ものかき部

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「 花見�掘 �
2004年04月15日(木)



 ギシギシと揺れる車の中で、白い吐息越しにぼやける天上を見ていた。
 明日は仕事で、いつも通りに起きなければならない、だとか、職場の人間関係でチクリと小さな胸が疼(うず)いたり、外を降る雪のような桜たちに思いが浮かんでは、どうでも良いような感じで、情欲に消えていった。

 実際、妊娠すればいいんだ。
 こんな馬鹿でも愛せるようになるだろうし、子供は可愛がって育てるだろうし、何だかつまらなくなるだろうし、今は化粧の出来を一々気にしたり、お金や両親や法律なんかが回りによってきて面倒くさいし。
 実際妊娠すれば、何んか結婚も出来るだろうし、昔の男も忘れられるって雑誌に書いてあったし、友人が言ってたし、そう思うし。
 そんな私を笑った男は、春が来て、サラリと散っていってしまった。

 終わったら、多分、彼を忘れて目の前の男を愛せるようになるだろうな。
 6月には毛虫が出て、新芽が出てくる桜の大木のように。
 私の体の中は赤い血潮よりも薄いピンク色なのだろうな。

 

執筆者:藤崎 道雪 (校正H18.2.10) 

「 花見�供 �
2004年04月02日(金)



 天井高い体育館から降り注ぐ蛍光灯の外は真っ暗に見えた。
自動ドアに近づいて右側にある受付のジャージ姿に「どうも〜」と声を掛けると、目は闇に隠れて遊ぶ自転車後部の銀色のステンレスに向かっていた。
緑の人工マットレスを踏みしめて右へと曲がろうとすると、美術館で1点だけライトアップされている作品のように視線の先には、真っ暗な石垣上、穏やかな純白の桜が現れた。
ステンレスのギシギシとした鉱物感はなく、ライトの人工感を吸収して自分に必要なものだけを手弱女に逃してる姿に息をのんだ。
何故、かくも野暮ったい桜が漆黒と人工物を受けて純白にいられるのだろうか。権力と物質主義の社会の中で愛と情けだけにしか関心を持たないで居るのだろうか、と息をついだ。

 おんぼろの自転車に乗り漆黒と人工灯の中へと漕ぎ出した。
車の殆ど通らない住宅街の坂をゆるやかに下っていくと、オレンジの人工灯を受けて桜は今生の存在者に見えなかった。まるで精気が感じられず悪魔のような生々しさもなく、ただ形が見えているだけに過ぎない視覚に深く驚き、呼吸が停止しそうだった。
自転車が自動的に数百メートル流れていくと、参百坪は超える家の枝垂桜の傘が4メートルにもなろうと枝先が緩やかな春の風と戯れていた。

 たった1週間の桜は粗野に咲き乱れる。散ってしまった後の桜になど誰も見向きもしされないから、まるで木々の半分が桜のようにけたたましい。
融通がきかないゴツゴツとして硬い樹の幹は傲慢さを感じさせる。人々は樹全体を観ずに花びらの可憐さだけを囃し立て、喜び、所有しようとし、時に驚嘆し、狂う。人工物で化粧をし、穢れもない花嫁の純白のようにこの世でないようなオレンジのようにに見苦しくも変化する。
20代30代という短い春に賢明に咲こうとする桜の心構えと、それに翻弄されて狂喜する春の嵐。

 春暖から出された僻みにて、あと何度桜を散らせるだろうか、あと何度桜が散るのをみられるのか、などと思いながら見慣れた薄汚れた洗面台で喉をうがいした。


注記:「蛍光灯(けいこうとう)」、「闇(やみ)」、「踏(ふ)む」、「手弱女たおやめ)」、「野暮(やぼ)」、「漆黒(しっこく)」、「殆(ほとん)ど」、「枝垂桜(しだれざくら)」、「粗野(そや)」、「融通(ゆうずう)」、「硬(かた)い」。「傲慢(ごうがん)」、「可憐(かれん)」、「囃(はや)す」、「穢(けが)れる」、「驚嘆(きょうたん)」、「狂(くる)う」、「化粧(けしょう)」、「翻弄(ほんろう)」、「狂気(きょうき)」、「春暖(しゅんだん)」、「僻(ひが)み」、「喉(のど)」
 

執筆者:藤崎 道雪 (校正平成18年2月10日)

「 花見 」
2004年04月01日(木)



「仕方ないのよ。だって価値観が違うんだから」と彼女は別れ際に囁(ささや)いた。
 自分を納得させるように彼女の視線は、東京ウォーカーで特集されるお洒落なカフェの中でも、彼女のすみれ色のスカートしか存在しないように狭かった。

 僕の趣味に対するお金の使い方が尋常じゃないと嘆いて、「月に2万にして」、と妻のように責め立てていたのが数ヶ月前。「まだ結婚していないのだから、自分で稼いでいるのだから」という答えに、「お金の使い方だけじゃないのよ。私を思いやってくれるかどうかなのよ」とため息が入ってきたのが2ヶ月前、晴天の桜散る4月だった。「じゃあ2万にするよ」と直ぐ諦めたけれど、「貯金を月に10万しましょう。年収500万なんだから」と迫ってきたのが、3週間前だった。
 その頃から朋美は、マリッジブルーのような、都会の人特有の不安と疲労からくる苛立(いらだ)ちから、30に近づく女性の気狂いが徐々に出てきたのかもしれない。あるいは叱(しか)って欲しかったのかと思ったけれど、毎回のデートは口論に包まれた。まるで彼女の両親の生活をなぞるかのように。
 それに耐えられなくなった僕を見て彼女はさらに挑発してきた。それを「価値観の違い」という一言で片付けようとするので、僕はそこに苛立ちを覚えた。
 2人の苛立ちは、2人の家庭環境の違いを決定的に浮き出させて、2人を2人にした。

 彼女は彼女の植え付けられた家庭を再現するから、私は彼女が益々好きになった。形式を形骸化させる本能こそ人間に備わった最も根本の1つだから、彼女は最も人間らしい1人だと感じたからだ。私は人間だから人間が好きになる。人間だから人間味溢(あふ)れる彼女を好きになった。少女が母親になるのに精神的な自立が必要ないのだから、彼女は人間らしくて雌っぽさも満開だ。だから、彼女を人として、女性として大変好きになった。

 僕は別に庶民だ。年収も2億3億を超えないし、総資産だって何百億もない。中流気分のただの下層階級に過ぎない。向上心だって無いし夢に向かって努力なんてしていない。与えられた課題を学校と同じくこなすことに文句を言いながら働いている。節約だってしない。車も買うし、酒も飲むし、雑誌も、ちょっとした日用品や食事も節制しない。だから、全く社会の中の普通の数で言えば大多数の人間に過ぎない。
 だから、雄の代表のようなものだ。
 だから、彼女が僕は益々好きになった。
 だから、何だかんだ言って結婚して、適当に不倫もするかもしれないし、子供も作るんじゃないかな。教育問題で苦労するだろうし、普通に仏教で葬式を出してもらうだろう。
 だから、野暮な桜の下で花見をしてドンチャン騒ぎが好きなんだ。
 また、来年も朋美と喧嘩しながらでも、花見に行きたいな。


追記:「花」は古代から梅を指し、桜は粗野とされた。

執筆者:藤崎 道雪 

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