満たされぬから胸を焦がす
憤りまでいかぬ憐憫までおちぬ
理由はちらちらと頭をじらす
行動までいかぬ放棄までおちぬ
何時の間にか与えられていた育っていた胸と頭を行き来する
自己嫌悪をくっつけて視界を閉じようか
事実肯定に結びつけて膿みを放り投げようか
悲劇神話のカタルシスの炎で焼き尽くそうか
私は生きているという意識がはっきりと沈んでいく
この湖底は誰も来れぬ、永遠の孤独の世界
だからこそ私は活き活きとした確信を得られる
永遠の孤独にある空を飛ぶような涼やかな確信を感じる
孤独と確信という逆説を誰もが持っているのだろうか
ある人はあると言いさる人は悲しいと湖から遠ざかろうとし
この人は見えているよと嘘をつきその人は欲に足を捕まれてもぐってこれない
潜るのが恐くなってキメラになり餓鬼になり死者になるそんな人たちさえいる
この胸と脳の縦一直線からウルトラマンのビームのように飛び出して湖底へと飛んでいこう
キリスト教の天国、仏教の浄土のように絶世の美女も、幾ら飲んでも酔わないお酒も、人々を癒す緑も河も何にも、何1つないのだけれど、だからこそ全てが満ちている 全てに満ちていく加速度があるのだから
注記:「 狂気の煉動(れんどう) 」は2002年7月21日に掲載されています
最愛の人に突然振られた失恋の痛手に
親友の死が突然に訪れた喪失の痛手に
職場の倒産が突如やってきた呆然自失
持家の崩壊が突如やってきた呆然自失
あるいは日々の些細な、食欲、性欲、睡眠欲、名誉欲の蠢(うごめ)き
これらで自らの気持ちが一杯にならなくなってしまった
どうしても、一般人庶民貴族王族までもが右往左往して、叫び慄(おのの)き、歓喜し耽溺し、逃避や葛藤、狂い笑うというのに
あるいは日々の些細な、喜怒哀楽などで涙程度で蠢くというのに
もう私はそれらの虜(とりこ)になれはしない
もう私はそれらに囚われてドロドロとした野菜ジュースのような粘液に押し流されなくなってしまった
彼らが羨(うらや)ましくもあり哀れんでもいる
だからこそ共に進もう
だからこそ野菜ジュースを今こそ味わおう
野菜ジュースを瞳からあふれ出させたような粘液の気持ち悪さでも、振り切れない訳
みかんとしょうが、にらとトマトを混ぜ合わせた野菜ジュースの匂いでも、止められない涙のわけ
とろとろに野菜を煮込んだホワイトソースのような幸せが最高の幸せだと知っているから
ここから先は、体を芯から温めてくれるホッカホカのホワイトソースに、炭をポトリ、またポトリと落としていくだけなのだから
永遠の愛や永劫の誓いや永久の友情などを信じるにはわき腹の贅肉が着き過ぎてしまった
それでも諦めないから、諦めないからこそ、この先は炭を入れていくしかない
精霊である君の命は数百年で僕の命は数十年なんだ
抱きしめて抱きしめて抱きしめて
抱きしめられるからこそ幸せになれた
抱きしめたからこそ幸せになれた
一緒にあの世に行ければ永遠の愛や永劫の誓いや永久の友情が得られるのだろうか
野菜ジュースの涙に迷いが混ざり、さらにドロドロになって
ただ、君を抱きしめる
ただ、君の瞳をみつめる
もうそろそろ野菜ジュースに炭が混ざり、君の姿は所々真っ黒になっていくだろう
もう、そろそろと私の命に老化と死が入り込み、それでも君の姿はまだまだ若々しいままなのだろう
週に15回を超えると軋(きし)み出す
真っ先に左足の甲を走る一番内側の筋が最初の犠牲
ジリジリと照りつける砂漠の太陽で左足の甲が日照りのように罅割(ひびわ)れだす
年に15人を超えると歪(ゆが)み出す
