愚痴日記

2003年07月31日(木) 信じよう

  「魔法の杖」 という書物占いの本がある
ネットで買おうかと思ったが 実物を見たい思いにかられ本屋さんへ行った
そこそこ分厚いその本は売り上げベスト10に入っていた

聞きたいことは何ですか
深呼吸をしてページを開いてください
そこにあなたが求めている答えがあります

自分の存在を確認するくらいの大きな深呼吸をして
そっとページを開いてみた


なにも心配いりません




明日は8月1日
娘が家を出て丸一年・・
月日ばかりを数えていたように思う
普段は占いなんかてんで気にしない・・だのに・・
なにも心配いりません
信じようと思う・・





2003年07月30日(水) 伊吹山

  私のしたいことのひとつに日本百名山に行きたいというのがある
明治の登山家深田久弥が愛した山々に私も登りたい
今 中高年の間で登山がブームらしい
本格的な登山を目指す人達もいれば
私のようにせめてふもとに行くだけで満足するという人もいるだろう

滋賀県と岐阜県にまたがる伊吹山に行ってきた
関が原ICを過ぎたあたりは間近まで雨が降っていたらしい
ドライブウェイの入り口で係員の方が
山の上は天気が悪いけれどよろしいか? と言う
ダンナがそんなに悪いんですか? と聞いたら
まぁちょっとくらいは大丈夫かな と言う
1250メートルの山頂駐車場へ着くころには見とうしがよくなってきた
1377メートルの山頂目指して歩きはじめた
が やはり山の天気は変わりやすい
雨こそ降らなかったもののガスがたちこめてきて
彼方に見えていた琵琶湖も何も見えなくなった
でも 途中 お花畑が美しく砂利道も苦にならなかった
山アジサイ、イブキトラノオ、コイブキアザミ・・
やはり中高年の人が多かった
平日のせいもあってそれもおばちゃん達
旅行会社のツアーなのか大型バスがひっきりなし
帰りは関が原鍾乳洞にも行って自然の偉大さを満喫してきた
それにしても山っていいなぁ



2003年07月28日(月) 覚書

  大人になるってことは

我慢することで

我慢することが

苦痛でなくなったら

大人になったということです



大人になったら

いい事も

悪い事も

自分のしたことは

全部 自分に返ってくる



2003年07月27日(日) It (それ) と呼ばれた子

  児童虐待を生き抜いた著者が初めて明かした壮絶な日々の記録

実の母にガスコンロで焼かれる
ナイフでお腹を刺される
アンモニアと塩酸入りの洗剤で掃除をさせられる
きちんと食事をとらせてくれなくて
与えられる物は赤ん坊である弟の残したもの
ベッドはガレージの簡易ベッドで寝具はなし
だから新聞紙やボロ布を身体にかけて眠る
そして 何より著者を苦しめたのは
名前であるデイビッドとは呼んでもらえず It(それ)と言われたこと・・

学校の先生によって救い出されてからも
母から受けた呪縛から逃れられない
家庭の秘密を人に漏らしたと言われ
自分はほんとうにいけない子だったのかと悩む

それでも母から虐待を受けていたとき
助けてくれなかった消防士の父を看取り誇りに思う

その本の中で私の心にのこった一文

人間は何か決定的な変化が起こらない限り
十中八九、自分が育てられたとおりのやり方でわが子を育てるようになる

新聞記事で何故か気になってインターネットで買った本だったが
とても気持ちの重たい本だった



 



2003年07月25日(金) 昭和の日

4月29日を 「昭和の日」 とするらしい
何故・・?
あの日は昭和天皇のお誕生日
(私の母の誕生日でもある)
昭和=戦争とイメージするのは私だけだろうか・・
あの戦争はしてはいけなかったのだ!
(どんな戦争もしてはいけないのだ
そんなことは小学生でも知っている)
今までの 「みどりの日」 でよかったのに
もし 「昭和の日」 がほしいのなら 8月15日にすればいいと思う
祝日や祭日ではなくて 特別な日
決して忘れてはいけない日として・・

