『吾亦紅』という歌がある。 ダンナも私も何気に気に入ってパソコンに落として時折楽しんでいる。 だのに ダンナは 「吾亦紅 って何や?」 と聞く・・。 オイオイ、知らんかったんか・・ 秋の七草の一つで茶色い丸い花や、って言ったらふ〜〜ん、って返事。 私が子供の頃には普通にあったように思うけれど そういえば最近、とんとお目にかからんなぁ。
んで、吾亦紅 の歌のことだけれど、 設定は親のことなど省みることのなかった息子が母の寂しさに今さらながらに気づいて、母に詫びる内容だ。 作曲家の杉本真人氏が自身のお母さんのことを思って歌っておられる。 ダンナも私もそしてこの歌を静かに聴く大勢の人たちも、きっと60歳を目の前にして後悔とか不完全燃焼の己れの人生を振り返ったときに、決して親孝行ではなかった・・と、特に精一杯の愛情を注いでくれた母に対しては何かしら負い目のような気持ちになっているんだと思う。 だから そんな人こそ よけいにこの歌が心に沁みるのだろう。
♪さらさら揺れる吾亦紅、ふと 貴方の吐息のようで・・♪
そして きょうは彼岸が明ける・・。 母のお墓があるお寺の彼岸会に行ってきた。 お花を買いに寄ったいつものお花屋さんに何と吾亦紅があったのだ。 このことが言いたくて長い前置きになってしまった。 私はいつもセットされた墓花は買わない。 母が好きだったお花や その時の私の気持ちで買ったお花をお墓に供えている。 だからきょうはもちろんその吾亦紅とりんどう・・。 いい色合いになった。 お母ちゃん・・次は暮れにまた来るね・・。
22日に平城宮跡で建設中の大極殿の最後の一般公開に行ってきた。 日祭日の谷間だからそんなに混んではいないだろうと考えた浅はかさに気づかされて、人ごみの中にご近所さんの姿も見られた。 素人目にはもう完成してるやん、と思いながら 遺講記念館にあった10分の1の模型と比べてみる。 来年の秋には足場や外側の防護幕なんかが取り払われて 1300年前の姿を見せてくれるらしいので楽しみでならない。 藤原京の下ツ道から朱雀門へと続いているこの大極殿とが繋がれば 尚いっそう古代へのロマンがイメージされることだろう。 私が思うに 冬の靄がかかった明け方など・・朱雀門と大極殿とのコントラストは想像するだけでも美しい光景だろうなぁ・・と。
だけど 私は人ごみと暑さに参ってしまって きのうは一日寝込んでしまった。 しんどくてならない。 夏の疲れが出てるんやろ、とダンナは言ってくれるけれど ここまで体力が落ちてるのかと情けなくて・・。
先週の火曜日にお彼岸に先立って 四天王寺と父の骨を納めたお寺にお参りした。 父が亡くなって丸9年でも 私には四天王寺は初めてのお参りだった。 大阪の人にとって 四天王寺は浄土信仰と太子信仰との混ざり合った有難いお寺のようだ。 最初は聖徳太子が物部氏との宗教戦争の必勝を願った戦勝祈願のお寺だったのに、いつの間にか極楽浄土へと願う庶民のお寺になっている。 西童門から極楽門を経て石ノ鳥居に沈む夕日がさながら西方浄土を思わすようで、ことに彼岸のそれは絶景だそうな。 昼間はまだまだ暑いので最寄り駅の上本町からJR天王寺駅までの徒歩での移動は何気に疲れたけれど、お寺参りは何故にこうも清々しいのか。
きのうは編み物の本を2冊も買った。 私の技術足らずで編めなくても、それはそれで眼の保養になる。 手術した左足と同じ痛みが右足にも感じられるようになってきて、ほんとうにパートの限界を思い知らされるようになってきた。 でも まだまだお寺参りで歩けるのだからもう少し頑張ってみよう。 イヤでも家に引っ込まざるを得ないようになったときのために、今から少しずつ実物を見て気に入った本を揃えておこうと思う。 まぁ お金と相談ですけど・・。 物語の本はネットであらすじを含めいくらでも探せるけれど、編み物の本はパラパラとページを繰れないネットでは見極められないのだから。
怖〜い 本を借りた。 と 言ってもホラーでもミステリーでもない。
ずいぶんと市の図書館にはお世話になっている。 読みたい本をリクエストして、それが市の図書館に無い場合 たいていのものは買ってくださる。 でも すでに絶版になっていて買えない本の場合 近隣の市の図書館に問い合わせていただける。 そこでも無い場合 奈良県の主だった市にも問い合わせて 尚 無い場合大阪の図書館にも問い合わせてくださる。 というわけで 今回私のリクエストした本が 奈良県にはないが大阪府と大阪市の図書館にはあるということで 大阪府立図書館から取り寄せていただくことが出来た。〈ありがたい!)
