7,8年前に家の階段を踏み外して骨折したとき以来の 久方ぶりの大晦日のお休み・・何気にうれしい気分。 それでも明日はパートに行くし、ダンナもきょうは昼までで終わるからと、いつもの時間に出かけていった。 うちのダンナは重箱につめたお節料理は作り置きだから・・と 食べてくれない。 だから暮のうちから作るということはしないけれど、その日に作ったものを少しずつ食卓にのせている。 そういうわけで今日のお休みは機械でのお餅つきと冷蔵庫の掃除とレンジ台の掃除をする。 お餅は海老をいれたものと青海苔をいれたものを作る。 夕べ もち米を洗っておいたからダンナが帰ってくるまでにしあげてしまおう。 そして 午後からは今年一年の慰労を兼ねてスーパー銭湯に行く予定。
去年の今頃は35年間義兄と一緒にやってきた仕事を廃業することに決めて、来年の大晦日はどうなっているのだろう・・無事に年を越せるのだろうか・・と そればかり案じていた。 永年の義兄との確執で結果的には納得できない不本意な別れ方だったけれど、ダンナのあまりにもあっさりした思い切りに何とか年を越せそうだ。 一月のハローワーク通いは 落ち込むことの連続であまりにも情けなくてここで書き込むことも出来ない日々だった。 派遣切りが連日のニュースである今年の状況だったら、たぶん60歳を目の前にしたダンナの場合、きっと今の職を得られていないのではと思うのだ。 そんな状況で得た職の収入は激減して欲しい物が買えない倹約の日々なれど迫り来る年金生活の予行練習だと思って頑張っている。 来年はさらに倹約しなければならない状況が待っているけれど、夫婦して健康なら何とかやっていけるだろう(甘いかな・・) ダンナが還暦を迎える年に初孫も産まれることだし希望はあるのだから。
今年も私のつたないえんぴつ日記を読んでいただいて本当に有難うございました。書いては消し、書いては消しの日々のほうが多かったけれど来年も静かに老いを実感してゆっくり私のペースで生活していこうと思っています。 皆様の来年のご活躍とご健康を祈念して、どうぞ良いお年をお迎えください
クリスマスが終わったら 息をつく間もなく福袋の準備と、年明けにするセールの発注確認。 合い間に定番の店出しをしてあっという間に時間がたってしまう。 疲れた足を引きずって帰り夕食の用意。 明日のお弁当の段取もして こたつでホッとしたら眠くなってしまう。 何か単純だなぁ・・と思いつつもダンナともども早めに寝る。 年末だから余計に疲れるのか、と思うけれど コレが私の毎日。 これは去年もその前の年も同じだっただろうけれど、 年々頑張りがきかなくなってきて雑な言い方をすれば食う、寝るだけの毎日を送っているようだ。 明日は貴重な年末のお休みだけれど 父の月命日だからお寺に行く予定。 したがって年末の掃除はパス。 掃除をするより 父の骨を納めたお寺にいったほうが私の気持ちが落ち着くからだ。帰りに師走の大阪のデパートを覗いてみようか。 ダンナが 「無理に大掃除せんでもええ。 家がきれいになってもお前がしんどいと言いだしたら そのほうがかなん」 と 言う。 こういうことにはとても素直な私・・。 元旦もパートに行くんだし まぁいいさ。
冬至 冬なか 冬はじめ
冬至ってことは 明日からまた昼が長くなるのね 夜が短くなっていくのね 自然は・・日々の移ろいはある意味 澱みがちな気持ちを鼓舞してくれる クリスマスだ、歳末だと何がそんなに楽しいのか、と 小売業に身を置きながら世間をすねる想いがチラチラするなかで自然の移ろいは静かに心に沁みてくる 進まない家の片付けが余計にそんな気持ちを煽る どうやら雨はあがったようだ きょうはどんな一日になるのだろうか
ダンナも寄る年波なのか 今までは敬遠しがちだった煮物を食べてくれるようになってきた。 折からご近所さんから手作りの味噌をいただいたので ふろふき大根をつくってみた。 まだつぶつぶの残っているお味噌のたれは我ながら上出来。 美味しいやん!!
