べちゃり、という音が首筋でした
大きなナメクジが左の乳首から首裏を回り右の鎖骨までのったようだった。
ぷりんよりも柔らかく、カスタードクリームよりも水っぽい感覚なのに、誰かの内臓をきりだしたような温度だった
生暖かさとは裏腹に小脳から尾てい骨まで雷が落ちたようにゾクリとした
まるで、雷の力強さとパワーで正体不明の粘液体を焼き殺すかのように、体をブルブルと小刻みに、そして3回も左右に振った
べちゃり、という音が首筋でした
やせてきた顎(あご)を2重顎にして確認したけれども、青い上着には染み1つ、相変わらず付いていなかった
粘液の塊(かたまり)がその内に体の動きをのろのろとさせる
凝らして街行く人々を観ると全身を覆われて達磨のようになった人も、左肩にしかついていない人も様々となっている
この世界には明確な自然法則が成立してその恩恵を受けているというのに相対主義に走ったり、いまだに「心の中にあることだけが真理だ」などと般若心経を信じたり、天国のみにしかこの世の目的を見出せなかったりする人がいる
この世界には核心が人間精神で成立しているというのに会計学や統計的数値だったり、いまだに死後の世界は決してないと切り捨ててたり、数字遊びの神秘主義に走ったり数学と物理の決定的な違いを捨て去ってしまったりする人さえいる
あの生暖かいナメクジに取り付かれて息苦しくなってしまって、しまいには眉を顰(ひそ)めたからなのに気が付かない人たちだったりする
狂(くる)おしい程に悩みが欲しい
狂おしい程の偏執が欲しい
狂おしい事が人生に欲しい
さっきまでキラキラと梅雨明けの眩(まぶ)しく力強い日差しであったというのに、ボタボタ、と落ちてくるナメクジたちがソフトフォーカスのレンズの役割を果たしてきた
もう少しで、3m四方の透明のプラスチックで覆われたようになるだろう
そしてやっと私は人に優しく礼儀正しく法律を守り、老人子ども女には気配りまでするようになるだろう
パチンコに宝くじに麻雀に風俗に絵画に芸術に音楽にはまるというのでも良いかもしれないが、結局はどちらも同じでしかない
ベチャリ ベチャ
ふぅ、と呼吸をいれて2重顎を1重に戻して、そのまま顎が地面と平行にゆっくりと上げていった
閉じている目蓋(まぶた)の裏に2つの道を並べてみる
これまではたまたま、透明のプラスチックの方を選択してこなかっただけなのを確認したのだった
吹き上がった風が何処までも青空に広がっていく。
見上げなくても、鳶(とんび)のピョ〜〜〜という鳴き声が、透き抜けていく。
ザッ ザッ ザッ
小さな丘を越えては下り、下っては砂利道をのぼる。
見え隠れする丘の先を見るともなく、気にするともなく、ただただ、鳶の声と砂利と吐く息だけが、動いていた。
心の中は興奮の言葉でゴチャゴチャに乱れているというのに、静か過ぎてしかたがない。
武将を殺すこと、一番のりで勇気を見せること、危なくなったら一目散に逃げること、今日の夕方には川べりにつき野営すること、褒賞を貰ったら妻に服を買うこと、限りない項目たちに興奮と不安がスパイスとなって心の中はプンプンと匂いを放っていた。
殺し殺され、奪い奪われ、殴り殴られ、切り切られ、ご先祖様はそうやってこれまで生きてこれた。
私たち全員が、その子孫だからやっぱり刀を突き刺して、人の血が飛び出すのに興奮を覚えない訳がない。まだ2日は後だというのに、心の中の台風の大きいこと大きいこと。
何十人かは生きたまま烏や鳶に目玉を抉(えぐ)られ、肉をついばまれるだろう。
そういう風に生きるようにインプットされ、ただただ、それをこの肉体で吐き出しているのに過ぎない。
ご多分にもれずに私も何かに祈る事にしようか。
戦場に坊主やら神父やら牧師やらが必要とされるのはインプットの一つなのだというのがやっと判ってきた。
ザッ ザッ ザッ
行き先を探しながら見るともなく、眺めながら眺めるともなく、ただただ、鳶の声を頭の中に切りつけようとしている。
インプットされた興奮に生き抜いてきた歴史がこの肉体を支配するように。
満月が、痰(たん)を集めたようなゲロを吐き
ここまで流れ流れて届いて、頭の上で痰壺をひっくり返されてベッチョリ
(校正H19.6.16)