ものかき部

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「 蛙(かえる)のような 」
2004年11月18日(木)



 ぬるい、奴が多くて全く困る。
 民主制の本質が淘汰(とうた)にあることなど思いも寄らず、自由や博愛などという幻想を鎧(よろい)に生きている奴がいる。
 片(かた)や、欲望を肯定し快楽主義一直線しかとれない奴もこれまた、「最大幸福が個人の幸福の総和」などとぬるすぎてかなわん。
 いやいやそうかといえば、世界平和を願う、だとか、神だとか自分で決めた信念だとかに妄執(もうしゅう)する奴らも加わるんだから、ため息が出る。
 坊主のふりした守銭奴や、学歴地位にかこつけた小心者とか、世間並みを装う嫉妬(しっと)馬鹿なんかは見飽きたよ。
 恋だ愛だ家族だ何だってしか言わない方が、ましに見えてくるくらい多すぎる。
 ゲコゲコ、と欲望や自己顕示欲(けんじよく)、妄念(もうねん)を暴れわめくだけしかないんだから。  

 何で全く自分で煮鍋に入っていって行くのかね
 ぬるい鍋だからって気がつかない間におさらばなのに
 ああ、全くぬるい奴が多すぎる。

執筆者:藤崎 道雪

「 銀しゃけのような 」
2004年11月17日(水)



 のったりふにゃふにゃになった頬が伸びているよう
 うすぼやけた視界には、まだまだ暁光(ぎょうこう)すら差し込んでいないよう
 
 ぎゃーぎゃーぴーぴーごーごーと気忙(きぜわ)なサイクルにやってきた贈り物
 とろとろとろ、と敷布団に頬を溶かしていくのも
 べらぁ〜〜〜、と茶飯事を思い出したりするのも
 しゃぷしゃぷしゃぷ、とかき氷アイスをほおばりにいっても
 
 ぽぉーっと幸せ
 早朝の贈り物

執筆者:藤崎 道雪

「 貴方が欲しい 」
2004年11月16日(火)



 君が見苦しくあってくれたら、醜(みにく)くあってくれたなら、ほっと安心してしまうだろう。
 君をそうやって恋し愛していこう。

 君が見易くあってくれたなら、美しくあってくれたなら、ぎゅっと不安になってしまうだろう。
 君をそうやって恋し愛していこう。

 君が醜く美しくあってくれたのなら、沸(わ)き起こる心の感覚に君を溶かしていくだろう。
 貴方をそうやって求め必要としていこう。

 君が下品で崇高であってくれたのなら、瞬発的な心の揺(ゆ)れに君を視(み)ずして解かしていくだろう。
 貴方をそうやって求め必要としていこう。

 貴方は、人間であったか? 
 貴方は、動物ではなくペットであったか? 
 貴方は、美そのものではなく美術品であったか?
 貴方は、此処に居たのだったかあそこに居たのだったか?
 
 本質的には何(いず)れでも如何(いかが)でも。
 人であれペットであれ美そのものであれ何処であれ、替わりは幾らでも利くのだから。
 魂の無限の輪廻のように回って行き、果てる事などなく永劫に、恋いし愛し、求め必要とするのだから。

 貴方が欲しいというのに、出口は3つしかないのだろうか。
 けれど、貴方だけが欲しい。

執筆者:藤崎 道雪 (校正H16.11.30)

「 ラブレター�掘 �
2004年11月15日(月)



 彼は最後の瞬間まで相手を洗脳するような人だった。
 演技をして私を愛欲に向かわせるように、自らは道徳だか礼儀だかを守るように進む人だった。

 彼は芸能人に似ていなかったけれど永遠の美男子像にはすっぽりはまっていた。
 紅々として鈍く光るような肉厚が、大きくてごつごつとした腕を脱がせると生暖かい牛乳風呂が広がっていた。

 彼は夢を語るのが男の特性なんだと言い聞かせていた。
 強欲のお陰で嫉妬も賞賛もしなかったけれど、自らの論理の結果で夢を打ち壊すしかない絶望を隠していた。

 彼はもう30年前に、35歳の若さで亡くなってしまった。
 こうして今でも思い出しては、折り曲げた封筒を高層ビルから飛ばしている。

執筆者:藤崎 道雪

「 粛々と轟々の 」
2004年11月04日(木)



 粛々と轟々のじっと
 じっと何も観ていない
 
 何も観ていない、と対象なく観ているという盲目
 盲目との対称が、弁証法的に止揚へと向かい入れてくれるような逃走経路を用意する
 錯覚の小道は安住の相対へと続いているのだから

 金魚が眼を閉じてパクパクな口で泳いでいる。
 GODが、god、サタン、閻魔が、大木ような人差し指の鋭い爪先で、この眼球を優しく抉り出してくれるなら
 金魚は他の五感を鋭くしてこの世に適応していくのだろう

 対象なき対称不可能な観滞
 「神は死んだ。神は死んだ。君らはそれに耐えられるのか」という神への弁証法的極端
 合理への批判と依存というヘーゲル、否定の否定という方法への龍樹、肉体の所作と不完全な無限性へと仏を逆極端化した道元、「怪力乱神を語らず」と眼を自ら抉り取った孔子、神や鬼を実効的に扱って眼を最大限に明けた墨子、「悪の問題」を抱えた字義主義な非正統派、超常性と悪を切り離さなかったアニミズム
 幾つもの対象ある対称可能な観念の款待

 GODが欲しい 創造者が、唯一者が、悪魔が、超常性が、逸脱が、完全が、godでも一柱でも良いのだ
 けれど、彼らは決して私をもう盲信させてくれないのだ
 けだし、彼が、私は彼が

