よーく考えてみたらこれも老化現象なのだろう。 目の前に仕事があって 今まで少々しんどいと感じても結局はしなければならないのだから、と 今までと同じように頑張ってしまう。 その日一日くらいは今までとほぼ同じくらいは頑張れる。 ところが次の日か その次の日くらいから身体のあちこちが痛んで 何やかと一週間くらいはぐずぐず言う。 一晩寝たら 疲れなんか吹っ飛んだ頃も確かにあったのに。 要するにしんどくなるのも直りも時間がかかるようになったということか。 薬にしても歳を取ったら新陳代謝が鈍くなって身体に滞留する時間が長くなります、と いつか薬剤師さんに聞いたことがあった。 何でもがスロー、スロー、ゆっくりですべての反応がだんだんと鈍くなってくるってことなのだ。 60歳前でこんなだったらあと10年後にはどんな発見があるのか? だから だからね 行きたい所やしたいことがあれば今のうちだわ・・と改めて思うのだけれど、さてさてどうしたもんか・・
さまざまに 老いを感じて 秋の風
空見上げ 我が行く末を思う日々
きっぱりと 人生の秋 楽しもう
今朝は筋肉痛で目覚めた きのう バックルームを片付けるということで 全員出勤でおまけに最近では珍しい残業になった どこの家でも大掃除をはじめたら いらないものがワンサと出てきて あぁこんなものもあったんだ・・と今さらに思うことも多いのだけれど 仕事先でも同じことですでにいらなくなった諸々が・・ ゴミの出ること、出ること・・ 各部門が占有場所にしているところもレイアウトの見直しで アングル棚を大幅に動かしたせいか、この筋肉痛は・・ いかに軟弱な身体であることよ・・
8月21日からの9月度は私にとって有給休暇の消化月で 今月は15日しか働かない 社員と違ってパートは原則的にはまとめて有休を取れないけれど (急な病気だとかその他の諸事情のときは上司である社員の許可がいる、 そしてパートの有休は経費という考え方からまとめて取得しないで計画的に・・という会社の考え方) 今月度の私は隔日勤務の日が多くて きょうもまたお休み でもきょうは父の命日で父の骨をおさめたお寺へお参りに行く予定 あれから9年・・ あの日も暑くて それから思うと今年は昼間も何か涼しいけれど これも諸事情で弟を誘うこともできずに一人で行く よく十年一昔というけれど 父が亡くなってからもほんとうにいろんなことがあって 自分勝手な私の想いだけはつのる一方で・・
ずいぶんと涼しくなって寝やすい夜になったのに 歯が痛くてうつらうつらの目覚めになった。 また歯茎が腫れているようだ。 今朝はバナナさえも痛くて噛めない。 もうずっと永いこと 予防歯科のような感じで3〜4週間毎に真面目に歯医者さんに通っているのに、一体いつまで歯で悩むのだろう・・。
光のタイミング♪♪ で光ネットにしたのはいいけれど 自分で設定したらメールが受信はできるけれど 送信が出来ない。 これも歯痛の一因かも・・?
