と 言われたことも多い。 そのときは別に 「どうということもないんやけどね」 と 答えていたけれどほんとうに無意識にタメ息ついていることが多い。 でも心の中で現状というかそのときの自分の状況に満足していないからだということをおぼろげに感じているのだ。 確かに 誰だって楽しい時やうれしい時にタメ息はつかないなぁ・・と。 でも先日テレビで人がタメ息つくのは、無意識のうちに身体が緊張しているからそれをほぐすための自然な行動なのだと放送していた。 ヒトの身体とはほんとうによくしたものだと。 なんか とても納得した思いでそのテレビを見ていたけれど、今後タメ息をついていることを指摘されたら「酸素が足らんのよ」 と 答えようかな。 だって 私は耳が悪いからどうしても人前では聞き漏らすまい!、と かなり身構えているものね、仕方ないよね。
この土日は自治会費の集金に回った。 私はそこそこ長いパート生活だったから接客はそう苦にならないけれど 一軒一軒ピンポンして「 あのう 自治会費を頂きにあがりました」なんてことはストレス以外の何物でもない。 店にいてお客さんのほうから来てくださるのと、こちらから訪ねていくのとでは雲泥の差があると感じるのだ。 内内の言い伝えでは玄関から行ったら叱られるから勝手口に回らんとあかんよ、というお宅がある。 前回の班長の当番のときもそのお宅のことは緊張してビビりながら伺った覚えがあるけれど、今回は別棟の息子さんのお嫁さんが対応してくださった。 でも何気に不機嫌そうでそこそこ気をつかった。 あとは 「家内がおりませんから分かりません」 という おうちもあって やっぱりいくら順番の当番とはいえ放り出したい気分。 (奥さんが留守でも自治会費くらい払えませんか、あなた所帯主でしょ) それでも 「一年間 お世話になります、よろしくお願いします」 という言葉をかけていただくことのほうが多くてホッとする。 2軒がまだ未回収だけれど これはまた平日の夜にでも回らねば・・。 今の会長さんはコミュニケーションは大切だからと班長会も多そうだし、広報配りもしんどいものがあるし さりとてまだ始まったばかりだわ・・。
私の腰痛と股関節痛はレントゲンでは何ともないと言われる。 だったら この痛みは何なの・・という多くの日々を過ごしてきたけれど 先日降圧剤をもらいに行ったかかりつけ医に痛くない治療があると教えられた。かかりつけ医もその治療に興味があるらしく「行ってみはったら」 と 紹介状まで書いて渡された。 すこし遠いというけれどいやになるほど遠いわけでもなく、完全予約制で予約料が発生するクリニックだった。 だから待ち時間はないのでまだ新しいそのクリニックに患者は私をふくめて夫婦連れらしい人との三人のみ。 そして受付に女性はいたけれど看護士はいない。 受付の人が診察室にカルテを持っていって、診察が終われば担当医師がカルテを受付に持っていって精算するしくみになっていた。 診察内容は要は身体の歪みと仙腸の凝りが原因とかで、力を入れないで揉み解す治療だった。 カイロとも整体とも違うようだ。 診療科目は整形外科となっていて、何とその担当医が私が五年前に手術をしたときの病院にいた医師だった。 普通の整形外科でレントゲンでは何ともないのに、関節が痛いと訴える患者の何と多いことか・・と いうのがその医師がこの治療を選ばせたようだ。 それで 効果は・・・ 医師は月2回程度の施療で3ヶ月くらいで効果がみられる、と 言う。 ・・しばらく通ってみるか・・。
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何が起こったのか・・ 水中ウオーキングしてるだけなのに 急に私の身体が沈んでいく・・ 別に足がつった感じもないのに・・ どんなに足掻いても浮かび上がれない・・ すぐ横には同じようにウオ−キングしてる人もいるのに 誰も気づいてくれないし助けてもくれない・・ どんどん・・水を飲み込んでしまう・・ とても苦しい・・助けて・・だれか・・
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もう 私は死ぬんだと・・あまりの苦しさで目が覚めた
こんな夢はイヤだ!!
