岡田民主党代表 安倍副幹事長 官前民主党代表 田中新党日本代表 が 公示前に次々と来県したようで 今日の午後には 小泉首相が近鉄奈良駅に来るらしい 9月2日には共産党の志位さんも来られるらしい 郵政法案に反対をした議員がいるので そうそうたる顔ぶれの来県だ でも 家とパート先の往復だけの身にはそれぞれのご尊顔を拝することもない 中央の生政治家を見たい気もちょっぴりあるけれど・・もう考えも決まっていることだしミーハー的な思いは出さずにおこう
8月も 名残りの晦日と なりにけり
8月2日に会社で受けた健康診断の結果がでた 今年は 少し前から計画的に(ここ強調!!)夕食後のデザートを控えて、朝ごはんも豆乳だけにして、おまけに昼前の検診時間だったから朝一番でプールに行ってから受診した まぁ ものの見事に検査には異常を認めません、と出た 聴力検査のことはどうやら生まれつきみたいだし、年相応の老眼も仕方がないとしてあれほど毎年言われていた血圧も中性脂肪もコレステロールもみんな正常値 私ってやれば出来るんだ(・・・?) と言うより食事の見直しとプール効果ということか ダンナがお肉を食べているとき 私はせっせと納豆やらゴーヤやらパプリカを食べてたもんね 時にベジタリアンになったかと思うくらいに野菜を食べた 昔は分からなかった野菜のおいしさも知った それにプールはパートが休みの日は必ず行ったしね 特に長生きしたいとは思わないが 健康でいたいとは切に願う 目指すはコロリ往生!! せいぜい頑張って家の片付けをしましょう
8月29日が父の命日で 丸6年になるため 二人の弟たちと7回忌の法要をした 姉弟三人だけのささやかな法要だ 父の骨を納めたお寺で塔婆を手向け経をあげてもらい、その後 三人で昼ごはんを食べた その時 下の弟が今、無職であると衝撃発言をする 勤めていた支店が閉鎖され 代わりの職場は他府県のため通勤できないので退職したそうだ 下の弟には重度の障害児がいるので、その介護のために単身赴任すら出来ないのだ 特に何の資格も技術も持たない48歳の男が就職できる道は、今の社会ではかなり厳しい うちのダンナも今 仕事がなくて自宅待機している 久しぶりに会った姉弟の話題がとてつもなく暗い うちはもう子供の入用はないし、最悪なら今の家を売って夫婦でワンルームマンションにでも・・と悪いほうへ考えて話し合いもしているが、弟には専門学校に通う男児と中学生とそして障害児がいる 弟のお嫁さんと子供たちが協力して障害児を助け、弟が単身赴任すればよかった・・と傍で言うのは容易い でも私にはいくら弟でもそれは言えない 弟は障害児の子をほんとうに頭が下がるくらい大切に面倒を見ていて、弟が声をかけて添い寝しないと寝ない 18歳のその子にとって弟の存在は大きい だから失業保険をもらって じっくりくさらず職探しをして、としか言えない 頼りない姉ではあるけれど・・
目の前を トンボ飛び交い 父偲ぶ
消しゴムで 消せる人生 もしあらば
少々 不謹慎な言い方になるが選挙が面白くなってきた
テレビは逆刺客と報道しているが 私は真剣勝負だと思う 「さらば 小泉純一郎」という著者の天木直人氏が、小泉さんの地元である神奈川11区から単独無所属で出馬するようだ アメリカ一辺倒のイラクへの自衛隊派遣に真っ向から意見を述べた人だ レバノン大使だったが小泉さんに自衛隊をイラクに派遣すべきでないと発言して、帰国を命じられてそのため最終的には外務省を辞任している さぞかし勇気のいることだったと思う 今回 いろんな人が刺客として住まいをしていないところへ出馬している それなら私もどうしても勝ってほしい人が立候補している地域へ移りたい思いでいる バカのひとつ覚えのように郵政民営化しか唱えないが、そのほかのことには白紙委任せよ、とでも言うのか 国の借金が増えて郵政の民営化をすればすべての民営化に繋がるようなことを言うが、国連に入りたいためとか、イラクへの自衛隊派兵とかそれらのために一体いくらのムダ金を使ったのか 今回の選挙だって700億の税金が使われているそうだ 公共工事のムダ使いについては、おそらくすべての工事に於いて例えば1億で出来る工事を1億2千万くらいで請負しているはずだ これは暗黙の了解というかゼネコンでの常識だ そういうお金の使い方をすべての官で行われていることだと思う それらの意識改革しないでは何をやってもダメなのではないのか・・と思う
