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「 私はハエ 多くの道の行きつく先は 」
2016年12月15日(木)


 この瞬間でさえ、私は多くの道を選びとれる。

 沖縄に移住を計画して、来年から住みだすことができる。本当にできる。
 今の仕事をなげうって大阪のドヤ街の喧騒に、明後日からいける。本当だ。

 感情で目を閉じて道が1つしかない、と考えるのは容易なことだ。

 多くの道から、私しか歩めない道を覚悟して選ぶもの

        少数しか進めない道を喜んで選ぶもの
   
        多数が進むからその道を安心して選ぶもの

        誰でも選べる身に、ため息をついて選ぶもの

 どれもが実は同じなのだ。

 感情で目を閉じて選ぶだけなのだから。

 理性で目を開いて選びたいと願う。けれど、その理性は限定されたものでしかなく、さらに不十分な限定された理性しか与えられていない。

 だから、戸惑ってしまう。

 だから、道が分かれる地点で止まってしまう。

 後ろから押しだしてくる。時の流れに押し出されて、私はどれかの道を選んでしまう。


 感情で目をつぶれば、甘い楽しいことだらけだ。

 自動エスカレータで道が進んでいくのだから。

 どの道を選んでも結局行きつく先は、食虫植物の甘い蜜の先なのだ。

 食虫植物に吸い込まれるハエでしかない。私。

 理性など不完全で限定されたものしか持てないのだから、分かれ道の先は1つしかないのだ。

 せいぜい、目を閉じないで行き先を見続けるしかない。

 迫りくる、巨大化する食虫植物への道を。

        

「 根源において個性のない私 −デカルトの救いについて− 」
2016年12月01日(木)


 免疫力が低下して、2度目の唾液腺(だえきせん)による発熱

 だるさに対する、ふつふつ、とした怒り

 今日命があることに対する、しっとり、とした感謝

 上の2つのどちらを打ち出せば、世間に認められるのか、という功利

 怒り、感謝、功利が私の中で混在して、心をかき乱していく


 その中に、私だけの個性、の要素は1つもない。

 根源において私は個性を持っていない。

 どれかの配合割合で個別性が出て来るだけ、なのだ。

 配合飼料の割合で肉質が変わる肉牛と換わらない。

 
 さらに、肉牛と私を同一視する明晰判明さ、をもってデカルトのように、魂の救いとはできない。

 苦しみがあることは命があること、感謝して、ふつふつと怒り、どうしようかと、意識が飛ぶまで続けていく


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