でもあの戦争がなければ母の人生もずいぶんと違うものになっていただろう
あの戦争は母の人生を大きく狂わせた!
そして私も父と母の子供として
この世に生をうけることもなかったはず
母が元気で生きていた時にもっともっと話を聞いておけばよかった・・



2003年07月23日(水) 高血圧

今日は暦では大暑

ほんとうなら一年のうちでいちばん暑いとされる日
だのに今年はまぁなんと過ごしやすいこと
エルニーニョのインド洋版とか
これじゃぁ 水着もタオルケットも売れないわ
(まだ売場を気にするか・・)
お中元は贈ったけれど暑中見舞いは出しにくいなぁ
まぁ 暑いのも寒いのも苦手な私にはありがたいけれども

パート先で受けた健康診断で血圧が高いから病院へ行くように言われた
毎月 眼科で目薬をもらうのに処方箋薬局へ行っている
そこで いつも待つ間に血圧を測っていて高血圧の自覚はあった
ダンナに言わせると私は自分で血圧を上げていると言う
思わなくてもいいことをうじうじ考えて一人でカッカしていると言う
まぁ 当たらずとも遠からじ・・か
でもダンナが血圧を上げさせていることもあるんだよ・・とは言えず・・
母が晩年 高血圧で結局は脳内出血で半年の意識不明の後に死んでしまった
4年前の今日あたりは連日、病院へ詰めていたなぁ・・
私はその体質を受け継いでいるかもしれない
それを思ったらまた血圧が上がりそうな気がする



2003年07月21日(月) 何があった訳ではないが・・

  18日の日記の繰り返しになるけれど・・

━その年にならんと分からんことがある━

亡父と義母の口癖の言葉・・

私はその言葉を否定的に捕らえているけれど
考えを少し変えてみようと思う
つまり そこそこ人生を生きてきたのなら
経験が多少なりともあるわけで
それなら 人をいたわる意味に解釈してみようかと

人がいろんな場面にぶち当たったとき
何故 そんなことをしたのかと問い詰めるのではなくて
私だったらどうしただろうか・・どうしてあげれただろうか・・
ツンツンしている人がいたら
この人はいま何か辛いことをかかえているのだろうか
それとも体調がよくないのだろうか
人にはそれぞれ口にだせない事情や気持ちがあるだろうから
こっちも攻撃的になるのではなく
自分もその立場だったら・・と考えてみようかと

私も若いころは人を傷つける言葉をよく口にしていたと思う
(今でもそうかもしれない・・)
せめて 年相応の分別ある解釈ができる人間になろうと思う



2003年07月18日(金) おぼろげに・・


ーその年にならんと分からんことがあるー

死んだ父が晩年によく言っていた言葉
今は老人施設にいる義母の口癖・・

最近 私もその言葉の意味がおぼろげに分かってきた

人間 誰しも自分が中心で自分の考えで世の中を見る

子供の頃はあんな大人になりたくない
もちろんその反対のあんな大人になりたい
私だったら大人になってもあんなことは絶対しない
なんであの人はそれくらいのことが出来ないのだろう
自分はあんな生き方はしたくない

もちろん その人が努力すれば叶うことも多いけれど
大人になったらなったで、年をとればとったで
日々の暮らしに追われてふと、気がついたら
自分で自覚する以上に現実がせまってきている
2・3年まえには出来たことが
去年までは何でもなかったことがおっくうになっている
裏をかえせば 今、現在が不満でもどかしいということになるのだろうか