日祭日はおろか盆も正月も営業しているスーパーだけれど 育児勤務をしながら働いている女性の社員が何人かおられる。 全員がだんなさん達も別の店舗で働く共働き夫婦だ。 そういう人たちは一番下の子供が小学生の間は、育児勤務ということで普通の社員よりは幾分融通のきく働き方になっている。 が それでもその育児勤務全員が正社員ゆえに売り場主任という立場だ。 だから 大きなセールの準備だとかクレームが起こったときにはそんなことも言ってられないので、学童とベビーシッターとの二階建てで仕事されてる 給料の大半がシッター代に消えていくとこぼしておられたこともある。 ところがシッターさんにも急な事情が起こって、急な事情ゆえに咄嗟のシッターさんも見つけられなくて、きのう小学生と保育園児の二人の子供を仕事場に連れてきた社員さんがいた。 ご主人も自分の勤務時間が迫ってきて、奥さんの勤務する店にやむなく連れてきたようだ。 その二人の子供さんはくったくのない明るいお嬢さんで、それでもお姉ちゃんが妹を何気にかばうようでほんとうに微笑ましく感じた。 何回かお母さんの休みの日に母親の働く店に遊びに来たことはあったようだが、制服を着て働く母親の姿を見たのは初めてのようで二人のお嬢さんには何気に新鮮に映っているようだった。 「ねぇねぇ お姉ちゃん、お母さんすごい早足で歩いてる」 「お母さん 男の人と笑いながらしゃべってはる」 とか 接客している母親を子供の眼で観察していた。 ふだんの家で見る母親と違う姿を見て子供たちは母親を頼もしく思っただろうか・・なんて私もパートなれど子供たちを家で留守番させていた頃を思い出していた。
オリンピックでも 一生懸命頑張った選手よりもそれを支えていた家族の話に私は感動する。 やっぱり人は一人では生きてはいけないのだ・・と、家族がいるから頑張れるのだ・・とつくづく思ったことだ。
膝や股関節や腰や肩こりが人気のない日替わりメニューのように きょうは何処がしんどいんや、というダンナの問いかけと それに答えるのが日常の一こまで穏やかといえば穏やかな日々。
それでも 同じ年代の者が集まればまた繰り返される同じ話題に ついついため息の連発。 いつしか ため息をついたら幸せが逃げる なんて事を本気で思っていて それなら私は一体どれだけの幸せを逃しただろう・・と、またため息。 そんななか あるパートが鍼灸がとても効いたらしくて 私に是非・・と勧める。 そういえば店長も腰痛を鍼で治したとか話されていたっけ。 つい その気になってそのパート仲間お薦めの鍼灸医へ行った。 まだ聞くの?というくらい個人情報ならぬプライベートな問診のあとに やっと鍼治療。 それで鍼灸医の言うには、私の痛い箇所はほぼストレスから来るものだと。 「何かいろいろありそうですね」 (そうそう そうなのよ、詳しくは話せませんけれどストレスなんです。) ため息ばっかりで幸せを逃してます、と話したら ため息は緊張から来るもので人間の身体は常時緊張していられるもんではないから、自分で調節するためにため息をするのであって幸せを逃しているわけではない、と。 この言葉は何故か私を楽にしてくれた。 良く出来た人間の身体が緊張を解くために自然とため息を出して調節しているなんて。 そうとわかれば これからはあまりいろいろ考えないでどんどんため息ついてやろう。
日本発の本格的な首都であった平城京。 ここで生まれた数々の遺産は静けさの中に華やかさを秘め 現在もわたしたちの心を癒してくれます。 平城遷都1300年祭は、 そんな美しい日本の歴史文化を理解し未来へ伝える取り組み。 記念すべき2010年へ向け、さまざまな事業がスタートしています。
平城遷都1300年祭 partners book より
710年、時の女帝元明天皇が藤原京から平城京に遷都して 1300年の節目になるのが二年後の2010年です。 そして きょう8月19日はその2010年の記念の日まであと500日という日になります。 近鉄奈良駅前や奈良100年会館では500日前イベントが開かれました。 いろんな意味で話題になった”せんとくん”も登場してにぎやかな催しになりました。
