昼間はともかく 朝晩は寒い 起きたてはセーターを着ている で 風邪気味のパートもちらほらで 何かうるうるしているパート仲間に 「どないしたん」 と聞いたら 「熱 あるねん」 という 私は右手をそのパートのおでこに当てて 左手を自分のおでこに当ててみた 確かに熱い 「ほんま 熱あるねぇ」 「きょうは発注日やし 休みたかったけど迷惑かけられへんから出てきてん なぁ よう頑張ってるね ってほめて」 そのパート仲間が言うには わたしら 子供をほめて頑張りやとかえらいねぇとかいつも言ってるけど、きょうの私は何かほめてほしい気分やねんと言う 確かになぁ わたしらくらいになったら誰もほめてくれへん 日々の食事の用意がいつも整えられていることも 洗濯の行き届いた服を身に着けられることも当たり前のようになって たまには休みたいと少々手を抜くことはあっても 亭主も子供らもちぃっともほめてくれへん 「せやから わたし 誰かにほめてもらいたかってん」とそのパート仲間は言うのだ 風邪気味で熱があるからちょっとセンチな気分になったんやね 「いつもよう頑張ってるね、エライ、エライ」と 私はそのパート仲間の頭を撫でてあげた 何だかね 私もほっこりしたよ
某所で開かれた教養講座『写真で詠む万葉集』というのに行く
新聞社のカメラマンから芸大の教授を経て、今は奈良を中心に活躍されている方の、写真をとおして万葉集に詠われた奈良の魅力についてのお話だった 寺の屋根や塔を背景にした花や黄昏の空の写真が、万葉集の句とともに掲載されていてカメラマンの気持ちが伝わってくるようだ 奈良の風景や花の写真を撮るカメラマンも多いけれど、題材に万葉集を選ぶというのも何気に私の気持ちをくすぐる 次は山頭火を題材に、カメラを携えて出かけたいと話されていた
万葉集は4,500首もあるようだけれど、作者不詳というものも多い 身分が低くてそういう表現になったようだが、現代とも通ずる庶民の生活の様子が面白い
ただいま全身筋肉痛
きのう 標高517mの二上山へ登った 最寄り駅を降りて 坂道の向こうにみえるお山に正直たじろいだ でも 二上山に登ろうと言い出したのは私だ ネットで検索したガイドには早い人で1時間、ゆっくりでも2時間とあった ここまできたら登るしかない 私も大阪のおばちゃんだ ・・・・・ どんぐりや枯葉を踏みしめて おおよそ2時間 更年期のイヤな汗じゃなく 純粋な汗が吹き出た 私が二上山に登りたかったのは、大津皇子の墓に行きたかったから (ただ真偽のほどは確かではないようだ・・・) 雄岳にある大津皇子の墓はそっけないほどの静かなたたずまいだった 雌岳にある展望台でお昼にする 紅葉には少し早くて頂上から見える当麻の里はかすんでいた 帰りは登りと違う道を下っていったけれど杉の木立の合い間に細い渓流があって、まるで写真やテレビで見た屋久島のようだった 身体はかなり疲れているのに 気持ちが和んで何気に癒されている 何せたっぷりのマイナスイオンを浴びたもんね それにしても 3年前の足の痛みを思えば嘘のようだ
早良皇太子の御霊(みたま)を沈めるために建てられた御霊神社(ごりょうじんじゃ)へは、歴史教室の先生に案内していただいた でも淡路島にあるという早良皇太子の墓へも行きたい そして有馬皇子の墓にも行きたい それにしても 今の我々が生きているこの世界も、悠久の流れを思ったら針の穴にも満たないような一点しかすぎないのだ
祀られし 悲運の皇子に思い馳す
ふたかみの 水の流れに木漏れ日や
ふたかみの 木漏れ日ひかる そまの道
伝説の 当麻の里に 秋匂う
去年の今頃はあと1ヶ月、あと3週間、あと10日・・・と夢にまで見て きっとうまくいく・・・そう信じて祈るような日々を過ごしていた だから 予想もしなかった結果に喪失感とか孤独感とか寂寥感とか、言葉で言い表せない気持ちで胸に鉛を抱く思いだった その時にたまたま読んでいた本で万葉の頃に惹きつけられて、この一年何とかやり過ごしてきた あの時代は良く言えば恋愛には大らかだったようで、私から見たら少々多情とも思うけれど『大伴坂上郎女』になりたいなぁ・・と密かに思っている この人は大伴旅人の妹であり、穂積皇子の歳の開いた若き夫人であり、大伴家持の叔母であり義母でもある 万葉集を編纂したのは大伴家持だとされているのは正史ではあるけれど、彼女の存在なくしては考えられないのです タイムマシンとか、ドラえもんのどこでもドアがあればなぁ・・という思いで毎日をフワフワと過ごしている
私の願望が夢の中で実現した
夢の中だけのこと・・・
でも きょう一日は 夢の余韻のなかですごそう・・・
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