religioとしてのGodではなく
数多の八百万の神々でもなく
無位の真人として出遭う神
智に転化すればローマの神となり
悲に転生すれば臨在の感動となる
その神でさえも私からではなく
私たちから出てきているのだ
ゲームやバイトは一生懸命やるのに、本業の学業はさっぱりだった。
かといって、ゲームやバイトで1日つぶしても「こんなのやっても意味がない」、「ただただ空しい」だけが残るだけだった。
そうして不安になって、対象のない不安に苦悩する日々を漠然と送っていた。
けれど、日本社会全体の構造の変化から出てきたという文章に出会って、何度も反論しても、それでも心で出会ってしまった。
ゆったりとしたソファーで彼女が友人に物理を教えているのに嫉妬して、やたらちょっかいを出す男子高校生のような、そんな私を見つけられたようだった。
通時的に流れていく社会の伝統に流されていく私は、通時的に植えつけられている生物的本能に支配されていく私と同じようなのだ。
カトリシズムが中東の部族社会と欧州の貧困をかね合わせ、ブッティズムがインドの抽象と漢人の身体性を重ね合わせたように
私は、社会の伝統と生得の本能を重ね合わせただけの、そうした
私の悩み
まつ毛とまつ毛の間から汗が落ちる やっと夏が来た
耳の穴をふさぐように汗がたれる もう夏が来た
月夜の女神が 汗を撫でとってくれる 夏
公園の新緑に自我を投棄してみれば、見えてくるのは己の軌跡
強烈な家族との相克が私の中に注入され、底流となった
鮮烈な恐怖が核爆弾で私の中で注入され、岩石となった
個体の行為、好意、善悪に生存が関係ないと認識した
拡散していく己を引き留めようと特定の外部に己の支点を見いだせなくなった
全てに、全時間に私を見つけたいと思うようになった
無駄な遊び、飲酒、放蕩、放浪にさえも私を、私の行動の意味を見つけたいと思うようになった
いうならば、全てを支配し、全ての時間を統治したいと思うようになったのだ
だから、私の立脚点は外部には求めなくなった
自然や科学や家族や恋人や金銭や教団や悦楽や名誉や神々や、そうした私の外部に立脚しようとはしなくなった
外部に依存せず己の中に立脚し、全事物全時間に及びたいという欲求の軌跡が私の軌跡
思想に向かったのも当然の帰結になる
放蕩も飲酒も読書も講義も睡眠さえも私の支配の対象となれるのだから
私の軌跡さえ私は支配したいのだろう
みちはまんなかだ みちはバランスだ
と言うけれど、まんなかは徹底的にマイナス、苦悩、死によってやっと解るもの
みちはまんなかだ みちはバランスだ
と言うけれど
パッと目を開ければ、心が感謝に満ち溢れて世界で最も美しいものも見えるから
天国にいるよう
パッと目を閉じれば、言葉の刃よりも最も鋭いナイフで全身を切り刻まれるから
地獄にいるよう
ちょっとだけ欲張りだから
天国にも地獄にもいられてるようになって嬉しい
みんなももうちょっとだけ欲張りになればいいのに
お金もいい男もスキームミルクもいらないんだよ
こんなものか
こんなものなのか
こんな寂しく 空しく こんな何も見つからず こんな何も得られない
だから肉体の停止が安らぎに感じ だから肉体の老化が労わりをもたらし
金もない 借金だらけだ
女もない 不細工だらけだ
酒もない 酔っ払えやしない
人もない 縋っても何もない
柔然と感謝の心持をすれば、私は天国にいる
言葉と感覚に身を沈めれば、私は地獄にいる
天国にいる 地獄にいる という設定が私ではない設定が
私を地獄に 落とし
天国にいる 地獄にいる という設定が私ではなく解放へ
私を天国へ 揚げる
言葉を積み重ねればいいのですか
金銭を積み重ねればいいのですか
家族を積み重ねればいいのですか
栄誉を積み重ねればいいのですか
快楽を積み重ねればいいのですか
どうぞ教えてください
どうぞ教えてください
教えてくれないことは判っています
教えてくれる神がいないのも分っています
教えられることではないことも解っています
夕暮れが赤いのですから
また今日も日が暮れました 雨上がりの曇り空でした
私の心の中では夕暮れが赤かったのです
もうこの不断の世界の暇つぶししかないのでしょうか
どうぞ教えてください
どうぞ教えてください
こんなものか
こんなものなのか
こんな寂しく 空しく こんな何も見つからず こんな何も得られない
だから肉体の停止が安らぎに感じ だから肉体の老化が労わりをもたらし
金もない 借金だらけだ
女もない 不細工だらけだ
酒もない 酔っ払えやしない
人もない 縋っても何もない
夕暮れを観るように音楽を聴き 快楽におぼれ 言葉を時々紡ぐのです
どうぞ教えてください