これから2010年の遷都祭に向けて、日本各地でいろんなイベントが予定されています。
普段は口の重たい息子だが 何故か外食に行くと自分のことや 「おかんは元気にやってるんか」といった言葉が出てくる だから家に帰ってきてくれたときは ダンナもうながして一回は外食に行くようにしている それでこのお盆中にも一回中華料理を食べに行った その時やはりいろんな話をしたけれど 今の上司がイヤでたまらないと息子には珍しくグチをこぼした 広島にいた頃も大阪の支店にいたときも上司には恵まれていたようで 何のとりえもない息子だけれどなんとかやってくれているのだと 広島の町や会社の方々に親として密かに感謝していた 今 息子は新規開拓をしているとかで 一週間やそこらで結果を出せるはずもないのに 自分のすることにことごとくケチをつけられるとかで 子供の頃からあまり人様のことを悪く言う子ではなかったのに・・と 母としては聞き流すことができない気持ちでいる ダンナにすれば何も言われなくなったらおしまいや、と言うし 世間では苦手な上司のいるのが当たり前のことなのだとは認識している 息子の言うように 相手は上司で自分は部下なんだから、と 何とかある意味サラリーマンの山場のような三十代を乗り切ってほしい 結婚してから少し太ったようで 世間でいうところの幸せ太りでは決してなくむしろ家庭を背負ったことの重圧感も手伝っていると、親バカで愚かな母は思うのです そうなると母として私はこの子になるべく心配をかけないように 健康に留意してダンナと二人で静かに暮らしていこう・・と思うのです そんな思いでいたせいか 盆明けでいきなり売り場変えをフロアマネージャーに指示されても この人も低迷する売上げに振り回されて きっと家庭を支えるお父さんなのだろうなぁ・・と
決して決して嵐ではなかったけれど・・ 息子夫婦が帰っていって何気に虚無感を感じている 独身時代から息子はお休みに帰ってきても口数の多い子ではなかった (これは娘も同じで、ねぇねぇお母さん聞いて! ということがなかった) 母の我で聞きたい症候群と話したい症候群を横目に息子は私のパソコンを占領してネット三昧・・かわりにお嫁さんが私と話してくれる お嫁さんは去年母親を亡くしているからその寂しさを噛み締めながら・・お母さんもお好きだった歴史の話など・・ 篤姫の話は大いに盛り上がる 夕べも篤姫の放送を見て孝明天皇役の東儀秀樹さんのことをメールしてきてくれた 息子にいいご縁が授かりますようにと、何度も願掛けをしたお寺に息子夫婦と行ってお礼参りをしてきた そんなこんなでたのしいお盆だっただけに余計に虚無感を感じている
今朝はさすが盆明けを思わすような涼しい朝だった 夜明けも序々に遅くなっていてあと1ヶ月くらい・・残暑を乗り切ったら待望の秋になる でもその残暑がきついのよねぇ 最近はカロリーの多いパンを敬遠していたが、お嫁さんと一緒に買物に行って紅茶のパンを買った 今朝はその紅茶の香りゆたかなパンを味わっている さぁ またパート頑張ろう とは言っても 明日は平城京遷都1300年祭の500日前のイベントがある 歴史教室の先生はこういった催しをあまり快くは思っておられないけれど、 私は好奇心を道連れにしてちょこっと覗いてみようかなぁ・・
社員が休みの日は伝達事項もあるため パートがフロア毎にある昼礼に出席している。 ただ単なる伝達事項だけの日もあれば きのうのようにかなりな内容になることもある。 毎日の売上げ状況が報告されるけれど ここのところの売上げの落ち込みは責任ある立場にある者にはかなり厳しい数字がでている。 現在庫とか仕入額とか値引き額とか荒利とか昨対とか予算費とか、私らパートには理解し難い言葉の羅列はただ聞いているしかないと思っている。 何とかシュミレーションというのがあって、今の状態では最低ラインの数字を達成するのも難しいようだ。 それで 今のフロア長は何か意図があるのかそうした問題によくパートに意見を求めてくる。 