私の肉体が生存しているからこそ、私の自我が成長してきた
肉体に感謝しているが、その肉体の滅びによって私の自我が完全に消し去る
という絶対的矛盾
ならば、その絶対性を如何に受け止めたらよいのだろうか
全ての価値、意味、幻想など自我に基づくものは消滅してしまう
遠浅の砂浜で1粒の砂を綺麗にしてなんになろう
波にもまれ、風雪に日光にさらされ、他の砂と入りまじって分からなくなる
いつかは砂もより細かく摩耗して消滅してしまう
肉体的な死の前にあって、私はどういう時間を過ごせばよいのだろうか
全てが絶対に対する相対でしかない
子供が夜泣きをしてきたからあやす
確かに私の遺伝子を継いでいく子供をしっかりと育てるのには意味がある
しかし、そもそも、意味は相対の世界のものでしかない
絶対性を受け止めることにはならない
漫画、読書、労働、旅行、趣味、仕事、信仰、名誉など何れも、全て相対でしかない
受け止めることはできない
ただ、空腹、睡眠、など肉体的な作用だけが、問を置き去りにしてくれる
そこに、ポツン、と立っている
付記:書き記すか迷うが、睡眠せずに書き残した。
布団に入り、今日一日生きられたことに感謝の言葉を口にする
毎夜の習慣
昼に読んだ漫画、病院のベッドで「死ぬのが怖い」という場面があった
介護補助の女性の漫画
やはり、「死ぬのが怖い」を理解していない描きかだった
奥さんが、命が続くものの言葉を死病に取りつかれたものに投げかけていた
夜の寝床で思い出し、「死ぬのが怖い」が襲ってきた
はく息が呼吸困難になるかのような、
ただよっている恐怖を単語にまとめる作業さえ、
いっそ、首を後ろから切り落とせば、というイメージだけがグルグルと回る、
そんな「死ぬのが怖い」
後三時間で起きなければならない、社会生活があるからだ
けれど、社会生活を抹殺する死がいずれやってくる
やってくる
眠らなければやってこないだろうか、
せめて、感覚さえ遠のくだろうか
孔子は、一昼夜考えてみたけれど「益無し」と言っている
「益無し」
孔子は「死ぬのが怖い」に取りつかれいないで吐いた言葉なのだろうか
むしろ、
孔子は「死ぬのが怖い」に取りつかれて吐いたのだろうか
こうしてここに書きしるす。
どうしようもない、益無しなのかもしれない、けれども。