直属の上司というか 社員が転勤になって 新しい人が赴任してきた 今までなら いくつぐらいだろうか、とか 結婚してはるんやろか、とか おばちゃんに有りがちな好奇心がいっぱいだったけれど 今回というか最近はいろんなことに興味が薄れている どんな人が来られようと 私は私の仕事をしていればいいのだと思っている そのうち 誰かが聞き出して教えてくれるだろうから
今月でパートに出て早や18年 ダンナの給料が45%減に決定したので 私はしっかり働かねば、と思っているのに ダンナのほうが仕事に意欲を無くしている・・ 「18年も働いてるんやったら もっと考えて働いて俺ひとりくらい食わしてくれ」と言う 正社員という働き方を選択してこなかったのは誰のせい? と言い返したいけれどそれを口にすれば私も惨めになる こういうことを言う人ではなかったはずなのに 今の状況がダンナを追いつめているのだろう 困ったことだ・・・
今年は国勢調査の年のようで 用紙がきたけれど 何気に記入項目が減っているように思う 前回は最終学歴を記入する項目があったように思うけれど、昨今の私の記憶はいい加減なところがあるから強くは言うまい 前回は娘も同居家族として記入し 前々回のときは息子もいた 今回はダンナと私だけの記入 寂しいことこのうえない 親としては 子供たちが結婚するまでは親の役目もあろうかと勝手に解釈しているけれど、今の状態ではそれさえも・・ 子供の自立にあわせて親も精神的に自立していければ理想だろうけれど、現実はなかなか難しい面もある・・ お見事! という人も何人かは存知あげてはいるけれど・・ 私は・・
いろいろの旅の終りがあった。長い旅ほど短く感じる終りがあった。人生も長い長いと思って生きていて、その終りに、ふと短かったと感じながら死んでいくのかも知れない。 残ったたった1つの林檎を噛りながら、暮れて行く田舎道を歩いて行くような終りもあった。しかしその終りが、どんなに寂しく、どんなに心残りがあっても、帰れるところを持っているから旅になる。少なくも私たちの旅には終りがある。終りがあるために、また新しい旅立ちを考える。
ひとり旅 串田 孫一
今年も100日を切った・・・
当然のこととして 読もうと借りたはずの本を何故か読めずに返却してしまった こんなことも珍しい・・
私の寝不足の一因でもある2軒先の犬が泣くのも何か理由があるのだろうか・・
何もかもが面白くない・・ でも 私くらいの歳になればたいていのことは自分の蒔いた種が原因だろうか・・ これが私の生き様なのか・・
きょうは歯医者の日 予約を取っている医院だからそんなに混んでいない なのに 診察が終わって待合室に戻ったら中年の男性が4人も座っている しかもその中の二人同士が喋っていて、男の人が連れ立って歯医者に来るのも変だしと思っていたら、○○さんと呼ばれると全員が立ち上がった しかもその中の一人が手錠をされていることに気がつく 確かにこの歯医者は警察のすぐ側にある 手錠姿で歩いてこの歯医者に来たんだろうか でも歯医者さんってそんなに急を要することはまずないし、その手錠をされている人は別に歯が痛そうでも何でもなさそう だのに何か犯罪を犯したらしい人が歯医者にかかれるんだ 診察代を払うときに中がチラッと見えたが、手錠は外されたようで腰縄に変えられていた そして診察台を囲むように3人の刑事さんが立っている
この歳になって実際に手錠をかけられた人を初めて身近に見た やはり普通の姿ではない どちらかと言えば見たくなかった光景だ
明日は敬老の日 母の日や父の日のような混雑はないけれどそれでも、ふるさとの親や祖父母へ宛てた贈り物の依頼が続く はやりの羽毛の肩当てやゲルマニウムやカシミアの入った肌着など、お年寄りに寒さは禁物とばかりに暖かいものを多く選ばれているようだ 綿入りの作務衣に加えて、日持ちのするお菓子を添えてほしいという依頼には何かしらじ〜んとした 私は自分の両親に敬老の贈り物をしたことがないが、ダンナの親へは品物よりも食事に連れて行ってあげたりお小遣いを渡すことをしてきた 今年もそのつもりでいたけれどダンナはどうもその気にならないらしくて、車の運転が出来ない私はパスするしか仕方がない タクシーもあるし施設へ何かプレゼントを送るという方法もあるが私もそこまでする気分にはならない でも 明日は我が身の老いゆえ、私の20,30年先を思えばかわいい子供が来てくれなかったらさぞ寂しいだろう・・とは思う もう少し日にちが過ぎたら あきらめずにダンナを誘ってみよう
