何の気なしに図書館で手にした「深紅」という題名の本 まだ 全部は読み終えていないが今日の宅間守の死刑判決とだぶる内容だ この本は余りにも凄惨な方法で 両親と二人の幼い弟を惨殺された事件当時12歳だった少女の物語 阿佐ヶ谷一家4人殺人事件としてマスコミにも大きく取りあげられた 修学旅行に行っていて難を逃れたが PTSDに苦しむ少女が自分だけ生きていていいのかと苦しむ その中で裁判について 裁判とは被害者のためのものではなくて 加害者のためのものだと言っている 確かにその通りだと思う 犯人が未成年なら死者(被害者)に人権など全くない TVでも雑誌でも未成年のプライバシーは保護されるが 被害者は何の落ち度がない場合でも氏名も写真も公表される 今日の宅間守の裁判でも感じたことだが こんな男のためにいったいいくらの税金を使うのか 弁護士費用、被害者への国からの弁償金、校舎の立替費用、 そして死刑執行までタダで食・住の面倒を見る訳だ たいていの人間は世の中の不条理と闘って生きているのだ いたいけな子供を殺めた罪は償いようがないのだ
それにしても後味が悪い 事件の起きた6月8日はダンナの誕生日 あの日、私は出かけていて何も知らず出先でケーキを買って帰った 夕食後にデザート的な感じでケーキを食べたけれど 事件にあわれた家族の方たちはどんな想いでその日を終えたのか・・
英雄(HERO)という映画を見てきた 私はカンフーとかワイヤー(?)とかいうものには興味はないが そして歴史にも無知の部類に入るだろう 仮説と実話をうまく取り入れているのだろうが 真の英雄は刺客の無名なのか秦王なのか・・ あの膨大な秦軍は中国人民軍がエキストラとして参加していたようだ あの美しい場所は中国の何処なのだろう それにしても色彩のすばらしい映画だった 赤は情熱 青は理想 緑は思い出 白は真実 黒は死
映画には無かったけれど 黄色ならどんな表現になるのだろうか・・
ここんとこ 私はダラケきっている・・ 家事はそっちのけでぐうたら三昧 明日もパート仲間と食事会
「火垂るの墓」 というアニメ映画がある 毎年 夏のとりわけ終戦記念日の前後に放送される うちのダンナはテレビで放送されるひとつの番組を最後まで見れない 野球放送でもケーブルテレビのプロレスでもニュースでも何でも CMやあまり関心のない選手のプレイだとすぐチャンネルを変える だのに この「火垂るの墓」 だけは最後まで見る そして この映画は何遍見ても泣けるなぁ といってうるうるしてる 主人公の節子と清太に 何で西宮のおばはんとこで辛抱できんかったんや と言う そして 去年の放送のあとでスーパーへ買い物に行ったとき あの サクマのドロップを買っていた ダンナの中ですぐに口にすることが出来なかったのかそのまま置いていた 私が賞味期限があるから食べないともったいないと言ったら やはり 日にちがたっているから ひとつではなく3個ひっついて缶からでてきた 3個をいっぺんに口に入れながら 西宮のおばはんはいかんなぁ とボソッと一言
夏はとりわけ戦争の無残さを考えさせられる
三重県にある御在所岳に行ってきた 何年か前に一度行っているのだが その時はあたり一面霧だらけでまっ白だった まるですっぽりと雲の中に入ったようで 何も見えなくて悔しい思いをしている
今日は天気がよくて360度の大パノラマ 1212メートルの頂上へロープウェイとリフトで楽チンで行けるのだから 私のような山は好きだけれどしんどいことは・・という人間には 何とありがたいことか ダンナは高いところがこわいらしくて ロープウェイに乗っている間 目をつぶっていた(笑) 頂上では早くもススキが出ていてアジサイと一緒に並んでいた それにしてもロープウェイから見渡す山の景色には感動する この山は冬の樹氷が有名でまさに自然の芸術
私は足(関節)が丈夫ではないので 登山はしたいけれど無理だから せいぜい 歩ける間に少々はムリをしてもなるたけ多くの山を見ておきたい できたら 散骨したいような山と出会いたい と思っている
さぼてんの花が咲いた
