私の波動は周りの人々を染めていく
教育であり、SMであり、笑顔であり、姿勢であるのだ
社会制度化された教育
性的関係化されたSM
対人緩和化される笑顔
特定言語化される姿勢
全てが私の波動であり周りの人々を染めていく
その私の波動の根源を探れば そこにはもはや私も周りの人々もありはしない
媒質なく波動が伝わらぬように
波動性が主体と客体という西欧哲学の根本を葬り去ったように
いまだにプラトンだのキルケゴールだのデカルトだの言っているのは単に個人の波動に染められた軽薄なレベルであるのだ
媒質の世界へと波動は深化できないのであろうか
空が青い
形質と質料が一体化するからではない
空が青い
私はその空の青さに関われないのだろうか
注記:「私の波動」と「空の青さ」は波動として係っています
モノトーンの鯨と緑の馬が飾ってある経堂で
ホーミーと馬頭琴の名演が倒れこまされる満天を見せてくれました
食べ狂いと猥雑を飾ってあるような大都市で
宝来と上品の名演に倒れこまされる満天を見せてもらいました
あなたを思い出しました
ホーミーと馬頭琴の昇華した世界に
あなたと行きたくなりました
ホーミーと馬頭琴を産出した満天に
手をつないで
倒れこんで
あなたと
久しぶりにバリカンを手に取った
洗面台の上に黒い雪のように降り落ちて 積る
集めてみたらお鍋いっぱいになりそう
なにやら黒いこんにゃくみたい 所々白い斑点もある
鏡を覗き込んでみたら耳の後ろは 大分真白そう
どうにも やれやれ とバリカンの小さなスイッチを切る
目を閉じても閉じなくても昨日の会話が浮かぶ
短くしたら白髪が目立つと思いますよ
どう答えようか そうした思考の自由を手に入れて
どう染めようか そうした選択の自由を手に入れて
うらやましがられていた黒ゴマはゴマ塩になった
うらやましがっていた若い生肉は料理されて御馳走になってきた
ぷんぷん 美味しい匂いが洗面所に漂っている
ぷんぷん うれしい感動が私の周りに漂うようになった
これからも時々、バリカンを手に取ろう
これからも時々、私の肉体を美味しくしよう
なにものにもならなくても、成り合わぬところから娘になり母になり老婆になる
母の愛を求めるものであって、母の愛を与えるものにうつれるのは四季のうつりかわりのように自然で
なにものにもなれないのかもしれない、という成りあまりの私たちは心の奥底では空しさを恐ろしさを
どうして四季のうつりかわりのように無理なくむりなく、ただただあらないのだろうか
本能とホルモンに左右されず、気分も性格も左右されず好きなものを獲得しようと突っ走れる
父の愛を求めないのであって、父の愛を与えようとするのは独善と偏見と羞恥が渾然一体となっているのを
何者にもなれないのかもしれない、というなり合わぬの私たちは心の奥底では頼もしさを羨ましさを愛おしさを
どうして神のように超人的に遍く転がり落ちている石ころから上昇して天下を天を目指さないのだろうか
あるものにあらなくても、与え合わぬところから動物になり人になり人間になる
人の愛を求めるものであって、人の愛を求められるものにうつれるのは、ただあるものの自然で
ないものにもなれないのかもしれない、という得られ合わぬ私の心たちの奥底では空しさ羨ましさ恐ろしさを
どうしてベタベタと空中の湿度のように生存に不可欠のように、あるものが私の心たちにも不可欠でどこまで行っても拭い去れないのだろうか
薄暗い豚肉の素揚げに舌鼓を打つ と
薄暗く陰影に隠してきた心を打つ言葉が
「神様か 仏様かと思いましたよ」
ドキッとして中華街に和風のアレンジを忘れてしまうほどだった
「2回目に天然なんだな・・・と分かって、もっと怖くなりました」
「そして哀れになりました」
若いうちからリストカットという生に取り付かれ、つい先日末期がんという死に取り付かれた彼のこぼした言葉だった
まれに、そう、まれに隠し持っている世界を見抜く人々がいる
豚肉の素揚げは美味しくて満足の色を感じたけれど、色彩をさらに深めてひざ小僧から胸元へと視線を上げる
「ナウシカのユパさまのような、人間臭さを感じさせない 自己犠牲で最後に命を投げ出すのに決して定住しない、安住しない」
「ネットや日記で垂れ流される感情や判断や欲望の人間臭さがないのは、分かったのですが、それでいいんですか。私はこうして話が出来るからいいんですけれど・・・」
スッとコンマ、0.1秒目を閉じて、彼の視線に黙視線を合わせる
ゆっくりと1秒を掛けて胸元へと、彼の視線の下へと合わせていく
波動の出ぬ音声を肺胞から出そうとするのは、決して同じ声が出せないから
重力質量と慣性質量がずれている、そのハザマから聞こえてくる波動を出せないから
もうすっかり功利的に処理するのも、もうすっかり性善的に把握するのも、墨子的発想で行動するのも、理解したけれど、それでもまだまだ私の肉体は、等価原理が及ばないらしい
「やっぱり分かっていたんだね」
彼のつぶらな瞳に初めて視線を合わせようとした
ちょっとお洒落な街にきてお昼ごはん
3人でアールグレーやエスプレッソでデザートを食べていた
男女の友情は成立するか?
