ものかき部

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「 ようこ�掘 �
2008年03月20日(木)




 人間が壊れる時に「助けて」と縋(すが)らず
 壊れていく人を観る時に「助けて」と両手に力を入れて叫ばせる
 母性が壊れていく、母親が肉親が血族が壊れていく時、人は根源的な叫びに身を包む

 30を過ぎた女の気狂い、般若、更年期障害、それらの先にあるその壊れ
 男性性の安っぽい合理や思想や悟りの穏やかに比べると、どうだ

 なんと嘔吐(おうと)し何度共感し、なにをも醸(かも)しだす
 ただ、あなたの傍に立っていたい 


注記:『アカシアの道』 近藤ようこ著 青林工藝舎を読み終えて

「 ようこ�供 �
2008年03月19日(水)




 世間体のために子が欲しいと願い、出来が悪いと水子と比較し、最後には子を殺そうとする母
 人格神に堕ちた阿弥陀、観音は人の願いを聞き入れて、母に見捨てられた子を呪い、穢(けが)し、家屋衣服金銭の全てを奪っていく

 共感も嘔吐(おうと)もなく淡々と母性の本質的な恐ろしさが漂(ただよ)い
 ただ酔うように捉われて、けれども吐き気は止まらず、共感感覚を抱きたいと願望する

 物語が物語となるための非日常性に願望し
 あなたの寂しさや苦しさに共感しようとする

 つまり私のために、つまり私は絡(から)め取られる


注記『身毒丸』 近藤ようこ著 青林工藝舎を読んで

「 ようこ 」
2008年03月18日(火)


 絶対の孤独が文学の人間のふるさとだ、という人々が居る
 私も斯様に思っていたけれど
 けれど、絶対の孤独だと思う、あるいは文学を選択する、人間を追い求めるその形式は、自己決定でしかない
 けれども、生身の人間は自己決定によって生じた存在者ではない
 だから、文学やそうした人間のふるさとを目指す人々は、生身の人間の、例えば、性や家族や恋人や伴侶などと戦わなければならない

 この戦闘こそ、実は自己決定の果てに生じている、ということを忘れてしまっているのだ
 自然物は戦えば加工し道具となりうる。けれども、自然物は加工されなくても存在していられるのだ

 空は限りなく青く、そして闇をも内包しているのだ
 決して青いだけではない


注記:『春来る鬼』 近藤ようこ 青林工藝舎 あとがきを読み終えて

「 探求と追求の果て�将供 �
2008年03月17日(月)


 与えられていないのだから、もう諦めるしかない。グジグジとはしない、女性ホルモンや白い翼、えら呼吸
 選択の上で身に付いたものだから、もう受け入れるしかない。肯定するにしても否定するにしても、無智無能や事故による怪我、金困窮
 与えられているものだから、もう諦めるしかないのか。ジクジクとはしない、右脳左脳や消化器官、はい呼吸
 選択の上で身に付かないものだったから、もう受け入れないで終わりか。毀誉褒貶をいくら尽くしたとしても、バレエの肉体や纏足(てんそく)、音感

 春の穏やかな日、与えられたけれど、決して一定してはいなかった
 穏やかな日へと飛び越えていく加速度だけが残っている

「 探求と追求の果て�将機 �
2008年03月16日(日)


肉体に執着し、あるいは放棄しようとする肉体の行動が実は肉体的ではないように
知性を毀誉褒貶(きよほうへん)する知的態度が、実は知性的ではないのである


追記 原題は「 ジョルジュ・バタイユへの手紙 」です

「 探求と追求の果て�勝 �
2008年03月15日(土)



 そして
 主体者意識を欠いた希望と有用性から無智が生れる
 キリストもブッダも人間の罪が、世迷が発するとした無智が

 2000年経っても変わらないんですよ
 だからこそ欲に満ちた世界が発展してきたのも歴史的事実なんですよ

 そして
 お2人が大切にした所有権は相変わらず人の罪を、世迷を生み出していますし
 人々を区別し、差別し、競走へ駆り立ていますし

 2000年経っても変わらないんですよ
 だからこそ私の探求と追求の果てにある、もうそれが浮かび上がってきます

 激情に身を浸して無智に落ちればそれで一生私は幸せに暮らせるでしょう、この所有権の成立した社会の中で
 つまり、殆どの人間社会の中で
 歴史に目を浸して知識に立てればそれで一生私は絶望に暮らせるでしょう、この所有権の成立した社会の中で
 つまり、僅かな人間社会の中で

 私はやはりお2人のようには生きられないようです
 いやそのように覚悟をしたのです
 何故なら、人の善性をあるいは仏性を信じる、という激情に身を窶(やつ)すことが出来ないからなのです