真っ先に重い声色がかもし出す威厳の奥底のストイックさが最初の犠牲
ドロドロと浴びせられる粘液が、ストイックゆえの清らかな水流が通っている脊髄が歪み出す
日に15回を超えると拝(おが)み出す
真っ先に時間が出来ると調べるメールチェックという最初の犠牲
モフモフと浮かび上がる綿菓子のような純粋さと甘さを持って調べると打ち砕かれる淡い錯覚、それでも綿菓子を止められずに何度も何度も舐めて舐めて、何時か、そして何時までもと拝み出す
人はやはり1つだけで捉えられるもの、1つの要素から出来ているもの、とは考えられない
愛、恋、金、血液型、精神、感情、合理、判断、生存、本能、どれも1つ。
人は愛のために生きている、人間結局最後は金だろ、人間とは社会的動物である。
どれもが、どこか白々しい。どこかに穴がある。
穴があるものしか人間は作れないので、それはそれで良いのだけれど、1つにはまとめられない。
それなのに、人は1つにまとめたがる。自分の矛盾を、人間全員の矛盾を忘れてしまおうとする。自分を1つであると錯覚してしまい、忘れた穴に反逆されたりもする。「物狂い」という30代を過ぎた周りに子供のいない女性が冒す行動がある。日本の伝統芸能能の大きなテーマの1つにもなってきた。
なぜだろう。なぜだったのだろう。
人が1つにまとめられると錯覚してきたのは。1つでありたいと願うのは。
もう飽き飽きしている。厭(あ)き厭(あ)きさえしている
こんな同じような文章を書く俺を
こんな同じような文章しか書けないから
生きていて、それで価値があるのか? 意味があるのか? 何か役にたっているのか?
喜びなんて何にもないじゃないか。誤魔化しの目先の喜びにまみれるしかないんだもの
悲しみも苦しみも怒りだって全て同じような感じしか感じられない俺
こんな同じような感覚しか感じられないから
右喉の奥が縦に小豆ほど痛くてたまらない
この痛みが今の誤魔化しになっている
治まったら、治ったら、次は何か選ばなければ
柔肌、つるりとしてスベスベで幼児のような
声色、抑え目なそれでいて張りが心を捉えて放さない
紅唇、小さくてネクタイのように発色のよい少し尖った
黒髪、林の木陰のような落ち着きを感じさせるサラサラとした
全てが、その全てがたった、全宇宙に比べて極微弱な人の一生の半分にも、いや3分の1にも満たない時の流れで洗われて逝ってしまう
だから愛して欲しいの、と
けれど愛して欲しいの、と
しかし愛して欲しいの、と
現在だけを想う時人は満たされる、とある人はいう
未来を持つだけで人は幸せになる、とさる人はいう
過去を忘れない人だけに己がある、とその人はいう
3掛ける3で9通りの答えが導き出される
どれに当てはまろうとも、どれに当てはまらなくとも
そっと目を閉じて、己の狂気を静めるだけなのだ
あの愛して欲しいの、という人との別れがきっかけとなった
一気に噴出(ふきだ)して小さくとも無限の心の世界に広がっていく
けれども、この狂気に本当はあの人は全く関係がなかった
ただ、あの人はきっかけに過ぎなかったし、側にいてくれる人なら誰でも良かったのだ
だから愛していたのだ、と
けれど愛していたのだ、と
しかし愛していたのだ、と
きっかけに過ぎなかったとしても、それが真実の愛であるから それだけが愛という名に値するものだから
真実の愛に気づかない人、いつも取り戻すようにしている人、偽りの愛の幻想に抱かれるだけの人、私に気がつくきっかけを与えてくれたあの人
スベスベで張りのある少し尖りサラサラとした、あの人への愛があった
ぽたぽた