余程 自分をしっかり持っていないと私も現実に負けそうになる
それにしても
その年にならんと分からんことがある
というのは ほんとうにその通りだ



2003年07月16日(水) 矛盾

  難しいことは分からない
でも 日々、店出しの仕事をしていて思うのだけれど
毎日、大量の商品が入荷してくる
関西の片田舎の町でさえこんなに大量の商品
日本中の物量を考えたら恐ろしい・・
追われるように店出しをしているけれど
例えば Tシャツ
ブランド物から500円、300円のTシャツまでどっさり・・
ボールペンにしたって1本49円からある
東南アジアや中国製の商品ばかりで
どうせ安い賃金で地元の人に作ってもらっている
いつかTVでやっていたけれど
中国の少女が片道2時間かけて工場へ働きに来る
それでも働けることや働ける場のあることがうれしくて
何より家計を助けていることがその少女の心の支えになっている
そんな思いの商品を日本人は事実上使い捨てにしている
我々にそんな思いはないけれど
企業の思惑と利益の追求に協力していることになる
ボランティアではないのだから企業として利益を求めるのは当たり前
だけど 果たしてこのままでいいのだろうか・・
物を大量に生産して環境を破壊して
使い捨てを暗に奨励する企業の本音
たいていの家は物があふれる生活
最近でこそ物を捨てる本だとかシンプルに暮らそうという本があるが
本当はそういう生活をするのが当たり前なのではないだろうか
物が売れなくて不景気と言われて久しいが
バブル、そのもの自体が間違っていたのではないだろうか

それでも私は今日も店出しのパートに行く・・
進歩がないのか、ただ流されているだけなのか・・




2003年07月13日(日) 辞める理由

店出しチームの一人が辞める
最近はパートの流出が激しいように思う
時間給いくらとチラシに出して応募してきた人が
現実を知って辞めていく場合も多い
早朝でAM7時から10時まで働くとして
たいていの人はチラシに書いてあった時給1000円×3時間と計算する
ところが1000円支給されるのはAM8時までだけで
8時から9時、9時から10時までという3段階で構成されていることを
応募してはじめて知ることになる
それでも不承不承働きはじめてもやっぱりおかしいのでは・・と
感じて辞めていく人も多い
それに 昼間のパートにしても
週休2日くらいのつもりで働く感じでいるのに
それだと年間103万円とか120万円を超えてしまうので
つまり会社が社会保険を負担することになるし
それにパートは経費だからなるべく低く抑えようとしているので
半ば強制的に103万円以内に決められてしまう
ダンナの扶養控除内でいいという人はそれでいいのだけれど
そのダンナさんがリストラされたとか賃金カットされた人たちは
自分もそこそこの稼ぎ手になろうと思って応募してきたのに
自分たちの思い通りにはならないからと辞めていく
103万円以内でいいと働きはじめた人も
安い時給の割りにはいろいろさせられるからと辞めていく人も多い
こんど辞めていく人は
表向きは自身の体調と母の介護だということにしているが
本当の理由はマネージャーへの不満にある
詳しい理由はここでは書かないがマネージャーの人間性にある
それにしてもほとんどのパートが辞める理由を
体調が悪いとか家庭の事情ということにしてしまう
はっきりとこの会社に馴染めません という人はいないのか








2003年07月11日(金) 余計なことかもしれませんが・・

スーパーに勤めているパートのおばちゃんから一言

小さい子供連れのお母さんは自分の子供をしっかり見ていてください。
買い物に夢中になって自分の子供を見失なわないで。
店内にいたら大丈夫だと思っておられるのでしょうが。
お母さんが店内で会われたお知り合いとのお話に夢中になっているとき
子供さんは結構 いたずらされてますよ。
何万円もするカーペットの上へ靴のまま上がったり
やわらかそうな布団に体ごと倒れこんだり
見本のカーテンで鼻をふいたり
パンの袋に指をつっこんだり
商品を並べ替えたり そりゃいろいろやってくれます。
あまりなときは一言申し上げるのですが
「おばちゃんが怒ってはるから止めとき」
それはちょっと違うのではありませんか?
毎日の育児で大変なことは理解しますが
車の走らない店内だと
少々目を離しても大丈夫だと気を許しておられるのでしょうが、
長崎の事件のようなこともありますのでしっかりと、
子供さんと手をつないでいてください。
子供さんが迷子になって見つかったときも
我々に礼もおっしゃらずに
子供さんを叱りとばしてそのまま行ってしまわれます。

私も未熟な人間です。
余計なことを申しましたがどうかお母様方、毎日の育児にお励みください。





2003年07月08日(火) 無題

  日によって

ただただ人がうっとおしくて

わが身を持て余し

こころの置き場を見つけられなくて

この日記も書いては消し 書いては消し

何があったわけではないのだが・・

過ぎ去った日々ばかりを数えている
 



2003年07月06日(日) 何でかな・・?