 私はやはりお2人のように生きたいようです
 いやそのように覚悟をしたのです
 何故なら、絶望を抱えながらあるいは希望を主体的に考えながら、という考えを捨てる事が出来ないからなのです
 
 

「 探求と追求の果て�宗 �
2008年03月06日(木)


 そして
 世界に絶望することは愚鈍であり
 希望に絶望することは知性である

「 探求と追求の果て�次 �
2008年03月05日(水)



 個人に絶望することは日常だ
 人間に絶望することは思想だ

「 探求と追求の果て�察 �
2008年03月04日(火)



 自己の特別さを維持しようとすると、地獄から餓鬼が蛆虫が湧き出して、この身をこの心をむさぼり出す
 自己の特別さを社会と合致させると、天空から広い視点が噴出してきて、この身をこの心を感謝で満たす

 社会との合致による自己保存、自己強化の最適の効率的感情
 内外が強化され、私は私になっていく
 その私しか私には許されていない
 私の進む方向がインプットされている
 その私は私であろうか
 その私しか私という語彙の中に含まれないのであろうか

「 探求と追求の果て�此 �
2008年03月03日(月)

 喜怒哀楽が呆然忘却が、自己否定も自己尊大さえも本能によって仕組まれている
 だというのに、それらを抽象化して個別に獲得する感謝さえ、仕組まれているとしたら
 這(は)い上がれないあり地獄

 頭上遥かにある円形の茶色の砂の切れ間と、彼方なる透けるような青空の合間にある地上は永遠に、永劫に
 観えもせず、歩くことも、這いずり回ることさえ
 両足は既に砂塵(さじん)に埋まっている
 この両腕を切り落としても、この両目を抉(えぐ)り出されようとも、皺(しわ)だらけの頬でせめて這いずり回りたい

「 探求と追求の果て�后 �
2008年03月02日(日)


 感謝とは強くなるためにするのである
 感謝しなければならない、と世間は言う
 感謝の心を忘れてはいけないよ、と物知り顔の古希は理由を語らぬ 
 感謝していればいいことがあるよ、と諺は言う
 感謝すれば結果的に気持ちが良いよね、と教師の面が言わせるが理由を語らぬ

 感謝とは己が精神的に、そして社会的に強者になるためにする巧緻に満ちた効率的感情である
 正直でなければならぬ、人のものを盗んではならぬ、隣を妬(ねた)んではならぬ、という世界宗教の共通事項は農耕社会の成立に欠かせなかった。全世界を覆い尽くしていた狩猟社会が農耕社会によって駆逐されて続けて、もうアフリカとオーストラリアと諸島などの1部にしか居なくなった。
 正直でなければならぬ、人のものを盗んではならぬ、隣を妬んではならぬ、と道徳が成立したのは社会が精神的に、社会的に強者になるためであった。
 それが見えぬ者は、道徳を礼賛し、あるいは貶(けな)し、あるいは道徳的でない己を否定し、道徳的である己を大いに誇り、そのような贋眼(がんがん)で世の中を観ている。
 まるで闘牛が白と黒しか分からぬのに、赤の布に興奮していると錯覚しているように。あの赤い布は人の興奮を誘うものでしかないのに気がつかないで贋眼で世の中を観ている。

 感謝とは己(おの)が強くするためにするのである。
 感謝が世界中で、世界の宗教に含まれ、いや日常習慣の中に組み込まれているその訳は、多くの人類の経験則に基づいている。
 だから、人類とは、人と人の間の人間とは、いや己1人だけの人であったとしても感謝によって強くなる、そのように仕組まれている。
 

「 探求と追求の果て�検 �
2008年03月01日(土)


 君ほど僕を深く愛して、必要として、好いてくれた人はいなかった
 だから、一生の信条と決めてきたのを何度も改定してきたし、結婚という通俗関係にも否定的な感情を抱かなくなったんだ
 何も考えずに死んでいくだけの豚の、いや能力が与えられているのだから豚以下の、そんな社会の再生産に身を落としてもいい、と感じられた初めての君だった
 けれども、比較できない深い愛は絶対的ではなかった
 その深い愛は対象が僕以外に変わるのを風の香りで嗅いだ
 絶対的に深い愛が永遠不滅の絶対ではない
 肉体の奥底に隠れている大腸や肝臓などを、両手で掻(か)き出すような深い愛が、そして僕の内臓はからっぽになった

 だから、二の腕の垢(あか)を爪の先で、こちょこちょとくすぐる様な穏やか過ぎる愛も、春先に誰にも気がつかれない程、ちょこっとちょこっと増えてくる水蒸気のような包み込む愛もあるんじゃないだろか
 穏やかで包み込むような控えめすぎる愛が絶対であることもあるんじゃないだろうか
 見落としてきた愛が


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