美しい白肌、弾けるように輝く瞳、湧き出す黒髪が、初夏の深緑のように突然現れてきた。
桜の季節から初夏へかけて一気に緑を深めるように、少女から一気に翔けだしきたのだった。
梅雨の憂いが、また緑の美しさを一層複雑で味わい深いものにしているしていて、友人も少し見知った知人たちも梅雨の憂いに引き込まれるのだった。
「早く幸せになりたいわ」
「いいえ、早くなくてもいいの。幸せになりたいと私は願っているの」
「だから、 だから、必ず帰ってきて欲しいの」
その女は、いやその少女は、少女のままだった。
幼馴染として家族同然に育ってきたから、見えてくる無個性なただの肉の塊でしかない、その少女。
透明の金魚鉢の中で、口をパクパクさせている金魚に個性などあるはずもない。子どもの頃の優しさで少しだけ餌をやりすぎても、水を替えすぎても、あるいは数ヶ月放っておくだけでも、ぷかぷかと白い腹を見せてくる、その小魚。
幸せになりたい、幸せになりたいと言葉を発しなくても同じことを繰り返すだけの個性など何処にもない小魚。
ガラスの膜に守られて一生暮らしていける美貌が、逆にガラスの膜から出れないようにしてしまうのだろう。
「ねぇ、分ってくれるよね? 私の気持ち」
「毎日、玄関を出る時、あなたの家の玄関をそっと見ているの。今日は一緒にいけるかなって」
「ねえ、分ってくれているよね、私の気持ち」
「 何時からさ 」
「え? ぇぇ・・・ 覚えていないの? 小さい時に一緒に庭でプールに入った時」
「結婚してね、って言ったら、うん、って言ってくれたよね、その時に」
私に気持ちがあれば、かえって冷たくもするし、側にいって喜び合ったりもするし、けれども、そんなちんけな文学のような真似はどうもどうも。
じっと睨(にら)みつけるでもなく、笑いかけるでもなく、憤怒(ふんど)でもなく哀れみでもなく、その小魚を見つめる。
小魚の魂の上をふわふわとしている肉の塊たちの奥底に視線を向ける。
幸せ病の小魚の思考は、ふわふわとした肉がボロボロになってシワシワになっても変わりはしないだろう。
醜くくても、家族に虐待されても、友人に恵まれなくても、努力をしてもしなくてもそんなことには全く関係のない幸せ病の魂。
美しくても、家族に愛されてきても、友達が沢山いても、幸せになりたいと願って願っている。
勝手に抱きついてきてメスの匂いを腰まである黒髪からプンプンと発してきた。
すっと抱きしめると哀れなほどの笑顔、その裏の不安は全て拭い去られ、同時に深淵への思考も閉ざされてしまってしまった。
なぜ、私は戦闘に憧れないのだろう。
それが男性としての小魚のパターンだというのに。
なぜ、私は文字に残しておかないのだろう。
それが男性としての小魚のパターンだというのに。
なぜ、私は美小女に惑わされないのだろう。
それが男性としての小魚のパターンだというのに。
役に立て、金と権力を得ろ、美女を獲得しろ、他者を征服しろ、戦闘や戦争に憧れて殺戮を繰り返せ、家族を育め、道徳を守れ、
苦しめ、あがけ、苦闘して、他人に助けを求めろ、自分の弱さを自覚しろ、悟れ、求めるな、よく生きろ、中道の道を進め、
死んだらおしまいだ、天国へ行くように神と信仰を利用しろ、何もしなくても天国へいける、どこかへ飛んでいく、生まれ変わってくるのは確実だ。
もう、それらで私を納得させ言い聞かせることは出来なくなってしまった。
もう、生きる、それくらいしか、なくなってしまった。
もう、いや、だから・・・
この小魚と結婚してやろうか、それも悪くないかもしれない。
小さい時の記憶違いを元にして、哀れみでさえなく
決してこの小魚の肉にも魂にさえも満足は得られないのだけれど、
ベランダから母が「すいかを食べる」という言葉に「うん」と答えて走っていったら、後ろから「嬉しい〜」という声とプールの水を両手で入道雲のようにバチャバチャとかき上げていた、そんな記憶違いだけれど
それを誤解と言わず、人生を偶然に賭けるしか残っていないとも言わず、そのように捉われず。
ただ、人類は小魚によって継承しつづけ私はその恩恵を受けているのだから、ただ、それだけを受け入れて。
花も美しい
君も美しい
花も美しい
君が美しい
花は美しい
君が美しい
花は美しい
君は美しい
花は美しい
君は麗しい
花 美し
君 麗し
花に美しい
君に麗しい