月1回くらいのペースで眼科に目薬をもらいに行く いきなり今日は「NTGの検査をしますね」と言われて、何のことかわからないので「はい」と返事をしたものの、不都合が起こっているのかと少々不安になる 帽子のつばのようなものを四面につけたテレビのモニターのような物に顔を突っ込んで、眼球は動かさずに目の端に何か見えたらボタンを押すというようなことをした 片目ずつの検査でじっとしていることが苦手な私には何気にしんどい検査だった 要は40歳くらいからに多い視野が欠ける病気の検査だった 緑内障の一種で自覚症状のないままに進行してしまいには失明するようで、40を過ぎたひとの28人のひとりくらいの割合で発症するとか 検査の結果は何ともなかったようだけれど、患者の了解というか検査の説明もせずにいきなりの検査はどうかなぁ・・と感じた 後から思えば拒否もできたのだろうが、顔見知りの看護士さんに「検査しますね」と言われたらどっか悪くなってるのかと患者としてはなかなか突っ込んだことは聞けないのではと思った まぁ もし異常が見つかっていれば話は別だろうが・・
参考までに www.ntg40.jp/
何かに熱中してみたいと つくづく思う 手芸のような手作りでもいいし ヨンさまとかきよし君とか それこそ追っかけでもしたいようなアイドルでもいい 真面目なところで ボランティアでもいいし ようは あまりいろんな事を考えずにそのことだけを考えていたいのだろうと思う 相変わらずの日々の繰り返しで とくに落ち込むことがあるわけではないけれど感動できるようなこともないのだ よく老いたひとの言葉として もう10年若かったら・・という思いはある もし本当に10年若かったら現状を考えて正社員に挑戦するだろうな それとも新天地を求めて羽ばたくだろうか 10年前だったらそろそろ膝が痛んできたころだ 薬の副作用で激太りもしてなかった頃か 世間で言うところの十年一昔というのは私にとってはほんとうに実感できることとして記憶にある 私の両親は老いてはいたが健在だったし 息子は学生だったし 娘は引きこもっていたっけ・・ これからの10年はどんなだろう・・と期待をしてはいるが私の心の有り様でどうにでもなるような気もする だからこその夢中になれる何か・・ 家中を磨きたてるとか 20年計画の家の片付けとか 身近でできることもいっぱいあるけれど やっぱり何かに熱中してみたい・・とつくづく思うのだ
いつもと違う肩のこりを感じている
最近は肩よりも首こりがひどくて 痛むときは左の首にしこりを感じる 痛みが治まったら首のしこりも消えている 左だからもしかして心臓が・・・なんていらぬ心配もしていたが、おとといからは右肩に何か張り付いたように感じている その前に腕の付け根が痛んでいたので遅まきながら五十肩?なんてことも思っていた プールで下手なクロールをするせいか やはり医者がいうように無理に泳がなくても水中歩行でいいんですよ、ということか それにここんとこ映画だ、Mちゃんに会うからとプールもさぼりがちだしねぇ 鏡で顔を見ても 自分で手足の皮膚をみても何気におばあさんのそれと思えなくもない・・・あ〜ぁ 年相応でいいのだけれど いかんせん意識が追いついてない 往生際が悪くてねぇ 肩の痛いのはダンナが言うにはネットのしすぎだそうで・・・ 何気に右肩が上がり気味のようで目が楽だったら肩にくるのか はい、多少自覚はしております!
私がいくら願っても歴史の事実は変えられようがない 悲劇の主人公とか薄幸の美男子とかいわれた 義経の行く末は理解しているが 哀れでならない むろん 世渡りが下手だという見方もある 兄弟絶縁・・・
ドラマの中での細かい台詞はむろん脚本家の手によるものだろうけれど、『義』を重んじた頼朝と『情』に流された義経と
夢を見るには力がいる
今の世の中を見るにつけても何と説得力のある言葉だろう 今なら さしずめお金があればたいていの夢は叶う・・だろうか
パート仲間と映画を見てきた 『コーラス』
1949年フランスの片田舎。貧しい親元を離れて寄宿学校で暮らす子どもたち。悲しい目をした子どもたちを校長先生は厳しくしばりつけていた。そんなある日、一人の音楽の先生がやってきた。先生はさびしさをいたずらで紛らわす彼らを叱るかわりに、歌を教えてくれた。歌うことで希望と無邪気な笑い声を取り戻す子どもたち。その中に”奇跡の歌声をもつ少年”ピエールがいた。だが彼は学校一の問題児だった。
やはり この映画でいえばすさんだ少年の心を立ち直らせたのは厳格で体罰ばかり与える校長ではなくて、何の欲もないはげ頭と言われたひとりの音楽教師の力だった 特に実際にサン・マルク少年少女合唱団のソリストを務める13歳のジャン=バティスト・モニエの美声は素晴らしいの一言につきる 『フランスに降臨した天使』と言われるくらいの彼の透き通るような声が耳に残る
バブル時代からの大きな罪は、額に汗する労働より頭を使った金儲けがかっこいいといったような、昨今のマネーゲームが象徴するように地べたをはいずる生き方をするものには厳しい世の中になってしまった きょう見た映画はそんな気持ちを多少は洗ってくれたような気がする