きのうはパート仲間だった人のおうちにおじゃましてきた。 今年 大学を出て就職したひとり息子さんがいて その息子さんが幼稚園の頃からパッチワークを始めた人だ。 だからかれこれ二十年になるのか。 よく石の上にも三年・・と 言うけれど、二十年もやってこられたからパッチワーク協会から講師の認定もいただいておられる。 そして長い間の作品がいっぱいあって感嘆のため息を撒き散らし、何よりも目の保養をさせてもらった。 ちくちくが何よりも好きと言うけれど、一針一針があんなに大きな作品になったのだとすれば、私なんて単に編み物が好きというだけで結局のところ物にはならなかったことになる。 まぁタペストリーやベッドカバーというパッチワークの作品と、セーターなどのある意味消費していく作品とでは比べられないけれど、私には何が残ったのだろうと少々空しくなった。 今でこそデジカメや携帯で作品をすぐに撮影してウェブなどにアップする手軽な方法があるけれど、それもこれもここ何年かのことだもの。 その人も某手芸店のサイトで同じ楽しみを持った人たちと交歓しているようで、ふうちゃんもこれから自分の編んだものをアップしていったらと勧めてくれる。 でも 私の編むものは独りよがりの自己満足作品ばっかりだから・・。
一緒に行ったパート仲間が私よりは若いけれどお孫さんがもう小学校ということで、ベビーの編み物の本を「私はもう卒業したから」と 私にくれた。 そう 私には私の楽しみがある。 格言で 人と自分を比べない である。
決して待っていたわけではないけれど 昨年はお隣が班長をされていたから今年は我が家の番なわけで いつ引き継ぎに来られるのだろう・・と 気になっていた。 たった13所帯だけの班だけれど 月2回の広報配りに ?と思うような回覧板回しや地域の清掃やら2ヶ月に1回の班長会やら、何気にうっとおしい一年の始まりだ。 ダンナはパート辞めたことやし丁度よかったやん、と言うけれど なぜに主婦の用事ってこうも際限がないのだろうか。
こまごました日常が、普通の穏やかな暮らしだとは大いに認識しているけれど不定期にやってくるダラケた思いとどんなにして付き合ったらいいのだろうか・・なんて、やっぱり贅沢な悩みかなぁ。
ダンナが 去年の夏に切り過ぎたのかアジサイが枯れてしまったようだ。 ・・・・・
天気予報通りに午後から雨になった。 そんななか 聖武天皇が一時平城京を離れて都を作った紫香楽宮跡に行ってきた。 奈良から車で2時間弱の場所で、今ではタヌキの焼物で有名だ。 最初 歴史教室では平城京を捨てて恭仁京、紫香楽、難波宮と次々に都を変える聖武天皇のことを『聖武天皇彷徨の五年』と 習った。 が きょうの講師だった某国立大名誉教授の先生は、いくつも都を作って日本の国力を示したい対新羅政策だったと教えていただいた。 なんか目からうろこの思いで説明を聞いた。 紫香楽宮跡を発掘もして、そんな著書も多い先生のお話はとても興味深いものでほんとうに参加してよかったと思った。 最初はその紫香楽で大仏の建立を始めていて、それがそのまま敢行されていたら今の東大寺の大仏は無かったことになる。 それもまた歴史の面白いところだろう。
そして安積親王の墓にも連れていってもらって、それだけでもほんとうによかったと思うのだ。 帰りに 信楽焼きのコーヒーカップを買ったので、今から古の都をしのんで 食後のコーヒーを味わおう。
雨を吸い 礎石が光る 甲賀寺(こうかでら)
皇子眠る紫香楽の里 桜雨
阪神なんば線が開通して 近鉄奈良から家に帰るのに 今まではなんば行きに乗ればよかったけれど 3月21日から三ノ宮行きやら尼崎行きの電車になったわけで あとは何〜んにも変らないのに行き先だけが変わった電車に乗ることになって、私は何気に遠くに来た気分になっている。 そして きょう平城京遷都1300年祭仕様の新しい車両を見た。 まっきいろ、きれいな黄色!! ふ〜〜ん・・・
きょうあたりは平城旧跡のサクラもほぼ八分咲きくらいで、お弁当でも広げているらしい情景が車内からも見て取れた。 6月頃には大極殿もベールを脱ぐようで楽しみだ。
それにしてもハローワーク通いは疲れる。 すごい人出で 家に帰る途中から背中に何かが張り付いたよう。 閉店になんかなっていなければまだまだ働いていたはずなのだから、さっさと失業給付金くれよ!! (ハイ、本音です)
夕べの雷を伴った雨が雪柳をあらかた散らした。 アスファルトに散らばった白い花びらを見るのは何気に悲しい。
散るさくら 残るさくらも散るさくら
良寛の辞世といわれるこの句が・・ふいに浮かんできて しばし佇む。
それでも家の中は寒くてかなわない。 きょうは一日 きのう借りてきたベビーニットの本を見て過ごした。 ゆったりとした時間の中でひとりコーヒーを飲む。 なんて贅沢な時間なのだろうと思いつつも 気がかりが心の中で揺れる。
絶望の隣りに誰かがそっと座った。 あなたは誰ですか と 絶望が聞いたら 私は希望です と答えた。
ある宗教施設の門の掲示板にあった言葉だけれど 私にこの言葉を送ろう。 きょうはそんな気分・・・
毎年 この時期にパート仲間と近場の公園でお花見をしていた。 今年も少し前から花の時期が早そうだから・・と きょうの日を決めていた。 降水確率を気にしながら いつものようにいそいそ出かけたが・・やはり、ここしばらくの花冷えなのか寒の戻りなのか、サクラは三分咲きだった。 でも 「私らいつもサクラなんか見てへんやん、しゃべってばっかりで」 閉店から1ヶ月 みんなお昼休みの食堂でのおしゃべりに飢えていたから開花が遅れていることは少しも気にならなかった。 閉店のドサクサの話やハローワークの話や はてはWBCのことまで まぁみんなしゃべる、しゃべる! 少し肌寒くて午後からはポツポツ雨も落ちてきたので、喫茶店に場所を変えて なお しゃべる。
そういう私も家で一人でいたら気楽な反面、ダンナとしか話さない日もあるので受け答えのある会話がうれしかった。 所詮はおばちゃんの繰言だけれどこれはボケ防止だと確信している。
家に帰ったら 退職慰労金と残った有休の買い上げ書類が届いていた。 ささやかな金額だけれど これは赤ちゃんの毛糸に消える予定。 図書館でベビーニットの本も借りてきたから しばらくは気散じな日が続くだろう。
初物の たけのこ煮れば 立つかおり
足踏みの 花ゆえ待たるその時を
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