月二回の歴史教室をとても楽しみにしている 今年からそれに加えて月1回の奈良の世界遺産入門講座というのも始った これも希望者が多くて100名定員のところに300名余りもの応募があったそうで、歴史教室を毎回真面目に出席していた私はOKをいただいた
今 日本には14の世界遺産があるけれど、そのうちの3箇所が奈良県にある(2004年に登録がされた『紀伊山地の霊場と参詣道』は和歌山・奈良・三重の三県にまたがる) そして暫定リストには『飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群』というのも控えている 何と恵まれた地域に住まいしていることかと思う 今日は第1回目なので 世界遺産とは何ぞや・・から始って、その意義や世界の事情などについて教えてもらった 講師は歴史教室の先生だけれど、毎年開催される海外での会議に奈良県の事情と嘆願に直接出向いておられる でも 先生ももう77歳の高齢で前回の帰りには あのぅ・・飛行機に長いこと乗っていたら・・いゃ飛行機に限らず足の血液循環が悪くなって何とか症候群・・あぁ・・言葉が出てこない・・になってしまったとかで・・心配されるけれど・・私のオツムも心配だ・・
小学校の校長を退官されて好きな歴史を極めたいというか、正しい歴史をせめて奈良県民に伝えていきたいという先生の老後は何と素晴らしい人生だろうと歓心している!! それにしても熊野古道歩いてみたいなぁ・・切に・・
今年に入ってからはろくに本が読めていない 編み物が面白いことが主な理由だけれど 実はある1冊の本に挫折してしまった 面白くなくてもたいていの本は読み通すのだけれど 題名からして私には過激だったのだ 『毒になる親』 年末年始にはいつもより多くの貸し出しをしてくれるので 以前から気になっていたこの本をおまけのように借りてしまった 何冊か借りた本を読み終えてこの本だけになったので読み始めたけれど 文章がちっとも頭に入ってこない 私は親であることにとても自信をなくしているので こんなタイトルに引かれてしまったのか、とも思うけれど 今更に親であることに恐れを感じている 動物としての親にはなれても ひとりの人格を育てていく意味での親にはとても自信がない そして 最近はやたら家庭内殺人も多い みんな自信をなくしているのだろう・・と私は思う 子供を持ってはじめて人間として成長する部分も多いと思うけれど 子供がいくら大きくなっても立場は変わないのだから いつまでも見られているということだろうか
ここ何日か最低気温が氷点下になっているし 昼間も時折雪がチラついたりして 脂肪を溜め込んでいるわりには寒くて いっそのこと冬眠などしたい気分だ・・・
何やかや値上げが続いて 我が家の場合は薄い財布がいっそう寒くなってる でも パート先では ジャケットやアウターはあまり売れないものの インナーが毎日、日割り予算を達成している 特に婦人物の落ち込みが目立っているけれど 世のお母さんたちはいろんな値上げ攻撃に 自分のものは買い控えているのだろうか 食料品も月末に新たな値上げが予定されているので まとめ買いのお客さんも多いようだ 庶民の生活に温かい話は聞こえてこない
きょうは二十四節気の大寒 暦通りの寒い一日になった 私は 四季がある日本ならではの二十四節気という響きがとても好き 最近は温暖化などで季節感がずれたように感じることも多いけれど それでも季節毎の行事や催しには何気にわくわくしてしまう
折からの雪の朝 大阪との境にある生駒山も そして若草山もキレイに雪化粧して 私のちゃっちいデジカメではなく 望遠のついたカメラが欲しい、とつくづく思った
きょうはこれからダンナのために 餅つき機で『寒餅』を作ろうと準備している 青海苔と海老 糖尿の人におもちを食べさせたらどうなるのか と いう私の質問に
俺らくらいの年齢になったら 食べすぎはいかんけど 自分の食べたいものをほどほどに食べるのが一番なんや!! 薬飲んで食事療法して100や130まで生きるんか!!
