念願だった専業主婦を満喫している。 おかげでWBCもきっちり見ることができた。 日本の選手達の快挙には心からお疲れ様といいたいけれど 前回のWBCのあとでは、肝心のペナントレースで疲れの取れない選手が目についたように記憶しているのだけど今回はどんなもんでありましょうか。 みんながサムライジャパンと騒ぐ裏で、星野さんの気持ちはいかばかりだろう・・と少々案じている。 イチロー・松阪・城島を投入できなかったからなのか,星野ジャパンは北京オリンピックで期待された金メダルを取れなかった。 何も野球に限ったことではないけれど、日本の国民の変わり身の早さにある意味・・・を感じる。 これはマスコミのせいもあるけれど、あれだけ持ち上げておいて活躍できなかったらストンと落とす。 日本人の悪いクセだなぁとつくづく思う。 でも 私に野球理論は分からないからこれも偏見なのだろう・・きっと。
寒の戻りなのか寒くてならない。 今年は家にいるのでわりと早くから冬物の整理に入った。 だから寒くなったからと行って洗濯の済んだものを着るわけにもいかないので同じものばかり着ている。 だけどきょうはハローワークへ行く日。 スプリングコートなんて洒落たものは持っていないので、はてさて何を着ていくんだぁ〜〜。
パートを辞めて3週間になるけれど まだ辞めた実感がなくて少し長いお休みが続いている感じ。 先週 ハローワークに一緒に行ったパート仲間も同じことを言っていた。 そんな中 私は毎晩のように仕事をしている夢をみる。 とてもリアルな夢で 今まで経験した数々の困った場面ばかり・・。 だから酷いという状態ではないけれど何気にうなされているようだ。 結局の所 離職票に書かれていたように 『閉店による雇い止め』だから、 自分のなかでまだ納得しきれないものがあるのだろう。 いくら生活の足しだったとはいえ 仕事がイヤで辞めたのではないからね。
向かいのおばあちゃんが亡くなられて一週間が過ぎた。 その前に数日 入院されていたから約二週間ほど裏の畑に入っていないことになる。それで 気がついたのだけれど何気に畑が荒れている。 いくらか残っていた大根や葉物に菜の花が大きく伸びている。 菜の花は見るぶんには春を感じて可憐だけれど、野菜のトウが立ったということだから適当なところで次の作業をする季節ということだろう。 そして おばあちゃんがお元気でおられた頃に畑のあちこちで菜の花が咲いているということはなかった。 次の作業のために土を掘り返しておられた・・。 でも おばあちゃんが少し前に植えつけておられたタマネギの苗だけは大きく育ってきている。 それを見たら 急に淋しいと感じた・・。
何があっても日々は移ろっていくのだ。
世間は3連休の人も多いようだけれど ダンナは仕事に行ったので父の骨を納めたお寺へお参りに行く。
バスを待つ間 知らない人通しでリストラの話をしている。 初老の女性が 「神奈川にいる38歳の息子がリストラされた」 と、 息子さんと同年代に見える男性に話しかけたようで、話し掛けられた男性も「僕も○○造船に勤めていてリストラされました」と答えていた。 その女の人は自分の息子が心配でならないようで、一度尋ねて行きたいがあんまり連絡をくれないので住所だけでは高齢なので行けない、と 通りすがりの男性に自分の息子を重ねて(・・・たぶん)話していた。 その神奈川にいるという息子さんはまだ独身のようで、私にすれば何処かで聞いたような話だなぁ・・と 間に入りたい気もしたけれど、そこまですれば完全に大阪のおばちゃんになってしまうので失礼ながら立ち聞きさせてもらった。 同年代と思われる男性は「きっと大丈夫ですよ、息子さんも何か考えてはるでしょうから」 と 言ったところで丁度バスが来た。 母はいくつになっても、いつでも何処でも自分の子供を案じているのだ・・ 通りすがりの人に話しかけてしまうほどに・・
私も同じ思いでいるゆえに 切ない・・。
ふり向けば 飛行機雲の 骨の寺
我もまた 子離れできぬ 母なりき
暑さ寒さも彼岸まで 奈良は東大寺のお水散りが終わったら春になる
そんな言葉通り 昨日はほんとうにぽかぽかと暖かくて春を実感する一日になった。 桜の開花宣言もされて、先日行った息子の家の近くの保育園でも桜が咲いていた。 きっと元気な子供たちの熱気をもらって早咲きしたんだね、と お嫁さんと話した。
向かいのおばあちゃんが亡くなられた。 いつも家の裏の畑で野菜を作っておられて、我が家もそのおばあちゃん丹精の大根やら菜っ葉をよく頂いた。 肺炎ということで数日前まではいつものように畑に出ておられた。 ここ数日 普通に横になって寝ることが苦しいとかで壁にもたれて座って寝ておられたようだ。 ふつう 姑さんとは寝室が違うから私と同年代のお嫁さんもそこまでしんどいことに気づかず、お医者さんに行ったときはすでに肺が真っ白で「何でこんなになるまで放っておいたんですか」と言われたらしい。 でも 息子になる向かいのご主人も「しんどいとも言わんかったし分からなかった」と話された。 そして おばあちゃんが亡くなられた三月十七日はそのおばあちゃんのご亭主だったおじいちゃんの祥月命日だそうで、年こそ違うものの夫婦同じ日に亡くなったことになる。 「お義母さん ええ顔してはるから見てあげて」と 呼びにこられてお会いしてきたけれど家族葬だそうで・・ということは静かにおばあちゃんを偲ぶ・・ということか。 享年84歳 彼岸の旅立ち。