「〇〇さん この数字をどう思いますか」 「この数字を前にしてあなたは何をしましたか」 「8月がどういう意味をもつ月かあなたは理解していますか」 等々・・ きのうの昼礼でのパートの出席者は私だけで、以上のことを私にふられたけれど私には返答することができない。 「ここに出席している限りは分かりません、という返答はいかがなものですか」と、かなりな物言い。 今までは単純作業をするのがパートだと思い込ませておいて、昨今の非正社員化を進めてきたからといってそうそう我々パートの意識は変わるものではない。 (今後パートも意識改革をしていかなくてはならないことは承知している) 確かに今の状況は憂慮すべきものではあるけれど、売上げをパソコンでにらめっこしているだけでは売上げは伸びないのだよ。 現場に出て直接お客さんと触れて、いかに消費者からかけ離れた品揃えであるかを責任ある立場で確かめてほしい。 私らがいくら要望をあげてもそうそう取り上げてもくれないくせに、エライさんの鶴の一声で入荷する商品の多いこと。 それより きのうの昼礼の内容をきょう出社してくる私の上司である社員さんに正しく伝えることが私のきょうの課題だと思っている。 最近はいくらメモっても自分の筆跡だと認識はしても、その時の状況を思い出せない情けないことも発生しているので・・。
きょうを何とかやり過ごしたら3日間の盆休み。 久しぶりに息子の顔が見れると思ったらうれしくてならない。
きょうは私の母のお墓参りに行ってきた。 お寺の奥さんもお墓参りの人たちのお相手でお忙しいようだったけれど それでも冷たいお茶をお接待してくださった。 ここで頂くお茶は何気に美味しいのでいつも楽しみにしている。 ひとしきり世間話をしてお暇する。
きょうお墓参りに行くことは前から決めていて、帰りに別なスーパーに寄って売り場探検でもしようかというパート根性があったのだけれど、お盆に息子夫婦がやってくるので早々に帰宅して二階の掃除をした。 クーラーもちゃんと作動することを確認しておく。 息子も家庭をもったことだし まだ家に残っている本やら衣類を持って帰ってほしい気もするのだけれど、そうなったらそうなったで寂しい思いもするのだろうか。
それはそれとして・・ 去年の今頃の我が家は狭い路地を抜けた場所にあったのだけれど、去年の九月にその狭い路地にあった古いアパートを解体してその後、建売住宅が現在も建設中だ。 今の建築法にのっとって広い道路が確保されて見栄えはよくなったし、土地の評価もたぶん若干上がったことだろうと思う。 だが そのアパートの一角に我が家を含めた11軒の所帯がゴミ置き場にしていたのだけれど、業者がゴミ置き場があるせいで売れ行きが悪いので今後この場所にゴミを捨てないようにと通達してきた。 我々住民としては何十年もゴミ置き場として市の清掃車も収集してくれているのだから、代替地も出さないでそんな住民の生活を脅かすようなことはしないでほしいと抗議している。 自治会の会長は「業者はこのまま物件が売れないようであれば保障問題にまですると言ってますから、あんたらで早いこと解決してください」などと、完全に業者寄りのような信じられないことを言われる。 かくして何回も隣り近所寄って話し合いをしているけれど、こちらとしては ゴミ置き場があれば売れにくいことは分かりきっているから境界を認める署名を頼みにきたとき話していたのにそのときは無視しておいて、今さら何を・・と半ばあきれている。 が、何とかお互い寄り合って解決したいものだと思っているのだけれど、さてどうなるのでありましょうや。