雪の朝
新川 和江
冬になっても ずっと降らずにいた雪が 真夜中から降り出したらしく 枯れた芝生や庭木をまっ白にして なお降りつづいている
こんなにどっさりのものを 天はどんな袋の中に 溜めこんでいたのだろう じっと 怺えて 持ちつづけていた袋の口を ついに放してしまった・・・というふうに 雪はとめどもなく落ちてくる あとから あとから落ちてくる
怺えに怺えていたものならば 歓びではなく それは 悲しみであるのにちがいない 天のとつぜんの告白に 世界中が しいんとなりをひそめている
私の悲しみも どれくらい怺えて こころの口を握りしめていたら このように うつくしくなれるのだろう このように きよらかになれるのだろう
・・・・・と 思いながら ガラス戸越しに 庭を眺めて 立ちつくしている
去年の1月19日に亡くなった叔父の1周忌に行ってきた 従兄弟は墓も建てて 納骨もした 母と同じお寺で 叔父も眠ることになったわけだ そして 母の命日が明日の15日 お寺さんに読経してもらって 私の気持ちもとても落ち着いた 上の弟の娘が去年の暮れに男児を出産したので 「お母ちゃん もうちょっと長生きしてたら曾孫の顔が見れたのにね」と 線香を燻らせて墓に話しかける 少しずつ 少しずつ状況が変わっていく私の周囲 そういえば10年前は娘が成人式をドタキャンしたのだ・・ でも たいていのことは私の気持ち次第なのだ・・とつくづく思う
大和郡山城址にある柳澤文庫で母の実家の系図を見つけたと、従兄弟がコピーしたものを見せてくれた NHKで今、天璋院篤姫をしているけれど丁度そのくらいの時代に生きていた先祖の名前だそうだ よくは分からないけれど 嘉永四亥年九月二十四日 三両二人扶持 勤料一人扶持 支配方弓鉄砲頭 〇〇〇〇 とある
あまり身分は高くないようだけれど 柳澤藩の末裔ってことか・・・
来し方も行く末も私の想いとは関係ないように過ぎて行く 寒い一日だった・・
仲良しのMちゃんが 「とうとうばあさんになりました」 と 1月6日に産まれた赤ちゃんの写真を添付してメールをくれた 10月の終り頃に離婚したダンナさんが亡くなったから しばらくメールをお休みしますと言っていたけれど お母さんの介護もしていたしとても忙しい日々を送っていたようだ 送られてきた赤ちゃんの画像はとてもしっかりした顔つきで 女の子だというから さぞかし これからMちゃんの縫い物に熱が入ることだろう
それにしても私にはうらやましくてならない 同じように娘がいても今の私の状況を思ったら あまりの格差に泣きたくなってしまう・・・ 人を羨んではいけない・・と自分を戒めるけれど・・
秋になって 木々が色づき様を変えたら きっと きっと・・・
冬になって あたり一面真っ白になったら 私の心も まっさらになるかもしれない
春になって キレイな花が咲いたら 秘めていた私の気持ちも通じるだろう
そして 夏になったら あの灼熱の太陽が なにもかも溶かしてくれるだろう
そんな想いで過ごして もう5年・・・
きのうは寒の入りだったようで きょうはそれを裏付けるかのように冷たい雨の一日 そして七草粥のことをすっかり忘れていた・・・
お正月に息子の家でおせち料理を食べたけれど 人って変わるんだ・・と 大いに実感させられた そもそもおせち料理というのは作り置きということになる 暮れからいろんな煮物や焼き物などをお重につめておいて、お正月に お雑煮とともに家族で「今年も健康で暮らせますように」と味わうものだ でも うちのダンナは自慢じゃないが作り置きや温め直し、冷やご飯を食べたことがない 家にいれば朝、昼、晩と三度お米を炊く まぁ 実際はパンや麺類が入るから概ね二回、ご飯を炊いている 結婚してもうじき34年、ずっとそうしてきた お茶漬けでも炊きたてのご飯を冷まして食べる だから 義母が結婚したとき 「あんた これからずっと〇〇のご飯の世話するんやなぁ」と、肩の荷を降ろしたように話した意味を最近はしみじみと思い出す そして 野菜を初めとした好き嫌いもとても多い だのに だのに 息子の家で作り置きのお節を美味しいとまでは言わないが 当たり前のように食べたのだ!! 