死の恐怖は「人間である」ことへの感謝で乗り越えていく。
その奥底に雑じり気がある。
一心不乱に感謝で全身を染められる、が、それを肉体的自我が白袴に戻す。
完全に消し去れない何よりの証拠なのだ。
感謝でなく、尊崇という者もいる。
天上の星の輝きや道徳律への尊崇だけに全身を染められる、と。
あるいは、未来への希望、数学統計に基づく人間の発展という者もいる。
確かに、それらを身に纏い染め抜いたかのように錯覚しえる。
しかし、その奥底に雑じり気がある。
「私は今日一日を与えられた。」
しかし、「いつか与えられなくなる」という砒素のような無機が、この肉体に混じり込み決して同化しえないのである。
全身を感謝、尊崇、希望に向け、人格の陶冶へと進みながらも、この身の抱える無機を決して忘れられないでいる。
(寝る前から1日が始まる)
布団に入り、横になって二礼二拍手一礼する。
「硫黄島の英霊の皆様、今日も1日を与えて下さり、有り難う御座いました。」
二礼二拍手一礼する。
「八百万の神様、今日も1日を終えることが出来ます。有り難う御座いました。」
そのまま心の声を続ける。
「〇○、〇○、〇○、〇○が、今日も元気でした。有り難う御座います。」
〇○とは家族の名前だ。
「今日も、こうして温かい布団で寝ることが出来ます。有り難う御座います。」
「今日も、こうして温かい家の中で寝ることが出来ます。有り難う御座います。」
「今日も、三食腹いっぱい食べることが出来ました。有り難う御座います。」
朝起きて、思い出した時だけ言う。
「今日も一日を与えて下さり、有り難う御座います。」
平日、朝食を済ませ自転車に乗って、姿勢を正して、お天道様をちらりと眺めてから唇を動かす。
「あまてらすおおみかみさま、今日も働くことが出来ます。有り難う御座います。有り難う御座います。有り難う御座います。」
必ず3回繰り返す。
天の次は土である。
「この世のすべてよ、今日もこうして働くことが出来ます。有り難う御座います。有り難う御座います。有り難う御座います。」
呼吸を整えて言う。
2回目の「有り難う御座います」の後、地球の断面図を思い浮かべ、自分の気が地球全体を覆うイメージをする。そして「有り難う御座います」の言葉が、その気に載って、地球全体に行き渡る、という感覚で3回目の「有り難う御座います」を言う。
毎日の習慣。
子が産まれてから1日も欠かしていない習慣。しかし、子は私の外延でしかない。
感謝は、世界と他者と生命を、外延化する言葉である。
自我から、世界と他者と生命を排除し、さらに自我を深めていく言葉である。
自我を深めるために、感謝がある、という実感を埋め込んでいる。
付記:最後の2,3行目は「 絶対的自我�供 廚茲螳�用。