大人の家出が増えているようで年間7万人とある 自殺する人も3万人いて これでも先進国といえるのだろうか いずれも 働き盛りの40代、50代の男性が多いとある 仕事や家庭の重圧に耐え切れなくなったようで 今の日本は見た目には裕福そうに見えても それは一部の人だけのもので 勝ち組とか負け組とかいう言葉にもあるように だんだんと貧富の差が顕著になってきたようだ うちはどう見ても負け組のようで ダンナも義兄から給料の60%減を言われてから 何気にやる気をなくしているようだ 自身の今までのお金の使い方も反省しているようだが それを口にする私とのいざこざも増えてきた 60%減になった給料と私のパート代とでやりくりしようと話し合ったはずなのに、毎日言うことが変わる・・・ お金で買えないものもあるし お金がすべてではないし お金がなくても豊かな気持ちも人もいるだろうけれど やっぱりお金がなくては愛だけでは生きてはいけない 年が明けたら 結婚して32年の夫婦の絆は愛なのか情なのか たぶんどちらも今のところはあるとは思う・・・が・・・
選挙も大事だけれど(ちゃんと投票には行った) 我が家にとって 屋台骨が揺らぐようなことになりつつある 政府は踊場を脱却しつつあるという景気だけれど、私の置かれている場では脱却するどころか階段を落ちそうな感じがする ヒマで仕事が無いこともあるが 義兄が給料の60%減を言ってきた ダンナは義兄と約33年にわたって 一緒に仕事をしてきた 個人の経営する会社であるから 9歳も年上の義兄が必然的に実権も実印も帳簿も握っている うちのダンナにハングリー精神がないことは認めるがここに書き込めないことも含めてあまりの仕打ちだ
恥ずかしいことだが 我が家に預貯金はほとんどない・・・ 住宅ローンも残っている これからどうする・・・
いくつになっても人生は油断ならないということか・・・
8月の末に本当にささやかな父の7回忌を済ませたので、今までとってあったこまごましたものを捨てようと思っている 入所していた施設や入院代金とか葬儀費用の明細とか・・ 二人も弟がいるのに 私の家で密葬したのでダンナの親兄弟に何か言われるんじゃないかとずいぶん気がもめたことも昨日のように思われる 私の両親が熟年離婚したことは伏せてあったから、そっちのほうも気にかかった その時は母も意識不明の状態で入院してたから、父の葬儀に母が居なくても何も言われることはなかったけれど・・
几帳面だった父は自分の記録はメモ書きにしていた 就業記録とか軍隊の入隊、除隊記録もあった 終戦で佐世保に帰還したことも書いてあった それらのメモは実は散骨した時に一緒に海に流した 胴骨といわれる大きい骨はお寺に納め、胸骨といわれる小さい骨を散骨したのだ それは父の長い間の願望だった 骨を海か川に流すことは「葬式はせんでもいいし、墓もいらん」と言った父の心底の願いだった 2000年の5月の海は雲ひとつなく澄んだ青空が目に沁みた あの海へいつか本当の墓参りに行きたい・・と思う
何も書き込めない日が続く・・・ でも体調はそんなに悪くない
変な夢も最近は見ていない (でも何故か六本木ヒルズに行った夢を見る そこでは ホリエモンが広島6区ではなくて六本木ヒルズで若いおねえちゃんに囲まれて選挙運動をしていた それを見ている私は「25歳を過ぎた女は産業廃棄物だ」と言ったくせに、選挙運動では女を利用するのかと、ひどく怒っているのだった) この夢での寝覚めはそんなに悪くはない
久しぶりに熱くて濃いカフェオレを飲んだ おいしい・・
台風のひどくないことを祈る・・
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