別に私はお嫁さんに嫉妬しているわけではない ただ ダンナも年を取ったということだろう・・ そういうわけで きょうは白菜と豚肉の煮物を炊いてみた 結果は・・ お嫁さんにメールしてみようか・・ ありがとう・・と・・
今年はかなり久しぶりで元旦に仕事をしたので、たかがス−パーなれどテレビでお目にかかるような福袋商戦の真っ只中にいた。 前日の31日に福袋売り場の準備をしていたら、予約をさせてほしいというお客さんの申し入れがあった。 お断りをしても納得していただけなかったのでフロアの統括に来てもらったけれど、やはり「申し訳ありませんが明日ご来店ください」とお帰りいただいた。 そして当日、数に限りのある福袋ゆえにきのうのお客さんが無事にゲットできるだろうか・・とかなり気をもんだ。 子供のキャラクターものだったけれど、きのうは予約を受け入れてもらえないいらだちなのかかなりの凄みがあっただけに、無事にゲットされた様子に私が肩の荷を降ろした気分だった。
2日は早朝からダンナといつものところへ初詣に行って朝マックを食べた。 その後 梅田の阪急で息子の家にお土産を買おうと行ったら、こちらは正にデパートの福袋商戦にぶつかってしまって、警備の人にそんな場所にいたら買えませんよと言われてしまった。 こちらとしては福袋には何の興味もないので少し離れて開店を待ってただけなんだけど・・
それにしても 息子の家でお嫁さんの作ってくれたお雑煮とおせちが食べれるなんて考えもしていなかっただけに、ダンナ共々感慨深いものがある。 息子とダンナは男同士でそんなに話はないようだけれど、私とお嫁さんとはほんとうにゆっくりいろんな話をした。 去年の3月に亡くなられたお母さんのこと、息子の小さかった頃のこと・・ 以外な発見もあって暖かい夜になった。 ダンナも女の子の可愛らしさのようなものを何気に感じたようだ。 うちの娘には ある時期から華やいだ雰囲気も女の子らしさのようなものもほとんど感じられなかっただけに、ダンナも忘れていたものを思い出したようだ。 いいお正月を過ごさせてもらったとうれしくてならない。
明けましておめでとうございます
今年はどんな年になるだろう・・と 胸ふくらませて 本年もどうぞよろしくお願いいたします
でも 私はきょうの元旦もパートに行く たぶん 今年はしんどい年になるだろうから あえて 志願して(・・・?)出勤にした お正月も働かなくてはならない自分を叱咤するために・・・と書けばあまりにも自虐的だろうか でも 明日からは 三日間お休みをもらっているので 気分的にはきょうが大晦日で、あすからが私のお正月だろう そのお休みの間に神戸に住んでいる息子の家へ行くことになっている 息子のお嫁さんが12月に我が家へ来たとき、お正月はどうしましょうかと聞いてきたので、私たちがおじゃましていいかしら、と返事した 実は息子の住まいにはまだ一度しか行っていない お嫁さんが「少しお料理の腕も上がりましたので一度、いらしてください」とお誘いを受けていたけれど、去年の後半は私に日曜日のお休みが少なかったことと、せっかく行くのだからやはり息子のお休みに合わせて顔をみたかった そしてテレもあるのかダンナのおしりが重かったのが主な理由だろうか 私だけが平日に訪ねていったらきっとすねるだろうしね
そういうことで 元旦からお弁当を持って仕事してきます
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