とっくの昔に人生の折り返し点も過ぎて 平均寿命まで生きると想定しても 残された年月のほうが少なくなってきたのに あれもしたい、これもしたいと思うばかりで 実際に行動に移したのは ちょっとばかりのパソコンいじりくらいなものか 暑いことを言い訳にして 家の片付けも遅々として進まず 伝わらない思いだけを日々反すうしている 残された年月がずっと健康である保障もなく だとすれば なお更これからの優先順位を決めなくては・・ あせっている訳ではないが 何かに追い立てられるような思いは確かにある・・ 私のまわりの同年代は まだそこまで考えるのは早い、と言う そうかもしれない あしたはあしたの風が吹くのだ 人生、何とかなるのかもしれない 今までと同じように流されていけばいいのだ いくら 願っても叶わぬことも多い 思いが弱いと言われれば返す言葉もないが 人の気持ちを伴うことは私の思いだけではどうにもならぬ・・
うちのスーパーは衣料品が弱いらしくて 社長が衣料を何とかせよ、と言ったとかで 本社の偉いさんが、現場のパートに品揃えやお客さんの意見を聞きたいからと、ミーティングにやってきた 現場で解決できるようなことではなく 商品開発とかシステムの不都合とかを中心に聞き取っていた やはりいろんな意見が出た 紳士ズボンのサイズ設定や 子供衣料の需要の格差とか 最近の主流である中国製品の不良品の多さとか やっと会社もパートの意見に目を向けるようになってきたようだ 本社の考えを否定するとまでは言わないが 上で決めたことが私らパートにまで伝わっていないことも多かったし、何で・・?ということも多々あったからこれからもこういう機会を与えてほしいと切に感じた どんなに社員さんが偉い・・としても、社員とパートの比率を考えたら、そしてこれからも社員を減らしてパートが主流の構成ならパートの意見を聞くのは当たり前の話だ でも 人前で意見を言うのは疲れるわぁ・・
パート先でのお昼の休憩時間は結構楽しい いろんな話で盛り上がるけれど ここ最近の話題はやはり選挙のことが多い でも小泉さんの政策を指示する人が世論調査で50%を超える、とかいう話になるとみんなが首をかしげる だって50%ってことは半分、つまり二人いたら片方は指示するってことでしょ いつもだいたい5,6人か7,8人でご飯を食べてるけれどそのうちの誰ひとりとして小泉さんを指示していない イラクへ自衛隊を派遣するときだって国民の審判をあおいでほしかった・・! だから どこから50%なんて数字が出てくるのか不思議でしかたがない まぁ 田舎のおばちゃんの小さな塊だから、どっかの会社のおっちゃんばかりの塊なら小泉さんを支持する人が多いのかなぁ それに 刺客とかいっていろんな賢こそうな女性を公認しているようだけれど、その女性たちは男性的な野望を持って立候補はしないだろうがそれでも当選したら『あ〜もしよう、こうもしたい』とは考えてると思う でも でもね小泉さんだったら『どんどんやってください』なんて口ではいいように言っても後ろでまたスカート踏んずけないかな・・と私はいらぬ心配をしてしまう 官から民へ、なんて言ってるけれど新たに公認する人々は官のひとが多くて、国会は官の天下り先かと勘ぐってしまうほどだ
そんなこんなで1時間くらいの休憩時間では足りないのです
終戦記念日に合わせたわけではないが 辺見 じゅん の『戦場から届いた遺書』を読んでいる
こういう本は図書館で借りてきて読み切れるものではなく いつも手元に置いておいて 心乱された時に読みたい 今をどんなに愚痴っても命を脅かされることはないのだから
現代においては遺書は老人や重病の人によって書かれるが、戦争中には、若い人々によって書かれた。戦争はなによりも若者の死を大量に生み出す残酷な営みであるから、若者の遺書は当然多くなる。彼らは、死を前にして、自分の思いを、父母や妻や友人に書き綴った。平和なときでさえあれば春秋に富むべき人生を、無理無体に断ち切られるという状況において、自分の思いを必死で書いた。しっかりとした文章もあれば、文を書きなれない人のたどたどしい文章もあった。