何年前になるのか さぼてんが好きな娘の誕生日にプレゼントをした スニーカーのかたちをしたかわいい入れ物にさぼてんをアレンジしてあった 15センチくらいの小さな入れ物だったから さぼてんも親指くらいのかわいいものだった そのさぼてんがカビてきたようなので大きな鉢に植えかえた ほとんど水も肥料もやらずじまいだったが 気がついたときには大根くらいの大きさになっていた 1週間くらい前にふと目がいくと角のようなものが2本出てきていた それが 今朝 きれいな白い花を咲かせた よそのお家でさぼてんの花を見たことはあったけれど 自分の家で咲いてくれたのは初めて ほとんど花なんかに興味を示さないダンナもきれいな花やなぁと言う
さぼてんの花が咲くことってめずらしくはないのかな・・ 何か吉兆の前触れか・・(私って前向きネ・・そうじゃなくてただ自分の いいほうに考えてるだけかも・・) 我が家にとって吉兆とは 息子が結婚する 娘から連絡がある ダンナが万馬券をとる 宝くじが当たる 私が大幅なダイエットに成功する どれも見逃せない・・
夢を見させてくれたさぼてんの花言葉 暖かい心 内気な乙女 秘めた熱意 何か娘のことを言っているような・・(ハイ! 思いっきり親バカです!)
お盆で息子が帰ってきていた ダンナと3人でごはんを食べていて ここに娘がいたら一家団欒、家族水入らずなのになぁと思ってしまった 娘は高校を中退したころから 家族と食卓を囲まないようになっていたから 今 家にいたとしてもたぶん3人で食事していると思う だけど 2階にいて降りてこないのと 今日の状態はまた違う いくら 娘の好きなものを並べても虚しい
娘(こ)が自立 入道雲の沸き立つ日
どう言えば どうすれば 分かってもらえるのか すでに 遠き娘の心 私は抱きしめられたい
今日は終戦記念日
私は東京へは中学の修学旅行で行ったきりだが 今後 もし東京へ行く機会があれば靖国神社にお参りしたい。 島倉千代子が歌う 「東京だよ おっかさん」 ではないが 日本人のこころの原点のひとつだと思う。 難しい能書きも屁理屈もいらない。 ただ 今の日本人には到底理解することが出来ないような 天皇陛下 万歳! と言って死んでいった純粋な人達に手を合わせたい。 どうしてあの戦争は止められなかったのだろう・・。
父が亡くなったとき 棺に軍隊に持っていったであろう日の丸の旗(旭日旗)を入れた。 真ん中の赤い丸のまわりにはたくさんの人の寄せ書きがあって 一番上には ○○君 武運長久 と書かれていた。 戦争に持って行き、そして持ち帰ったその旗を 父は戦後50年を経ても大事に持っていたことになる。 機嫌のいい時は軍隊での自慢話をよく話していた父の宝物だったのだろう。 あの時は まるでイヤなものを 父と一緒に焼いてしまいたかったのが本音だった。 お国のために・・と純粋な気持ちで戦争に駆り出されていった あの時代の人々・・。
歴史は時にとても残酷だと思う。
今日 出勤したらバックルームがいやに片付いている さては・・と思ったら案の定 午後から支社長がお盆の巡回に来るらしい いつでもそうだが 支社長が来るとか事業部長が来るとなるとやたらそこら中が片付く 通路を広くとれだとか ダンボールを放置するなとか バックルームを片付けろとか 品切れしている箇所を穴埋めしろとか およそ接客業とは思えない つまり お客様のためにそこまで言われたことがない 本末転倒である 支社長や事業部長のための売場と化す 朝礼や昼礼でもエライさんが来られたら挨拶してくださいと言う 私らどの人か分かりませんと言ったパートがいた 店長と連れ立って歩いているスーツ姿の人を見たら 愛想よく大きな声で挨拶しておいたらまず間違いありません と マネージャーが答えていた 大きな声で愛想よく挨拶しなければいけないのは お客様に対してであって同じ会社の人間同士なら会釈でいいと私は思う ましてお客様のおられる店内ならなおさらだ 出勤したときの「おはようございます」 退店するときの「お疲れ様でした」 は必要だけれど そういう挨拶が出来ていないことが多いのに 何かこういうことがこの会社は間違っていると常々感じている
涙そうそう (涙がとめどなく 涙ぼろぼろの様子)
