「人のお役に立てると相手から認められる。地位やお金は不安定なもの、本当の幸せは、相手から認められて幸せを日々実感できること」
ある心理学者が言っていた。
若き頃、イエスや仏陀がどうして宗教を民衆に説いたのか?と疑問に思って、見つけた答えと一致した。
「人は動物として集団生活をしないと滅んでしまう。牙も強い皮膚も何もない。だから、集団の役に立つ、と本能に刻まれてきたから、滅んでいない」
心理学者は個人を救うために言い、私は人間とは何かを知りたいがために自分自身に言った。
意味内容に何の違いもないが、同じ内容で発展がなく詰まらないと若き日の私は感じた。
お金にならないけれど人の役に立つ役職につき、家族などからは感謝され認められている中年の私は、同じ内容だけれど自分の疲労を慰められているように感じた。
二つの私が、この肉体の中にある。
渾然一体にならず、別々で独立し、激しくぶつかり合っている。
だからこそ、安定した日常を過ごしても、台風の夜のように感じられる。
だからこそ、何かを生み出そうとする動力源となる。
互いが一体になってしまったら、そこから私は何も生み出せなくなるだろう。
日々の感覚の刺激にいちいち反応し、最後には何も反応しなくなるという反応しかできなくなるだろう。
「おれは、早く死にたいんだ」とうそぶく老人
「好きなことを仕事にしたいんだ」とひきこもる若者
これでは何も始まらない。
パチリ、と目が覚めた。
過ぎ去った台風が、まだ朝日を隠していて、ぼんやりと灰色としていた。
部屋に敷き詰められた布団5枚
おどるような寝姿で、ころがっている家族たち
「これが俺の家族なのか? これが俺の家族なのだ」
胸で他人がささやくようだった。
「子供を産めない男は、哲学や会社や色々なものを作った」
若き日の私がささやいてきた言葉が出てきた。
思想を打ち立てるという野心を捨てきれず、家族も愛おしい、
両方美味しいところを取ろう、
両方持たなければ思想は打ち立てられないよ、
いろんな声が聞こえてくる
これが私の声だ、と実感した。
迷い苦しみ、目の前の現実を実感できない、そんな感覚の中、じっと奥底から見続けている、それが私だと。