ものかき部

MAILBBS

「 朝靄(もや)の揺(ゆ)れ 」
2005年03月15日(火)



 ある時にある場所で、Kにあった。
それまでは自分自身を「僕」、と言っていた。
けれど、Kに出会うとやっぱり一般的には可笑しいのだって自然に自覚した。
 
 わらわらと蟲が這い出してくるように湿気が春の風に乗ってきた季節だった。
いつものように家から近くの谷津山に散歩に向かう最中、朝日が段々と昇ってくるようになっていた。
奥深い山の緑がピーンと張り詰めた地上の寒さを揺らしていた。
同じようにKは、地元静岡で育った根底の緊張感を、揺れ動かし一気に破壊していった。
「そうだね」とKが言うと、天地雷鳴の如く私は動揺した。
その雷は冬から春の音連れのように、人生の暦を進める徴(しるし)になった。

 同じ職場で会って2日目から、Kを眼で追いかけ、心の窓を開け、何とか話しかけたのが10日目だった。
前々から自信を持っていた新プロジェクトをぶつけてみた。
Kは、私の言葉を一言も遮(さえ)らずに視線も姿勢も一切動かさずに、「そうだね」と答えた。
全く平明な否定を含んだような答えだった。
「独善的なのか?」「聞いていなかったのか?」「そもそも話が悪いのか、内容が悪いのか」「でも、新案はないかと聞いてきたのはKさんだし」と迷った。
お荷物の静岡支社に数々のプロジェクトの全てを成功させた期待の星としてやってきたのだった。

 「そうだね、とても良いね」
という返事がくる5.6秒の間、Kが来る前の噂を思い出していた。
犬や猫をもらっては、刃渡り10センチ以上の包丁でめった刺しにする、という噂を。
それを狭い家の20年前後の柏の木に1週間くらい吊るし、蝿が数匹沸くようになってから、やっと花壇の柔らかい赤土に埋めていたそうだ。
「蝿にペットを取られるのが嫌だ」「法律上所有物だか問題ない」「自分の庭だし迷惑もかけていない」「これは楽しみじゃなくてもっと根源的で必要なことなんだ」「煙草や酒やギャンブルの方が体に悪いよ。あ、酒造アルコールと人工の砂糖とかね」「何で個性を認められないのかな。個々は職場だろう。仲良しクラブの老人会かい?」
幾つも飛び出した反論は、こんな感じだったそうだが、Kは一向に止めなかった。
近所で気味悪がられもらえなくなると、インターネットで捨てる犬猫を大量に入手して、1回で11匹処分した事もあるそうだ。
「自分では去勢も繁殖もしない。それは決めているんだ」という言葉が犬猫なのか自分という人間なのかは判らないが、一般的にいう適齢期は過ぎようとしていた。

 この噂を聞いた時、私自身の静岡の何かに皹(ひび)が入った。
「彼はキチガイだ」「絶対に可笑しいし、口もききたくない」「何時殺されるか分らない。帰りは一緒にならないように気をつけないと」「転入祝い、なんて絶対やめようぜ。これまでの慣例なんて良いからさ」
静岡は東京で破れた人間がよく島流しに来ていた。だから、どんな人でも転入祝いはしていたのだ。
そして不確かな噂だけを信じて、行われなかった。まるで痴漢の逮捕を凶悪犯罪の確定と扱うかのように。
そのように危機を認識せずに精神的な防衛反応に凝り固まった静岡の気質を揺さぶった。
 
 書類に眼を通す横顔に、前髪がサラサラとかかる様子を緊張と不安を持ちながら凝視していると、その皹をKに埋めて欲しくなった。
たまらなくなって、抱きつきたくなった。
Kの責任なのだから。これまでの小さな世界の特徴など吹き飛ばして目茶苦茶にしてくれたのだから。
Kの続いての言葉は、「いいね、これ。少し検討してみるから」だった。
私の返事は続かなかったのに、就業時間の1時間後には社内に広がり、私はKに媚びを売ったという雰囲気が流れていた。
さらに広がって線となった。
線を埋めるために、異性なら結婚して欲しかったし、同棲なら性転換をしようかと思った程だった。