最近 若いときに患った顎関節症が再発したようだ。 特に 痛みはないけれど食事の途中で歯がずれる・・ もう長いこと顎を動かす度にじゃりじゃりという変な音を感じていたけれど 膝といい・・私の関節はいったいどうなっているのだろう・・ ヘタレだから・・身体の不調は気持ちもふさぐ・・
歴史教室を2回も続けて欠席したものだから先生からお電話をいただいた。 一回一回の欠席届けはしなくてもいいけれど、数人のキャンセル待ちの人がおられるので、というお話だった。 スミマセン・・さぼり癖がついてました。 決して退会ではありません・・来年はまた真面目に行かせていただきます。
見上げれば 凍れる朝の白き月
リンゴ煮て 甘きにおいに満たされる
何ゆえに心ざわめく 師走なり
87歳で亡くなった父は 自分が親の年齢に達したとき これから先はもういつ死んでもおかしくないのだと思い 年賀状を出すことをやめた。 戦争から帰ってきて勤めた会社で停年を迎え そこから年賀状だけのお付き合いの方もおられたようだけれど 友人というものを持たなかった父ゆえにそれはあっさりしたものだった。
今年はやけに喪中欠礼も多かったし 何やかやと気の滅入ることばかりで 年賀状書きもなかなか進んでいない。 私が父のように年賀状を止めてしまうことはまだ出来ないけれど 最近やけに父や母のことばかりが思い出される。 年末になったら父が上手にふすまや障子の張替えをしていたことや 母の作るおせち料理がなつかしくてならない。 どれもこれもなつかしいひとコマなれど すべて過ぎ去ったこと・・
父の子と 思うことあり我ゆえに
もう一度食べたい母の小豆粥
たまに入るアクアビクスのインストラクターが、今年もハワイでのホノルルマラソンに参加するそうで先日のプログラムの中でその熱い思いを語っていた。 そのインストラクターはたぶん・・・二十代後半くらいのいつも元気なはつらつとしたお嬢さんだ。 去年の参加のときのことをいろいろ話したあと、 「今年も帰ってきたらご報告しますので皆さん、心の中だけでかまいませんので応援してください」と にこやかに話していた。 ハワイの現地時間14日の午前5時、日本時間15日午前0時スタートだそうで、だとすると今頃は走り終えてさわやかな達成感を感じているのだろうか。 この人を見ていたらほんとうに若くて美しいことは宝物だなぁと思う。
ダイニングのレイアウトを変えてみようと思い立ったはいいけれど、不用品の始末もするつもりが捨てられるのは紙くずばかりで結局収まりがつかなくなって立ち往生している。 ダンナとああでもないこうでもないと思案の末、捨てられたものはパソコンデスクのみ。 休みのたびに少しずつ片付けるつもりではいるけれどもう息切れだぁ。
夕べは急に思いついて夕食後にスーパー銭湯に行った。 たいていはダンナと私の休みが重なった昼間に行っているので パート先と自宅の往復ばかりの身には 何気に町のクリスマスを感じた。 あちこちでお店のイルミネーションが輝き 行き交う車のライトさえそれに見えてしまう。 それにしても大きいお風呂は身も心もほぐしてくれる。 ミストサウナの何かの薬草のにおいや 露天のぼうとした灯りさえも昼間とは趣が違って見える。
おかげで寝つきはよかったのに それでも切れ切れにイヤな夢をみた。 いつも・・1時間半か2時間くらいの間隔で必ず目が覚める。 そして しばし夢の内容を反すうして自分の深層心理を思ってみる。 気の持ちようなのか・・ 私が粘着質なのか・・ 自分で答えを出せない・・見つけられないことばかり。
我が家ではここ何年も縁のないボーナスだけれど 国会議員は330万 麻生さんは410万 とくに国の長である総理大臣の支給額が相応しいのかどうか・・ それは私ごときでは判断もつかないけれど ただ・・ただ思うのは300万や400万のお金があれば この年末を乗り越えられるのになぁ・・という町の極小零細経営者もたくさんいるということは現実なのだ。
最近 たがが外れたように編み物の本を買っている。 今月だけでももう3冊・・。 今までは図書館で借りればいいや、とか ウエブで編み図を取り出すこともできるし・・とか思っていたけれど 図書館で借りた場合は編み図をコピーしないといけないし ウェブではパラパラと好きな時にページを繰る醍醐味を味わえない。 それにいずれ来る・・膝が悪いための隠居生活では本屋さんで好きな本を探すこともできなくなるだろうから。 そろそろ孫のために赤ちゃんのものを何か編みたいと思うけれど、これは孫の顔をみてからの来年のお楽しみにしましょうかね。 ベッドの横やパソコンデスクの側に積み重ねられた編み物の本は、見るだけで終りそうな予感も大だけれど、それで今の私の気持ちが落ち着くのなら ・・・。
きょうも暖かい一日になるそうで行きも帰りも空を眺めながら歩く。 最近 明け方や夜の空も昼間のそれと同じように毎日違うことに今さらに気づいた。 たまに・・たまに空を見つめていると涙がでてくる。 何でこんなに涙もろくなってしまったのだろうか。 誰かに胸を借りて思いのたけをぶちまけて思い切り泣いてみたいものだ・・な〜んてね。
