こんな人生でいいんだろうか
こんな生き方でいいんだろうか
貧しく 恵まれず 劣等感を刺激される生活をしていて感じていた
劣等感と、こんな人生でいいんだろうか、が一緒だった
金の心配がなくなった 幸せだよと言われる生活へと変わった
劣等感がなくなった
けれども、こんな人生でいいんだろうか
けれども、こんな生き方でいいんだろうか
は相変わらずだった
周りからの評価、自己肯定感、貧富、家族等に左右されないのが出発点になる
熱狂して毎日のように見続け、陶酔して人にもベラベラ宣伝したあの人のことを避けるようになったのだろうか
1つのは、霊体験の話を人前でし、実在すると言い続けたからだろう。
個人の内的体験と脳内認識は区別がつかないと医学が証明しているのだから。
2つは、己の献身や過重労働を、自慢げに続けたからだろう。
話は感動も尊敬もするが、繰り返しは本人の精神が老いていることを意味している。たとえ活動は若々しくとも。
3つは、生き方を保身へと変更したからだろう。
自分で決めた己の生き方を、時の首相に誘われただけで変更したのはよい。その己で決めた自律を変えないという矛盾を抱えながら、前の生き方を言いづづけている。それは支持者をつなぎとめておきたい、という保身でしかない。
新たな言葉が、活き活きとした精神がなく、独善の香りが強くなりすぎてしまったからだ、と書き上げられた。
私はどうだろうか。
この自問がなくなれば、思想は打ち立てる前に、腐り果てるだけだろう。