真っ暗な闇で瓦に滴る雨音
ぽたぽた
美しい、と聞きたい
ぽたぽた
悲しい、と聞きたい
ぽたぽた
人生の英知を聴きたい
ぽたぽた
人間の末那識を聴きたい
ぽたぽた
僕には何も聞こえてこない
ぽたぽた
じっとグルグル定まらずに
1週間を超える風邪、とうとう喉まで追い詰めた
恨めしいしっぺ返しのように声を奪っていった、朝は何ともなかったというのにハスキー過ぎるボイス
これまで散々、悪寒だの頭痛だのを投げつけては、バスケも活力も奪っていったのに、やっと清々するという所なのに、最後に残ったボイス砦
生来の高音でまくし立て、合理的判断と論理性でぶっちぎって友達の居なくなった小学校、馬鹿馬鹿しくなって見下げるようになった中学校、逆にもてない言い訳にしていた高校生、もてるためにわざとハスキーにしておっとりのしゃべり方にした大学生、同性にセクシーボイスが聞けなくて残念といわれる社会人
目をスクッと閉じて口先を動かせば、他人のような動物のようなかすれた声と動作の醜さが、僅かな痛みを伴って
初めて自己改造をした成人の頃を、もどかしくて何度も引き返そうとした感覚を、こんなのでもてても仕方がないという過ぎ去った遺物が心に蘇ってくる
意図的に変化させた私など私ではない、変化させられた私など私ではない、そんな豊かさゆえの傲慢な問いに心が満たされていた平和な頃であった、無知な無智な無恥な時代であった
稚拙な恋、下手な人付き合い、無駄に繰り返す行動、傲慢と自尊しかない不安定、全てがこの擦り切れそうなハスキーボイスに詰め込まれているよう
音程の1つ、3秒もでやしないハスキーボイス
何百回も口ずさんで来た名曲さえ、半分も音が出ないボイス
このボイスが私の声であった
これからも声の奥底には隠されている
成人の頃に出していた、その声、ハスキーボイス
透明の誠実を詰め込んだ弾丸
これで当らない真理の的なら、そんなのは的じゃない
猥雑も善悪も真摯も詰め込んだ弾丸
ばん
注記:題名はKinggiddraの曲名から。インスピレーションはcapsuleの「starry sky」から
奥歯が勝手に・・・ガタガタガタガタガタガタ
両脇のアバラを締め付ける音が聞こえてくるようだ・・・ギュリギュリギュリグリィギュリ
当然頭脳は電気ストーブをつけたように熱く、目はボーっとして焦点が定まらない
2日も徹夜したよりも苦しい
君に
君に、横に
横に、側に、顔が
笑顔でなくてもいい、もう僕には
連絡したくなる、日常毎日いっつも考えていた誇りや見栄、食欲も性欲さえも全部吹っ飛んで
笑顔の、いや形さえ見えない、匂いもない、君の雰囲気だけが
電気ストーブの中に浮かんでは、右手の届きそうな場所と行き来している
白磁の君に
白磁の君に、横に
横に、側に、君の顔が
笑顔をもう僕は見ることが出来ないのだけれど
けれど
ガタガタガタ ギュリギュリ
死ぬ前に見たいのは、触れたいのは君だけなんだ
エ? なになに、無知が最も悪いって?
イエスとか仏陀がそういったって?
ああ、そうかいそうかい。
けれどな、今からみりゃ〜イエスも仏陀も何にも正しい知識、確実な知識を知らなかったぜべらんめ〜!
エ? なになに、間違った?無智が最も悪いって?
知識と智慧に換えただけじゃあねんえのか?
ああ、そうかいそうかい。
けれどな、ろくに本も無かった時代だ、今はイエスの智慧も仏陀の智慧も読めるんだぜ、体得可能なんだぜ? べらんめ〜!
おっといけねぇや
こんな風に言ってばかりじゃ、無知や無智になっちまう。
ぉ! 無知無智でムチムチじゃねえかぁ!