今の旬の話題はオリンピックばっかりで 天邪鬼の私は何気に気分がのらずに、谷選手の柔道の試合をチラッと見ただけで開会式も見ていない 毎年 廻り来る広島や長崎のいたわしい忘れてはならない日だということのほうが思われるし、9日は姑の誕生日でもある 細木数子さんが言われる様に先祖の墓参りをしたいけれど、義兄も入るであろう姑の眠るお墓は車でないと行きにくい場所にある ここに全部は書き出すことができないいろんな状況がからんで、今年の初めにダンナは義兄と袂を分けた・・ 会社を廃業した 私としては義兄にリストラされた・・と思っている 今までのいろんな経緯もあってダンナはお墓参りをしないという 「あれは 兄貴とこの墓なんや」 そう言うダンナの気持ちを私も大いに理解するけれどそれとこれは別だろうと思うのだけれど・・ だけど一番情けない思いをしているのはダンナなのだから私がダンナの気持ちをあおっても仕方ないしなぁ・・と・・
ハローワークから今の中高年の厳しい現実をテレビではなく、直に感じて得た仕事にいって半年・・ 格別暑いように感じる今年の夏にダンナはかなり疲れているようだ そして私の上の弟の情けない体たらく・・ 何でこんなにも試練を与えられるのだろうか・・
でも 人は様々で きょうがお誕生日のひとも 就職試験の2次結果を待つ人も 初盆の法事をするひとも たぶん・・等しく平等に神から与えられた自分の人生を生きている そして きょうは涼しい朝を迎えられたことに感謝して 食べていくためのパートに行きましょうかね 最近はそんなにパートがイヤではない いくつか私が感謝されることが続いて気持ちは少々満ちている そろそろ 洗濯機をまわして ダンナのお昼ごはんにお好み焼きでも用意するためにキャベツを刻もう
きょうは立秋
今年の暑さには ほとほと参っているので せめて立秋という響きでも味わいたいものだと 夜明け頃に外に出て空を眺めた 昼間の暑さがうそのようで 昨日の夕方の雨で草が露を含んでいるのさえ心安らぐ 朝焼けがキレイできょうも夕立が降るのだろうか
奈良では5日から奈良公園周辺で燈火会の催しがあるのだけれど 最初の日はすごい雨で県庁前から国立博物館に行く地下道が水であふれたとかで中止になったことを聞いた そして いつも本当に楽しみにしている歴史教室のきょうのテーマは『神仏習合』 日本人は生れたら たいていはお宮参りや七五三を神社で祝い、お寺で除夜の鐘をついたあとに神社で初詣 受験の祈願などは文殊さんや天神さんを掛け持ちして、葬式は仏教のお寺さんに拝んでもらう これは キリスト教やイスラム教では考えられないような日本の宗教観だ 昔から八百万の神として、日本は来るもの拒まずというかとても大らかな宗教観をもっていたようだ もっともっといろんなことを聞いたのだけれど、ここに説明できるほどの理解が私には出来ていないのが情けない 先週は『聖徳太子の虚と実』というテーマでこれも本当に面白かった 今 歴史学の先生たちの間では聖徳太子非実在説なるものがあるそうだ 厩戸皇子は実在したが聖徳太子は想像上の人物だというのだ 教科書から聖徳太子という言葉を消そう・・という動きもあるそうだ 実はちょっとばかり・・と思って ここに書き出したのだけれど削除してしまった・・あまりにもまとまりのない文章で恥かしくなったので
パートに行ってる間と あまり理解できていなくても興味ある話を聞いている間は気がかりを忘れていられる・・ 何の甲斐性もなくても なまじ 身内の情があるだけに辛いことだ・・
この頃は毎日のように蝉の亡骸をみる そして 家の中ではクモが長い足を広げて横切る 天井と照明器具とをうまく渡って巣をつくる 二階への階段の途中ではムカデが力尽きたのかひっくりかえっている 夕べは ダンナのふとんでバッタが跳ねていた
こんな光景は夏ならではのものだろうけれど 炎暑とか酷暑とか猛暑とかいわれる今年の夏は ことさらに苛立つのだ 小さい生き物も必死で生きているのだろうけれど ムカデやクモなんかはできたら見たくない
寝る時間になったら あぁ きょうも終わった・・と殊更に思う 寝つきも悪いし すぐに目覚めてしまうし 最近はずっと寝不足感しきり・・
お盆の施餓鬼供養も近い・・ が 弟の情けない体たらくでとても気が重い・・ すべてはお金が解決することだけれど もういい加減にしてくれ・・ できれば 何処かへ逃げたい・・
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