今朝は15分寝過ごしてしまった。 お弁当を作るので 少々慌てたけれど きのう お布団をお日さんにあてて 下にも毛布を敷いたから気持ちよくて寝すぎてしまったようだ。 用心にセットしている目覚ましの音も聞こえなかった。 二階で寝ているダンナの階段を下りる足音で寝覚めた。 結婚して35年近く・・ダンナを起こしたことが無い。 この人は必ず自分で起きる。 結婚する前に義母が 「この子は小さいときから朝がすっきりしていて起こしたことがない」と 話してくれたけれどほんとうにその通りで起きなければならない時刻には必ず目を開ける、私からみれば珍しい人だ。
きのうはいつも楽しみにしている歴史教室もお休みしてしまった。 風邪をひいてるわけでも、ひどく体調を壊しているわけでもないけれど何気にその気にならなかった。 何か理由をつけるとなると気力がわかない・・と いうことか。 話を聞く私達は座っているけれど、77歳になられている先生は約2時間半立ったままでお話される。 あの元気を見習いたいといつもみんなで話しているけれど、今日の日の私の体たらくは恥かしいほどだ。
大雪や 膝の術跡なでてやる
我が心 晴れぬ夜明けのおぼろ月
思うのは 流れる月日 見えぬもの・・
かなり暖かい夜明け・・ きょうはこれから雨が降るらしい・・
編み物も読書も停滞気味・・ あれこれ思うと不安でしかたがない・・
喪中で年賀欠礼のハガキが続く・・ かなり世間を狭く生きてるダンナと私なのに・・
きのう作ったマグロのフレークが美味しい・・ きょうは ぶり大根でも炊いてみようか・・
手作りの 干し柿もらい 父偲ぶ
渋ゆえに 残りし柿の 葉も落ちて
願いしは 巣くう不安を ・・・・・
親というものは自分の子供ほど可愛いものはないのであって そういう意味から 来年息子の所に子供が生まれると分かったとき 咄嗟に私が思ったことは 「あぁ これで 息子もさらに家庭を支えていかなければならない責任が増えたなぁ」と。 息子が結婚する前からも早く孫がほしくて ぶっちゃけ でき婚でもいい・・とさえ思っていた。 それが本人たちの意思と裏腹になかなかその兆しがなくての妊娠だったから、息子はともかくお嫁さんはそりゃぁ喜んだ。 以前から孫の顔を一日でもはやく見たかった私も狂喜すると信じて疑わなかったけれど、一番最初に感じたことが息子の家庭を支えていかなければならないであろう・・重責を思ったのだ。 私の周りにいるパート仲間には比較的息子をもった人が多くて、最近の出産やら育児状況やらを聞くにつけては、今の男の子は大変だなぁ・・と感じていた。 もちろんいろんな家庭やら状況があってのことだけれど、私らが子供を産み育てていた頃は父親は一言で言ってしまえば「しっかり稼いで来い!」というのが大方だったように思う。 ところがそれ以前のたいていの男達があまりにも家と子供のことは女まかせだったために、今の世代では男も家庭を顧みることを必要とされている。 家のことに協力的でない男は敬遠されがちのようだ。 たいていのパート仲間が言うには、自分の息子には何もさせたことがないのに結婚してからはお嫁さんと協力してなかなかに家の雑事をこなしているようだ。 ここまで書けばやはり私は姑だと改めて思ってしまうけれど、少し前から息子の会社で1000人規模のリストラを進めているらしい・・ということを耳にしての私のそれた思いを吐露してしまった。 少し目にする子供のこと・・ 目に入らない子供のこと・・ 親はいつまでたっても子供のことを案じてしまう・・
最近 落ち込みが酷くてパソコンを開けることも少ない。 要は何もかもがうまくいかなくて 面白くないのだ。
でも マイエンピツにしている方のお孫さんの画像に涙ぐんでしまった。 初めから かわいいお孫さんだったけれど いちだんと女の子らしくなられて これなら そりゃぁ ばあちゃんも目を細めるわ。
先日 あるテレビのドキュメントで6ヶ月の赤ちゃんが登場していた。 来年の今頃はあれくらい・・ 息子にもやっと こうのとり のお出ましがあって来年5月に出産する。 きのうは日曜の戌の日だったので、阪急沿線に住んでいる息子は中山さんへお嫁さんと安産参りをしてきたようだ。 もうじき5ヶ月だそうな。 12月の戌の日は平日しかないし ただでさえ忙しい師走の月だから息子が会社を休むのは難しいので 少し早いけれどきのうの日曜日に二人で行ったら・・と私が提案した。 当初は12月の平日の戌の日にお嫁さんと私とで行こうと言っていたのだけれど、二人の子供なんだから二人で行くのがいちばんいいと私は思うので。 私も行きたかったけれど お休みをいれてなかったので仕方ない。 たかがパート、されどパートの勤めなれど急なお休みはいい顔されないからあきらめましたよ。 そんな気持ちがあったから 他所様のお孫さんの画像にうるうるしてしまったのかな。
きょうから12月、 イヤでもかきいれどきの小売業、頑張らなしゃあないなぁ。
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