きょうは歴史教室の友達と明日香を歩く予定だった。 でも きのうからの雨は上がらないし雷もなる悪天候。 仕方が無いので またの機会ということにしたけれど 先月末に行く予定だった梅見の日も雨で中止になっている。 私っていつから雨女になった・・? でも 何気に自虐的な今日この頃ゆえに私に相応しい・・
雨だれを聞きながら こたつで本を読んでいたら不覚にも眠ってしまった。 ここんとこ ず〜っと下手にお昼寝をしたら夜に寝られなくなるので気をつけていたのに・・ そして お昼寝という短時間で見るような夢ではない夢を見てひとりで苦笑いする。 やっぱり夢ってその人の深層心理なのだろう。。
25年ぶりの専業主婦を満喫しているけれど そろそろ家の片付けでもしようかなぁ・・と 思うのだが どうにもこうにも捨てられない症候群なのだろう どれもこれも「捨てるのはいつでも出来る」 と また取り込んでしまう。
そんな中 娘の書いた物を見つけて発作的にナーバスになってしまった。 いい年をして情緒不安定だ。 むくむくと湧き上がる心の中の鉛は大きくなって泣かずにいられない。 日差しは春のようでも 風が冷たい・・
湧き上がる 愛娘への想い いかにせん
片付けを始めるまでは 一昨日 息子の家に行って 楽しかった時間を思い出していたのだ。 一緒に赤ちゃんの名前の本など読んで・・ これもいいね、それもいいねと・・。 この両極端な思いを自分でも持て余している。 情けないことだ・・。
きょうは確定申告に行ってきた。 税務署へ行くのは 父が足元が覚束なくなって私が代わりに行ってからだから十年ぶりくらいということか。 あの時と同じようにプレハブの申告会場が作られていた。 あの時は全部手書きの申告書だったけれど、今は係員がついてのパソコンでの申告になっている。 私も家でのパソコンによる申告にしようと思ったのだけれど、税務署の近くで買いたいものがあったので出かけてきた。 還付額は私がパートで働いていた一日分に電車賃と安いランチ代をプラスしたくらいだった。
明日はまた息子のところへ行くのでお土産に『大仏プリン』を持っていこうと、それを買うことのほうが目当てだった。 ダンナと私の分も買っていそいそと帰る。 明日は閉店セールでゲットした赤ちゃんのものを持っていく予定。 そして まだお嫁さんにも息子にも内緒だけれど 実は絵本も買っている。 ダンナには 「まだ産まれてないんや」と 思い切り呆れられたけれど 孫に読んでやりたいというよりは・・私が読みたいのだ。 『お日さまのにおい』 と いうタイトルの絵本。 これは乳児というよりも幼児向けだろう。 いかに私が ばばばか か!! まぁいいさ、今から読んで上手になっておくんだもん!!
今のところ 毎日があっという間に過ぎていく。 息子の家に行ったり 友達と会ったり 歴史教室に行ったり 何処へも行かない日はプールでウオーキングしたり 一日中 家にいるということがない。 一部のパート仲間が心配したような暇を持て余す・・ようなことは今のところ私には当てはまらない。
そして きょうはハローワークから雇用保険受給手続きの案内がきた。 と いうわけで 中頃にはハローワークにも行かなくてはならない。 会社都合による解雇だから手続きが早いようだ。 本音としたら60歳までは働くつもりでいたのだけれど・・。
それにしても 股関節の痛みが取れない。 痛みで足を引きずるような歩き方になっているのに お医者さんに行っても股関節に限ってはどうもない・・と 言われるのだろうか・・。 この状況だとやはり退職は正解だったのかなぁ・・。
スーパーにパートに出て21年5ヶ月。 その前に午前中のパートに4年。 約25年のパート生活を2月末で終えた。 (有休の消化で最終勤務は24日だった) 世間は派遣切り横行でそのうち正社員にも不況の嵐が押し寄せる・・と メディアは伝えている。 私の勤めていた店舗も時代の流れなのだろう、閉店という選択を本社は選んだ。 主人の頂いてくるお給料も激減で 我が家は毎月赤字だ。 けれど 私はしばらくは充電というカッコいい理由ではなく すこし休みたいので退職することにした。 それでも閉店と閉店に伴う雑事にすっかり疲れてしまった。 患っている膝ではなく 腰と股関節とふくらはぎがロキソニンを飲まないと眠れないほどに痛んだ。 きょうあたり 漸く・・本来の鈍い痛みにまで回復した。 まだ辞めた実感もなくて すこしお休みが続いている感じ・・。
それでも閉店の噂を聞きつけた以前勤めていた人たちが何人も顔を見せに来店してくれて、今はその懐かしい邂逅の余韻に浸っている。 パート仲間とのメール交換も忙しいものがある。 まだしばらくは そこそこ長かったパート勤めを引きずるだろうなぁ。
露と消え あだや消せない日々過ごし 名残りのなかで 友と語らう
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