なんていう話題になった
えーないない〜 私は今までそうだって思っても・・・
そう? あるって思うよ〜 お互い恋人がいても普通にゴハン食べる人、何人かいるもん
どうかなぁ、人によるんじゃない?
えーそれってひどくない? まるで私が・・・
そう? そうかもね
おれも思い当たる人いるかもね?
どっちよ〜 どっちのどっちぃ〜
うんうん、どっちかなぁ?
うんうん
ところでさぁ・・・
うん?
はいな
わたしたちってどうなのかなぁ〜
えぇ〜 そうくるかぁ?
うん、そうくるかぁ
どうどうぅ〜 どうなのかなぁ〜
うん どうなの?
俺に聞くの?それ
きくよぉ・・・聞きたいよねぇ〜
どうだろうねぇ? 聞きたいかなぁ、ちょっと怖いかも
怖いかなぁ、うん
恋愛や友情は、人間を増やすための本能だ、という話を聞いた
恋愛や友情がなければ人間じゃあない、という友人がいた
恋愛や友情ってそもそも何だろう、と考えた偉い人がいた
他にどんな風に考えられるんだろうって、お茶をしながら、ちょっとだけ考えた
肉体を向かい合わせて、後頭部を大きなゆっくり撫でる
プライベートスペースに入り、低い声でボソボソと眼を時々見つめる
相手の趣味趣向を効率抜きで全力で肯定する
出生の大切な思い出へと情緒をただただ注ぎ込む
肉体による全肯定、精神による全肯定
青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光
一生忘れず年老いてから想い浸って涙を毎日流せるほど
一生忘れず年老いるまで思い煩って肉を苦役へ流し込めるほど
ではどうして全肯定をわれわれは求めるのだろうか
動物行動学から観た生物学的衝動という解答
本能を先験論的に観た神学的論拠という回答
はたまたアリストテレスの個と種を取り忘れた解説へと押し流すか
ではどうして全肯定をわれわれは求めるのだろうか
どうして幻想へと結び付けたがるのか
結婚 金銭 権力 血縁 子孫 神学 教団 組織 家族
どうしてそれらの幻想にわれわれはこの生命を選択して投機するのであろうか
どうしてそれらの幻想にわれわれはこの生命を選択せず投棄せずにあるのだろうか
解答も回答も解説も、どうしてもまだ
どうしてもまだ
注記:「青色青光(しょうしきしょうこう) 黄色黄光(おうしきおうこう) 赤色赤光(しゃくしきしゃっこう) 白色白光(びゃくしきびゃくこう)」は『阿弥陀経』より
極楽世界の情景 大きな蓮があり、青色の蓮からは青い色が、黄色の蓮からは黄色の光が・・・の意味。単一基準による偏差化ではなく全肯定の現われと読んだ。
後の神学に続き、教団、組織へと全肯定が変化するきっかけと考えた。これが次の「(教団、組織を)選択して」へ繋がる。全肯定の個別から出発して抽象化、社会化への広がりを指している。