 1ヵ月後、プロジェクトが進みだした。
周りの皆はしぶしぶ、というスタンスで私よりも関与するようになったが、相変わらずK側の人間は私だけだった。
もう堪(たま)らなくなっていたので、思い切って両替町の裏通りに誘い、犬猫の噂を聞いてみた。
「ああ、犬猫ね。あはは、面白いでしょ。あれで少し脅した方がやりやすいかな、と思ってね、仕事。なあなあの形式主義になって利権争いにならないようにするのは、何かカンフル剤が必要なんだよ。外部権力とかじゃない単なる噂にしてね。静岡に強く流すように言っといたんだ。案の定だよ。」

 Kはずるい。わざと男性のように合理的に説明したのだから。
 Kはずるい。そうやって私を燻(いぶ)り出したのだから。
 Kはずるい。それでも私を救ってくれなかったのだから。

 Kは何所まで行っても私のような静岡から外れたいという静岡人と同次元に共存しようとはしてくれないのだろう。
こういう望みこそ、世界や日本の歴史を知らず、民主制や資本主義の根幹を理解していないのだ、と転職して出て行く時に教えてくれた。
 
 創設した会社には誘ってくれなかった。
「ここの方が幸せになるよ」「数十年も年を取るのが早いんだと思えばいいのさ」「死ぬのは同じ。幸せ苦しみも同じなんだから」という言葉を2人っきりの濃い夕日が差し込むオフィスで囁(ささや)いてくれた。それだけだった。
 
 此処に残される。
Kの揺らした朝靄(あさもや)が、段々と強くなり梅雨の長雨になり、そして何時の間にか何所かに行ってしまったのだった。
今までも今でもずーっと朝、谷津山に向けて朝歩いている。
ぼーっと、Kとの思い出が出てきては消えて行ったりもしながら。

執筆者:藤崎 道雪(校正H17.3.31)

「 寄生生命 」
2005年03月01日(火)



 実際、僕は救われないだろうね。
 中年になろうとするのに、未だに自分で決めた理に従えないのだから。
 世間から与えられた律すら満足にこなせないのだから。
 賢人から教えられた智すら消化できないのだから。
 肉体から付与された情すら迷わせてしまうのだから。
 
 神様を信じたいのかい? 天国があって欲しいなんて前提なのかい?
 あれだけ言い切っていたじゃないか。あれだけ精神の次元に収縮させたじゃないか。
 僕は救われないだろうね、だって?
 解ったふりをして実際、何にも解っちゃいない。
 知ったふりをして実際、自分では何も確かめちゃいない。
 フォトンもヒマラヤも愛欲もテクニカルタームも研磨技術も環境問題も全て受け売りじゃないか。
 入ってきて消費して通過する。
 
 実際、僕、なんてどこにあるんだい。
 遺伝子の伝達システムの一部で、本能に沈められ、環境に与えられ、代謝を消化していくだけじゃないか。
 何を食べるかだって? どうでもいいことだ。
 誰と結婚するかだって? どうでもいいことだ。
 何時肉体的に死ぬかだって? どうでもいいことなんだよ。
 それは、僕、である、ことに根本的に関わりが無いからなんだよ。
 
 個は地球上で確率的に何千何万が消えていっている。
 眼の見えないかのように、空気が当たり前のようにその個は無くなっていっている。
 僕、である、こともそのようなものなんだよ。

 神様を信じたいのかい? 天国があって欲しいなんて前提なのかい?
 救いがあって欲しいんだね。
 この個が、個になりたい、というその根源に遺伝子伝達システムが、本能が、環境や代謝がある。
 救いがたき消費。
 だからこそ、喜怒哀楽しか浪費できないのだろうか。
 それゆえ、個を益々強めようと、根源を避けようとして、
 金銭権力異性安全食料贅沢権力権威、芸術技術科学出産情感合理を数えている。

 実際、僕は救われないだろうね。
 中年になろうとするのに、未だに自分で決めた理に従えていても。
 世間から与えられた律すら満足にこなせていても。
 賢人から教えられた智すら消化できていても。
 肉体から付与された情すら迷わせてしまっても。


注記:原題は「実際、僕は救われないだろうね」

執筆者:藤崎 道雪

BACK INDEX NEXT

複製、無断転載、二次配布等を禁じます。
All Rights Reserved©ものかき部

My追加