いかに健気な覚悟が記された文面であろうと、兵士たちの遺書には死に赴く者の嘆きがこもっている。そして無名兵士の遺書には、祈りの響きがある。 これらの文章や息子の戦死の知らせに、何日も泣き続け、なおおさまりきれない悲しみのあまり、顔の形が変わってしまった母もいたという。
現代の見方によっては人々の内側から腐ってきているのではないのだろうか・・という状況の中でこそ、戦場での事実というか戦争とは何かを知ることだろう
5月の連休以降くらいからダンナの仕事がヒマで縮小財政を強いられているので、今年のお盆は何処へも行かず家でおとなしくしている 秋になって予定されている仕事が入ればすこし我が家の財政も持ち直してくれるだろうか うちのような庶民はバブルの頃にも決していい目はしなかったけれど、最近の仕事の有り様は少し先のことでさえ不安が付きまとう 私が帰れる実家もとうに無くなっているし、息子はきのうから帰ってきてはいるが友達に会うのに忙しいようで簡易宿泊所みたいなものか 今年の私は連休を取っていないから普段通りにパートに出かければ、息子とゆっくり話しもできない でも 元気そうな顔を見れただけで時として熱いものがこみあげる・・その後は何も言うまい・・
盆なれど 夫婦ふたりの 夜が更ける
暑いのは 待てど帰らぬ 娘ゆえ
パート仲間と夕方、お茶をのんでいたらタバコを吸い出した この頃は女性の喫煙も多いようで私は個人の自由だと思っているから何ということもないけれど、タバコの箱を見て驚いた 『喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます。(詳細については、厚生労働省のホーム・ページをご参照ください。)』とある 『未成年者の喫煙は、健康に対する悪影響やたばこへの依存をより強めます。周りの人から勧められても決して吸ってはいけません。』 ともある
テレビでタバコが健康に及ぼす害をパッケージに表示するというのは見ていたが、実際に目にして何か情けなくてならない タバコのみならず、ラーメンやインスタント味噌汁のように熱いお湯を取り扱う商品に『熱湯の取扱には十分にお気をつけください』という親切(・・?)な表示もある 日本人はここまで書いてもらわないと分からないようになってしまったのか、何かことが起きたときにメーカーもここにこうしてお気をつけください、と書いてありますという逃げの表示なのか 肺気腫の人が喫煙するもしないも自己責任だ 未成年のものがタバコを吸っていたら注意するのは大人の役目だが、時場所を選ばないで吸っている大人が注意できるはずもない まぁ そのうち ケーキや袋菓子のパッケージに『これらの食品を食べ続けると糖尿病になるおそれがあります』という表示がされる日もあるかもね・・
お施餓鬼は、お寺で一番多くの参詣者が来られるお勤めで、亡き千亡の霊位をしのびつつ、生かされる喜びにふれる法要です。 お釈迦様のおられた頃、お弟子の阿難尊者が鬼に「後、三日の命だ」と言われ、困ってお釈迦様に尋ねたところ、「多くの人々に供養しなさい。」と教えられ、その通りにすると天寿を得られた因縁のお勤めです。 私達は、ついつい自分中心に自分の家だけ別という「我」にとらわれておりますが、その「我」を離れることによって、のびのびと「喜びのいのち」に気づきます。「生きている」ことから、『生かされている』ことへの大転換、これを「回向」と申します。 千亡の諸霊位の御回向を通して、「生かされる私」に気づき、喜びの日暮らしを目指しまょう。
と言うことで 母のお墓があるお寺の施餓鬼供養に行く 寺の本堂はいつも暑くて、私はバテバテになるけれど今年は何とクーラーが入っていた でも寺の檀家を総集しての施餓鬼供養だけに、千亡の霊位のお施餓鬼の読み上げの2時間ほどがとても長く感じる 軟体動物になってしまったのか、椅子に腰掛けていても同じ姿勢でいることが辛くてならない
きのうが暦では立秋 時たま 涼しい風を感じることもあるが、選挙になってしまって何気にまだまだ暑い日々が続きそうだ それもよかろう・・ 人の意見を聞けないようなリーダーはいらない・・と私は思う