10月の第3日曜が孫の日で、その日が近いからというわけではないが孫をほしいとつくづく思う 息子や娘の同級生だった人達が次々にパパやママになられて、見知った顔のお母さんたちが孫の服を買いにこられるのを目の当たりにするからだろう もう体力的に孫の面倒を見る元気はないのに、何故にこうも孫の顔が見たいのだろう 売場で若いお母さんがむずがる子どもを叱ったりあやしたりされてるのを見てると、私もあのように感情的になっていただろうか・・と反省する あの頃は日々の暮らしに追われていたことは事実だし、心の余裕もなかったように思う 必死で子育てしていたはずだけれど、正直なところよく覚えていないのも事実だ 我が子にしてやれなかったこと あの時ああすればよかった あんなにひどく叱るんじゃなかった とかそんな色々を孫でやり直して見たいのかもしれない 今なら・・孫なら・・じっくり子どもの言い分を聞いてやってなんて、反省ばっかりの子育ての追体験がしたいから孫を欲しがるのだろうか
近所の園芸店でチューリップの球根を買った 最近のチューリップは歌にもあるような『あか・しろ・きいろ』といったシンプルなものよりも、花びらの重なったものやグラデーションの入ったものが多いように思う ヒヤシンスや水仙やフリージアといった球根も目に付くが、何気に今の気持ちはチューリップを植えてみたい 同じチューリップでも色によって花言葉も違うようだ 15球買って さっそく植えた キレイに咲いてね、と心の中で思う
きょうはきのうと違って冷たい雨が降っている これからはひと雨ごとに寒くなっていくのだろうなぁ
息子が高校生とか大学のときは スーパーボールとかF1とかに興味があったので 家でも話題に上がるから今、現在活躍している選手の名前もすらすら言えたけれど、最近は浦島状態 F1のアイルトン・セナの事故死のときなんかは落ち込む息子を娘がからかっていた 娘のひいきの歌手の曲もよく口ずさんだものだけれど 今はメロディはわかっても歌詞が思いだせない ダンナはともかく、私は寂しい寂しいばかりで日を重ねている これでパートに行かないで家に閉じこもっている生活なら・・と想像するだけでもゾッとする そのくせ 運動会だ修学旅行だと、そういった関連の商品が売れるとその頃の子供たちを思いだしては懐かしがっている もちろん親には親の、子供には子供の生活があるわけだけれど一体人間という生き物は寂しいから昔を思うのか、今が不満だから過去を懐かしむのか 見方を変えたら私も親をここまで思いやることもなかっただけに、今の状況は当たり前というか順送りであることはまぎれもない現実だ 夕べは久しぶりにかきフライを作った 息子も娘も大好物のおかずはおいしいゆえに悲しい きょうはキレイに雨が上がったから 2階の子供たちの部屋の窓を開けて風を入れよう 風向きによっては 向かいのおうちの金木犀がにおってくるかもしれない
きょうは北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの41回目の誕生日だそうだ お父さんは拉致された13歳のときの面影しかないので、写真にあるような大人になっためぐみを見てみたいとおっしゃる お母さんは40歳までには助けてあげられる、と思っていたのに・・と言われる きょうはご夫婦で例年そうしているように小さいケーキを食べながら、全国から寄せられた励ましの手紙などを読んで静かに過ごされるようだ ご夫婦の28年という歳月は余りにも長い もちろんめぐみさんにとっても・・ 望郷の念、いかばかりかと心より思う
夏の雨とは違って うすら寒い思いの雨の一日 こたつ布団や毛布、お鍋用品も揃った各売場 そしてウォームビズとかいって 衣料品売場の重ね着とか温熱肌着とか結局のところ、昔の人の知恵で乗り切るのだろう もの思う秋となりにけり、という心境か
宅配の牛乳と乳酸飲料を解約して毎日の買い物を千円づつ控え、2種類のサプリメントも辞めた ダンナと私の生命保険もひとつづつ解約したら全部で7万円くらいの節約になった うちは今までにもはっきりと自覚していたけれどエンゲル係数はかなり高かったから、これから迎える年金生活への予行練習と思えば今回の給料減はむしろ願うところだ(負け惜しみ・・・) 一定の金額でする買い物はゲーム感覚で楽しい
一度 通販でもネットでも買い物をしたら、たいていのところがよくもまぁ・・と思うほどカタログやメールを送ってくる 今までは何かお徳情報でも・・としっかりチェックしていたが、老眼をはっきり自覚するようになってからおっくうで仕方がない メガネがないと細かい表示が分からないということもあるが、いちいち目を通すという根気のようなものが無くなってきた 面倒くさいの一言につきる いろんなことに興味が薄れてきたようにも感じる メールはクリックすれば配信を断れるが、カタログはもう送らないで下さい、と電話しないといけないのだろうか 特に最近 増えてきている宅配業者のメール便だと郵便物のようにポストに入れて送り返すことすら出来ない・・? やはり電話でお断りをしないとならないのか
かくしてカタログは燃えるゴミとなる・・・
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