 粛々と轟々のじっと
 じっと何も観ていない


注記:「観滞(かんてい、かんたい) 造語。文意のまま」 「款待(かんたい) 心のこもったもてなし。款の左側は崇を簡略化した字で、呪能の意味を持つので「歓待」ではなく使用。神などを求める人の性(さが)を呪能の意味で隠喩する。」

執筆者:藤崎 道雪

「 粛々と轟々は 」
2004年11月03日(水)



 我々は大きな華を着けるだろう。
 人々の歓待の中で、表彰の中で、生死や区切りの儀式の中で。
 バルキースのように、伝承による変更や、墓所の変移や、語彙の変遷がある華をつけるだろう。
 そして絶世の美女と、簒奪(さんだつ)者と言われるかもしれない。
 
 我々は大きな華を着けるだろう。
 愛しい家族や恋人や友人や師弟は側にいるだろうか。
 権力や権威や思想や名誉や金銭は味方してくれているだろうか。
 食物や娼婦や寝床や住居や音楽や治安は備わっているのだろうか。
 知識や学識は? 判断力や実行力などは? 自己肯定と否定の調停者は?
 同時にあるのだろうか。

 我々は大きな華を着けるだろう。
 それが目的なのだから。
 それが目的なのだから。
 その周りの幾つもが目的と思っているのだから。

 静寂な闇夜に揺れ動くネオンが幾つも遠い。
 30年付き合った人差し指の付け根に青筋が浮いている。
 眠れば明日は始まり、この道を行けば我も大きな華を着けるだろう。
 
 じっと。
 じっと何も観ていない。
 消え行くような煌きのオレンジネオンは、我々の大きな華のようだ。
 あそこに行きたいのだろうか、深紅の闇夜に犯され逝くそれらの場所に。
 発電所と電線とメンテナンスシステムと、そうした人工によって支えられなくなれば真紅に喰らい尽くされるネオンサイン。
 
 行きたい、という渇望が、漆黒の中から真紅を抜き出す智識によって、天空の星と観分ける判断によって、至高体験が終わった後の無感情によって。
 じっと。
 じっと何も観ていない。

追記:「バルキース(ビルキース):アラブの伝承上の女王。南アラビアの金銀宝石で出来たサバア王国の王座を、非道のおじから奪い取った。サバアは、シェバ、シバとも言い聖書を介し欧州には、「シバの女王」として有名になる。現在イエメンに墓所があるという説もある。NHKアラビア語入門参照
  :原題は「 我々は大きな華を着けるだろう 」でした。内容的に連なるので改題し掲載です。

執筆者:藤崎 道雪

「 粛々と轟々と 」
2004年11月02日(火)



 ああ、俺は記憶力が良いし賢いよ。
 ああ、俺は体力はあるしスポーツが出来るよ。
 ああその通り、瞬時に長所と短所と価値を見極めるよ。
 
 だからって何だってんだ。だからこの地上の人間と比較してどうしよってんだ。そんなの自らの虚栄を満足させるだけじゃないか。
 だからって何だってんだ。だからあの天上の星達と比較してどうしよってんだ。そんなの自らの生の儚さを自覚するだけじゃないか。

 ふいっと一瞬で消え去るこの人類。ふっと一劫(いちごう)で流れるようなこの生。
 私は生きている。
 人類が巨大な竜のように勝手に蠢(うごめ)き、私には如何ともし難い。
 同時に4つある。
 私の気持ちは肉体の効用で左右され過ぎる、決心や決意や約束は破らないにしても。
 いくら禁欲的に送っても、5つ同時にある。
 
 過去より多くの他者より人類生存が、私を産み出したのは解っているのだろう。粛々と突き進めよ。
 くだらなく迷い無く不幸なく、死という大海に流れていけるのだから。
 過去より多くの他者より人類生存が、私を産み出したのは解っているのだろう。轟々と突き進めよ。
 聖性に至高に加速度に、個人や「私」という煌きが沸き出でるのだから。

 何と細々と、何と僅々(きんきん)と、何と性に動かされ、何と理情聖しかない。
 私。
 「私」。
 立ち止まる。
 星達をみる。
 私は其処にはいない。其処にはいけない。其処には届かない。其処には。

執筆者:藤崎 道雪

「 粛々と轟々に 」
2004年11月01日(月)



 そこか そこじゃないのか
 そこか そこじゃないのか
 
 何度も繰り返される研究と探索
 何処までも積み重ならない感情の総体
 何時になっても結論が出ない理性の相対
 どのようにでも変幻自在にすり抜けていく聖性の草体

 どんなに成ってもいつに為(な)ってもどのように生まれても捉まえられない。
 私の理解する智慧、人の決定的性、地上の原子による構成へと心を逸らせれば楽にはなる。
 
 孤独とは自由を意味する。束縛とは愛と生活を意味する。
 ああ、そんな何でもない。
 ああ、何でもないんだよ。

追記:原題は「 ノンシュガー 」。内容が「粛々と轟々と」の前段階の内容だったので訂正。「粛々と轟々」は、世俗の冷淡と喧騒の文意で使用。
  :「粛々(しゅくしゅく)(1)しずかなさま。ひっそりとしているさま。(2)おごそかなさま。」、「轟々(ごうごう)やかましいさま。さわがしいさま。」、「草体(そうたい)草書の字体。草書体。文中では古事記の「人間=壱草」に着目して、人間が揺(ゆ)れてあやふやでなびくだけのような存在者としての意味も考慮して使用。前文からのつながりからも同様の意味に。」

執筆者:藤崎 道雪

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