もう疲れたよ
と言葉にすれば、30代後半の自殺者が取り付きそうで
ぐっと押し込める
体調不良の原因かなぁ
幼児の核の恐怖から生み出された偏った見方があった
そこから儒教を利用して大衆の上に、自分を位置づけようと必死に頑張ってきた
けれどもそれはほとんどの行動に結びつかず、益々私に別の苦しみを生み出した
時として本を読み間々として文してきたが、儒教の君子と小人という区別を使い、私が君子であると主張していた
孔子でさえ立身出世はならなかったと、自分の不遇を正当なものと肯定した
私の心は隘路と哀しみと諦めで埋まり、世の中にあるもの、神社、ギャンブル、コンビニ、自動車が必要である理由を客観にしか求めなかった
私の体験の中で追体験をしなかったのは、自分の不遇に満足を与え慢心していたからに過ぎない
慢心の世界には客観的な善と悪がなく、私自身の好悪があるだけであった
好悪は徐々に快不快と結びつき、社会的な実相や仁義が遠のいていった
社会や世界に投擲する自我を忘れ、熱き日本精神が日暮れてしまった
これが20代の偽らざる私であった
思っていたことは10分の1も口にしなかった
君の前では3分の1ぐらいは言葉にするようになった
マイナス思考しかなく社会を恨み、小ばかにし、傲慢さで人と上手く付き合えなかった
マイナス思考にプラス思考が加わり、社会的礼儀、他人の愛情、そして自分の努力の足りなさに目が行くようになった
毎日、毎回、毎時間、自分の言動や行動を何度も振り返っては、反省する日々
それは君のちょっと天然の素直な笑顔がいつの間にか私を包んでくれていたから
だから、傲慢な過去の自分を否定しない
今に必ず繋がっているのだから
だから、傲慢な現在の自分を否定しない
人は必ず両面が必要なのだから
君に出会って
私は人になった
人の涙がこの肉体の中をサラサラと流れるようになった
冬の田園を穏やかに見守る風
カラスの鳴き声に凪そうなほど ささやかに
ささやかに 続いてきた大尾山の慈愛
正月三が日でも人々は屋台の間をすり抜けて 赤々とした新社へと
崇敬が自然物の融合から 人々の集合へと移り変わっても
冬の田園を穏やかに見守る風は ささやかに
注記:宇佐神宮についてです
「凪(なぎ)」