連絡があってさっそく取りに行ったら
この図書は、市外の図書館からお借りした貴重な資料です。 貸出にあたり、以下の点をお守りください。
と書かれた用紙を渡されて そこには貸出時における図書の状態がこと細かに書き込んであった。 汚れ 天・地・小口・表見返し・裏見返し のど割れ かかと折れ その他 全体にPの上部水ぬれによるゆがみ+しみあり と ほんとうにこと細かにその本の状態がかいてあった。 そして それらの状態を書き込んだページをいちいち開いて確認させられた 最後に状況確認したということで利用者サインも求められてやっと貸していただけた・・ふぅっ・・ 顔なじみの図書館の方に 返却時にこれらのページ以外にもし何か見つかったら私の責任ですね、 と言ったら 申し訳ありません、と言われた。 私は本が大好きだから今までも大切に読んできたつもりだ。 ひもがついてなかってもしおりやメモをはさんで決してページを折ることはないし、まして何か飲み食いしながら読むということもあり得ない。 でも しみや汚れのページをいちいち確認させられたのではしんどくてならない。かなり読み込まれた本であることは間違いがない。 そういう意味で怖い本を借りてしまった、という感想だったのだ。 だから本当に心して読もうと思っている。
今年こそは・・と思っていたのに 猿沢池の『采女祭』に 今年も行けなかった・・
常にある 待つ宵の月 明日こそは
さわさわと 光る木の葉に高き空
群雲に隠れし月の思いかな
白露も過ぎて 夏の盛りの頃の夜明けとはずいぶんと違っていることを日々感じる 夏の花であるはずの朝顔も真夏の頃にはあまり咲かなくて 今頃になって忘れ物を取りかえすかのように咲き出した 早朝の涼やかな風はそれだけでも生きていることのご褒美のように思う いろんなことに悩み いろんなことに泣き、笑い そしていろんなことを思う私へのやさしい風 いつまでも そんな風の中に立ち尽くしていたいような・・ でも 明け方に見た夢の中の私は自分でもイヤな女だった・・ いろんなことに我慢しているから 夢の中くらい本音を出してもよかろう・・という私のほんとうの姿 欲しいものが手に入らない私のあがき・・ 時々 鎌首をもたげる私の感情 さぁ きょうは何をして静めようか
きのうはめちゃめちゃ焦った。 あやうく遅刻しそうだった。 仕事に行くから戸締りをしようとしたら 何故か洗濯物が干してない。 きょう、わたし、洗濯しなかった? えっ、あっ、うそ、うわあぁぁっ?!!? 洗濯もの 干すの忘れてる、うわあぁっ・・ それから狭い家の中を走るようにして洗濯物を干した。 いつも通りの朝だったのに何か時間に余裕があるなぁと過ごしていたのだ。 洗濯物を干す時間が浮いていたのに気がつかなかったということか。 でも まぁ気がついてよかったよ、あのまま仕事に行っていて今度気がついたら、洗濯機の中のしわだらけの洗濯物にもっと落ち込んでいただろうし。 私は比較的時間に余裕をもっているからなんとか遅刻は回避されたけれど、 ギリギリで行動するタイプだったらヤバかったよ。 あぁ これも物忘れという名の老化だろうな。
今度 ここのタイトルを『老いの繰言』に変えたほうがいいかなぁ・・なんて本気で思っている。
『やんぺ!』
奈良言葉なのか 私は小さい頃から 遊びでも勉強でも途中で止めてしまうことを 「やんぺ」と言っていた 福田さんの辞任は正にそんな感じで 1ヶ月前に 何コレ? と思うような内閣改造をしておいて やんぺはないんじゃないの 辞めるくらいなら解散総辞職せえよ! と強く思うのだわ
それにしても 最大の原因はマスコミだと・・私は思う そして閣僚も悪いなぁ おいらの親分(訂正します、大将にしておきます)を守ろうという、そんな気概も見えないしなぁ 次に悪いのは国民かな・・ 安倍さんのときでもそうだったけれど 今のマスコミと国民は 就任するときは 「きっと何とかしよう! 」 という意志を持っていたはずの人間を育てようとはしない 支持率だとか細かいことのあげつらいばっかりして これじゃぁ たいていの人間は潰されてしまうのではないだろうか 支持率の高い人が必ずしもいい政治をやってるわけではないことを、小泉さんのときに私達は思い知らされているんだけど、国民はもう忘れたのかな いい悪いは別にして(あ、別にしたらアカンか・・) せっかく総理になったひとを育てるくらいの気持ちも必要なのではないかと ふと思ってしまった だって今の日本じゃ 強いリーダーシップを持った人間なんていないと思うしね 篤姫のドラマじゃないけれど 日本を変えていこうという時代の波は何処にも無いし・・ でも ほんとうのところどうなっていくのだろうか・・
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