古いアルバムめくり ありがとう ってつぶやいた いつも いつも胸の中はげましてくれる人よ 晴れ渡る日も 雨の日もうかぶあの笑顔 思い出遠くあせても おもかげ捜して よみがえる日は 涙そうそう
一番星に祈る それが私のくせになり 夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す 悲しみにも 喜びにも 思うあの笑顔 あなたの場所から私が見えたら いつかきっと会えると信じてる 会いたくて 会いたくて 君への思い 涙そうそう
年がいもなく この歌を聴いたら涙があふれてくる もし 私が 親、兄弟、夫、子供も認める音痴でなかったら この歌はもっと私にしみいることだろう この歌は 歌手の森山良子さんが 22歳で亡くなられたお兄さんを偲んで作られた曲だそうだが 私は娘への気持ちに置き換えてうたっている・・
今日は広島の日
私自身 広島に住んだことも 知り合いがいるわけでもないが 広島は社会人として息子を育んでくれた街 学校を出て初めて赴任したのが広島だった そういう意味で私にとっても広島はなつかしい街 息子が4年近く生活している時に広島を2回訪れた 息子の案内で原爆ドームにも行った 佐々木禎子さんの原爆の子の像は天に向かっていたし 資料館は痛ましいものだった 広島焼きも食べたし安芸の宮島にも行った そして何より広島は都会に見えた 息子と乗った市電も今は懐かしい 家にいてTVで全国の天気予報を報じるとき 自分の住んでいる場所より息子の住んでいる広島の天気が気になった 一年半前に大阪勤務になって やっと広島の天気を気にしないようになった 大学を卒業するまで家にいて たいていのことは親まかせだった息子にとって 初めての一人暮らしは戸惑うこともあったはず そんな息子を自立させてくれた広島の街に私は感謝している
パート仲間と「踊る 大捜査線」 を 見てきた 私は面白かったと思う
リーダーがよければ組織も悪くない というのがあった
確かになぁ
娯楽映画だから事件は全部解決するし 仕事仲間のいいところは発見できるし 何より ? って感じたことをそこそこ言えて それがうまく回っていくんだものネ
あとでお茶しながらやっぱり上司によって いかに楽しく効果的に働けるかという結論になった
パートといえどもいかに自分の意思で前向きに働くか そして 大局的に判断できて責任がとれる上司 なかなかいないけれど・・ お互いに・・
レディスデーを利用して千円で見た映画の割りには ここまで議論できるんだから 日本の映画もまんざらではないように思う
少し大げさだが人生設計が狂ってしまった
10年後にダンナが64歳になる時に保険金払い込み終了の契約がある 私はその時点で満期となる保険金で 住宅ローンを一括払いにしようと計画をたてていた その保険はダンナと私が結婚する前から義母が契約していたのを 2・3回更新して大きくなった保険だ はっきり言って保険料を払うのがしんどい時もあった でも満期を楽しみにやり繰りして29年間払ってきたのだ だのに10年後の満期の時には見込んでいた金額が下りないらしい 終身保険だからダンナが死なないかぎり満額は下りないらしい 10年後は保険金払い込み終了というだけで契約は終身だから あくまでダンナが死なない限り満額は下りないらしい だから10年後に保険金を受け取りたいのなら 解約ということになって満額の半分くらいの額になるらしい 養老保険と終身保険と勘違いというかごっちゃにしていたらしい 終身保険ってそういう仕組みになっていたのだ 私 そんな説明受けていない 現在の形にしてからも何人もの外交の人が来て更新を勧めた でも うちはもう充分だと思っていますと言ってお断りしてきた そのたびに そうですわね と外交の人達も言っていた だれも だれひとりも 払い込み終了時点では満額下りませんよ とは教えてくれなかった 終身だからわざわざ言う必要がないと思われていたのか・・ 100% 私の勘違いなのか・・!
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