生存の本能から離れ、離れて、やっとこさ、客観的視点へ
客観的視点から離れて、離れて、どっこいしょ、世界との合一へ
個別肉体から種的視点へと広がって、広がって、個別性を棄てていったら
種的視点から魂的陽報へと上がって、上がって、個別性を棄てていったら
視界の中と同化してしまい、四海の全てと同一してしまい
個別性の極致がありました、とさ
それでも、最後には引き戻されてしまいましたとさ
人は人ではないものになれないらしい
それでも、人は人でないものに憧れて、個別性の極致を目指すですから
これはこれで、めでたしめでたし
で、人類の物語を終わらせましょうか
個別性の極致を目指すための、技術発展、科学の進歩、思想、学問の向上と考えまして。
「私は右も左でもない」という傲慢さ
敗戦後の祖国で「右でも左でもない」などというのは自我の縮弱でしかなく、自己決定さえ放棄することを意味すると言うのに
平然と「右でも左でもない」と言いながら、自己の決定に反省を加えない傲慢さ
その根底にある自己保身、さらに深淵にある自己顕示欲による嫉妬心
それを誤魔化すための質料の贈呈、という社会儀礼
その根底にある自己回復、さらに深淵にある自己顕示欲による嫉妬心
それらを観ないことさえ気が付いていない
精神的自己の宿痾に塞がれてしまい、肉体的自己にも統覚的自己にも自由に行き来ができないでいる
痛い、心地よいなどの感情という肉体的自己への還気がないのであり、
環境、文化、地域、社会、教育等の相対化による統覚的自己への跳躍がないのであり
精神的自我そのものを形成する、社会判断の固形化に基づく感情が悪いのである
社会判断の固形化は個別性の枠組みから飛躍できないことによって生じるのであり、
それを無自覚化していながらも、もっともらしい理屈をつけるものであり、
物品の贈呈によって自己の無自覚を消し去り、社会儀礼でもっともらしい理屈を装飾するのである
しかし、その根底において物品の損失を取り戻そうという、その精神的感情によってしか動いていない
精神的自我の典型例である
村社会の伝統的人間像
プラトンがソクラテスを理想化した原体験
聖徳太子が十七条憲法を書いた原体験
この原体験と格闘するのを理想家と言い、精神的自我と物品の贈与の世界にあるのを現実家と言うのである
その両者をの基本にあるのが肉体的自我の生存であるのは言うまでもない
精神的自我は村社会に、統覚的自我は町社会の人間関係の基準だからである
けれども、さ、その何れもの世界に囚われない絶対的自我へと自由闊達に遊びたい
私達は死が全てを灰燼に帰せられるからである