きのう このエンピツを書いてからパート先から持ち帰った棚卸原簿を見直した 発見!!! この棚卸 入力ミスしてる 12万7千円という逆ロスの原因が分かった 棚置きしてる紳士のパジャマの数の4枚が正しいのに45枚とカウントされてる 1枚2980円のパジャマ41枚分で122,180円 やっぱり私のせいではなかった 社員も誰も逆ロスの結果を責める訳ではなかったけれど、私のそこそこ長いパート生活でこんなロスは初めてだった 何かしら消化不良の気分で納得がいかなかった 調べてよかった 原因がはっきりして早く社員に伝えたくて夕べは眠れなかった せっかく下がりつつあった血圧が上がったのではないかと思うほど、テンションが上がって気持ちを抑えるのに苦労した
で きょう さっそく報告したら 何人もの社員が「よく そこまで調べたねぇ」と感心してくれたけれど、原簿の修正には実際の売場の4枚しかない写真と仕入れ伝票と間違っている原簿を揃えて提出しないといけないらしい 委託棚卸で業者に下請けをだしている関係から、そこまでしないと修正してくれないらしい 人の間違いでわが身に降りかかったことの例えれば、無実の証明をするみたいなことか 自分の身の証をたてなければならないことのしんどさ・・
それにしても私は大雑把な性格だと自分で思い込んでいたけれど、結構納得できない事にはこだわるようだ
3日にあった棚卸の結果がでた 私の担当している部門は逆ロス 帳簿在庫より実在庫のほうが12万7千円多い ・・・・・ 何でかなぁ 売変や返品、振り替えもチェックした あとはここ半年の仕入れ伝票のチェック これは簡単にはいかない いっそのこと 前のように手書きの伝票のほうが見やすいのに この数字は再棚卸にはならない想定内の範囲だけれど さりとて一生懸命に店出しやら商品整理をしたのに ただのロスならリフターだという解釈もできるが 実在庫のほうが多いなんて何気に悔しくてならない
夏休み真っ盛りで手芸コーナーでは かわいい小学生の女の子たちがお母さんに付き添われて ビーズのストラップや、レース糸の携帯入れやらの簡単な手芸を楽しんでいる 夏休みの宿題にするつもりなのか ただ興味があって作っているのか何にしても可愛くてならない 約20年前にもなる娘の小学生の頃のことは 正直よく覚えていない・・寂しいことだ・・
昼間の温度が35度にもなるような日々の繰り返しは 早朝の25度という気温はまるで避暑にでも来たような思いがある 涼しいってこんなに気持ちも体も楽なんだ きのうは局地的に大雨が降るとかで警報まで出たものだから、大急ぎで2階の雨戸を閉めたのに肩透かしで、今朝は早くから隣近所に迷惑のかからないようそおっと雨戸を開け庭の植木に水をあげる 今年の我が家は園芸店で買ってきた日々草だけが色物で、あとは緑色ばっかりで少々物足りない気もするがその分、筋向かいのおうちの格子に巻きついた朝顔に見とれる
きょうはパート先の中間決算棚卸 半年なんてすぐだねぇ とみんなで話しているがほんとうに毎日が早く感じる さぁ きょうも頑張ろう
ぬか床に 残るムラサキ 茄子の色
以前ほど 夫婦ふたりで お茶減らず・・・
『海ゆかば』 という歌がある
海行かば 水漬く屍(みずくかばね) 山行かば 草生す(むす)屍 大君の辺(へ)にこそ死なめ 頼みはせじ
この歌は戦時中、絶え間なくラジオから流れた。 万葉集に出てくる大友家持の長歌の一部に信時潔(のぶとききよし)が37年に曲をつけた。太平洋戦争の後半、日本軍が敗退し、玉砕を重ねたとき、それを報じるラジオが流しつづけた。勇壮にも響くが、悲哀の度を増していった。散っていく者たちへの哀悼とともに、意識の深みでは、沈みゆく大日本帝国を葬送する歌としても受けとめられたのではないか。 政府が推奨した歌だった。だが、政府の意図を超えて人々の心に重く沈潜した。多くの人の記憶に焼きついているのは、43年、東京の神宮外苑競技場で催された出陣学徒壮行会の光景ではないだろうか。雨中、泥だらけで行進する学生たちを見送る大観衆が「海ゆかば」を歌った。地響きのような歌声だった。(新聞記事から)
戦後生まれの私でさえ、この歌の重みというか魂に響く曲を背を正して聞く なのに 今、何かと話題になっているザインとかいう私から見たら詐欺集団が国歌(・・・?)にしているらしい これだけテレビで報道したら そのうち警察の調べがあるだろうと思うが、「海ゆかば」を用いた罪なんてのは問えないだろうなぁ・・・
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