むっちむちねえちゃんいいよな〜、いまっつーと誰でい、人気あるのは。
いいね〜むっちむち、大好きだよ〜
今年も白磁の君は、感情を土砂降りのように容赦なくぶちまけるだろう
あれが好きだ あの人が嫌いだ
これが気に入った 欲しい
この人が格好いい 格好悪い
優しくして ぎゅっと抱きしめて
ドキドキもいいな 穏やかさもいいな
職場のあの人には密かに腹が立っている
土砂降りが降り注ぐ金魚鉢の中で、爆発のようなゴー音、視界をふさぐ透明の幾重もの膜に視界をふさがれた金魚のよう
好きといっては、嫌いといっては、むかつくといっては、お腹がすいたといっては、直ぐにぷーっと感情を発して真っ赤になる金魚のよう
京茄子のような透明の金魚鉢から外の世界は一切見ずに、ただただ、感情をぶちまけて金魚鉢の中でパクパクと口を開いては閉じて、開いては閉じる
なぜ、パクパクと意味の無いお喋りを止めないのだろう
なぜ、わざわざ感情をぶちまけて狭い世界をさらにごちゃごちゃにするのだろう
なぜ、金魚鉢の外に立っている人が居るのを認識しないのだろう
なぜ、出目金やランチュウと比較して己を恥じるのだろう
確かにお喋りは本能で植えつけられている、けれども同じ諸欲はコントロールできるじゃないか
確かに狭い世界でゴチャゴチャすれば敵も出来るけれど味方も出来る、けれどもわざわざ身近な敵をつくらなくてもいいじゃないか
確かに「へーすごいね」と自己防衛して意識の外に排除することはできる、けれどもそうした世界が実は君の人生を大きく変えていくのだ
確かに永遠に18歳で居られない北欧美人には叶わない、けれどもあなたはあなたでしかないのだ、つまらない世辞で誤魔化されているのを言葉の上では知っているのに
パクパクと口を開閉する金魚
人間の手による交配によって産まれた異形の魚
歴史と伝統によって交配され重工業化、情報化という世界で育てられてきた新種の魚
アフリカ大陸やユーラシア大陸南西部の魚たちと比べれば、なんとひ弱な、なんと精神的に幼く、直ぐに感情をぶちまける金魚という魚
机の上に両肘をついて、あごの下に両手を合わせて、少しタラコ唇にしながら、その騒がしいことこの上ない金魚鉢を、ぼーっと眺めるよ
飽きたら時々餌をやって、飽きたら料理でもして、飽きたら仕事にいって、帰ってきてまたボーっとひ弱だから感情をぶちまけないとやってられない金魚を、どうでもいい視線で眺めるよ
多分、それが世間で言う男性的な愛なんだ
多分、それがイザナキがイザナミに殺されそうになった時の気持ちなんだ
多分、それが最も上手くいく、そんな気がしてならないんだ、だから白磁の君を心から愛している
ああ、また「冷たい人」とか「意味わかんない」とか「偉そう」とか、そんな感情でしかこの言葉たちを読まないだろうからね
金魚鉢の外から眺めるしかないんだろうな、一緒に手を取り合って歩いていきたいのに
肉体的に手をつなぐことなんて、死んだら出来ないじゃないか、そんなの意味ないんだよ
パクパクという口、本当にセクシーさ その口を今年も眺められると想うと何物にも換えられないお年玉のような気がしてならないんだ
ご先祖様、歳神様、今年もお正月でお迎え出来ます
1つ、ご報告申し上げることがあります
私たちは、ついに、仏教にはなかった阿弥陀仏まで作り出すほど、ご先祖様たちを苦しめて打ちのめした破壊衝動を解決できるようになりました。
どうしても逃れられない他人へのねたみから殺人を起してきた、戦闘の無かった時代などない程、殺戮(さつりく)を犯してきた、肉体的に弱いヨボヨボの老人たちを合理から遠い子供たちをホルモンに人生を左右され続ける女性たちへ暴力を振るい続けてきた破壊衝動を
阿弥陀仏や守護聖人などの観念の総体ではなく、武道という精神修養とかこつけるでもなく、異性という欲望へと消化するのでもなく、ゲームという現実の物質的操作によって
まだまだ、ご先祖様たちが数千年に渡って、殺し続け奪い続け犯し続けてきた本能は残っております
けれども、私たちはやっと、観念に逃避せず、破壊を含む武道とせず、個人差や年齢差の問題を含まない、仮想空間で破壊衝動を満足させています
全てが思い通りに行かないルールにしてはいますが、自然の厳しい現実よりも大分楽なルールをゲームに採用して満足させています 教育のように努力すれば必ず報われるゲーム、天国のように死んでもやり直せるゲーム、他人のものを盗んでも自己否定に陥らなくてもよいゲーム、潜在にある殺戮を幾ら行っても誰からの恨まれず鮮血も浴びずにすむゲーム、妬みも欲望も殺人を含む破壊衝動を満足させるのですから、これからもっともっと増えていくでしょう
新年をこの世で迎えられた喜びと共に1つ、ご報告申し上げます
これからもゲームが世界中で増えますように
追記:原題は「 年賀状 」加筆修正して「 新年の願掛け 」に改題