喉風邪の治りかけに夢をみた。
京都大学にちょろちょろと付きまとって勉強しようとしている、そんな身分の不安定な自分だった
一所懸命勉強するのではなく、苦しんで苦しんで、ゴールは京都大学の大学院生だったり、先生になることだったりする
目的もよくわからなくなって、でも、何とか京都大学に執着している
この京都大学、実際に京都大学ではないことを、目が覚めて思い出した。
数年前に夢で見たニセ京都大学なのである。
本物よりも大分小さい。本物よりも大分人の温かみがある。
そして思い出したのは、このニセ京都大学を私が夢をみるきっかけになる人がいたことだった。
その人の執着が、私の中にこびりついて、私に夢を見させたのだった。
誰かの執着が私に夢を見させ、その夢をもとに、私が新しい夢を付け加えていく。
なにやら、おかしくて、意味がないように一瞬思われたが、案外人生とはこういうものかもしれない。
遠くのご先祖様が執着して、そして夢を見た。その夢の続きの上に私がいるのである。そして私の夢がまた、何かにつながっていく
ちゃんちゃらおかしいようで、夢をつなぐ部分だけは、人生と似ていた。
もちろん、夢の内容は異なるけれど。それも有り難く受け取れるようになっていきたい。
それにしても、京都大学にまつろう亡者になっている感覚は、妙になまなましく、その息苦しさは、起きた後も胸をドキドキさせている。
夢をみる
光り輝く、清明の季節のような気候、犯罪や汚いもの、悪口も一切ない住宅と野原
そこに忍び寄る、恐ろしいもの
私はあわてふためき、おののきながら、恐ろしいものを追いやろうとする
目が覚める
階段を降りると、夢を思い出した
やはり、私は完全な、安住の、美しい世界が好きすぎるんだ
そんな世界は、どこにも存在しないのに
だから私は・・・
だから私は・・・の先が自己否定になっていた
今は、違う
その自己否定の苦しみの世界に住みながら、完全な、安住の、美しい世界を見続けよう
と思う
例えば数学 この世に数学の世界は存在しない けれども、それを見続けてきた人々がいる
例えば絵画 この世に絵画で描かれる二次元の世界は存在しない けれども それを描き続けてきた人々がいる
私にとっては、この詩であろう