何の集まりだったかはよくわからない
ただ その会場には息子と上の弟も来ていた
私は ダンナに黙って出てきたので心は半分 家にあった
私の姿に気づいた息子と弟が もう帰ろう と言う
私も家のことが気になっていたので腰をあげた
その時 何の躊躇もなしに横にあった上着とカバンを持った
3人で近況を話し合いながらもよりの駅まで歩いた
息子は今晩は泊まるというので二人で家に帰るとダンナは電話中だった
今 ○○さんから電話があった と息子に話しながらメモを渡した
私は黙って出かけたことに何も言われなかったので 台所に立った
手に重みを感じたので何かと思ったら 
見覚えのない上着とカバンを持っている
上着にはビニールケースに入った名札が付いていた
藤本 美貴  ○○株式会社 東大阪支店  と書いてある
・・・ん・・・   何 コレ・・?   誰の・・?
その時 行った会が市制30周年の集まりだったことを思い出した
私は帰りを急いで 誰か知らない人の荷物を間違って持ち帰ったらしい
どうしよう・・
仕方がないので 事情をダンナに話して 
会場まで車をだしてくれるように頼んだ
ダンナは文句も言わずに車を出してくれた
が 会場はもう真っ暗で人の気配はなかった
どうしようと 上着に付いている名札を見ながら・・・
また警察の遺失物届けのところへ行かなくては・・と思っていた

*********************

また夢をみた・・ 
藤本 美貴 という名前に心当たりは全くない
そのような内容の本を読んだこともない
市制30周年というような会もない
最近 似たような状況があったわけではない
いや 遺失物届けには行ったんだ
だからといって見るような夢とも思えない

私は夢に振り回されている





2003年07月03日(木) それなりに

絵手紙の講習会ももう3回
2回目は丸い放射線状のお花が書きやすいということでガーベラに挑戦
今日の3回目は空き缶を書いた
私はジュースの空き缶を選んだけれど
上の丸いところと胴体とのバランスとか
実際に書き出してみるとなかなか難しい
先生はおだて上手でどの人の作品でもまず褒める
我々 生徒もみんな人様の作品は褒める
実際に口に出してみるとどの作品もそれなりによく書けている
でもやはりその人の性格が見えてくるような気がする
丁寧な人
反対に私のように大雑把な人
少し遠慮気味の人
この人はきっとおおらかな性格なのだろう とか

先生はあまり皆さんがお上手だから今日は展覧会のようだとおっしゃる
あっという間に2時間がたってしまう
前回のお花にしても今日の空き缶にしても
物をじっと見るということが普段の生活ではないので
ほんとうに穏やかな時間が過ぎていく
ダンナには幼稚園児の絵だと酷評をうけたけれど それでもいい
自己満足の作品ばかりだがそれもいいだろう



2003年07月02日(水) 読後感

一冊 本を読み終えたあとの充実感のような感じが好きだ
しばし物語の中に自分を置いて読後感にひたる

夫婦の問題
親子の問題
兄弟の問題
社会との関わり
どれひとつをとってみてもさまざまなパターンがあり
簡単に答えは出ないけれども・・

読みたい本がありすぎて
読むペースがあまり早くない身とすれば歯がゆいことこのうえない

せっかく 旭川に行きながら
「三浦 綾子」 記念館を訪れることもせず
どうしても行きたい気持ちをダンナに強くは言えず
あっさり流されてしまって不完全燃焼

小さな小さな歯車が狂ったままで
さりとて誰でもが思い通りの人生を送っているはずもないが・・

私は本の中に逃げている・・と思う

次の逃げ場がもう決まっている・・
それで精神が保てるのならそれでいいとも思う


 < 過去  INDEX  未来 >


孫二人 [MAIL]

My追加