私(わたくし)には、どうしようもない癖がございます。
それは恋人に対する気持ちです。爽(さわ)やかな人が好きなのですが、お付き合いしだしますと気持ちが冷めてしまうのです。最初は春の小風のような笑顔をなさるのですが、その内にどうしてもいやらしく感じてしまうのです。
何回かお会いした後に体を任せますと、男の人がいい加減になった気がします。あれほど「ああ、この人だわ」と思っていましたのに、なんだかやっぱり、この人も只の犬コロなのだ、と感じてしまいます。彼の気持ちが肉体だけになってしまうのか、等閑(なおざり)になったのか、私に魅力がないのかは分りませんが。
それで気持ちが冷めてしまいます。「ああ、犬コロか」と思って。私は「男の人全体のようなもの」を憎んでいるのかもしれません。そんなものに身を任せるのなら淋しい1人の方がいいと思ってしまうのです。
たまに友達に「多情ね」や、酷い時には「娼婦」と呼ばれることもあります。それは体を任せた人の数が多いからでしょう。それでも、私は「男」というものを嫌っていますから、なんだか可笑しくなります。1人で部屋に戻って思いだし、カラカラと微笑んだりします。
執筆者:藤崎 道雪
パリッ
チョコ塗りクッキーの袋を開ける音がした。
バリバリ
2,3個口に頬張る音が続いた。
音に引かれて視線を上げると、後頭から七色の線が一点から放射されていた。
元旦の日も暮れ頃、買い物の帰りに川縁の土手に自転車を止めると、すぐ、微(かす)かな風が頬を撫でる。
さほど広くない中洲(なかす)のススキの先に見える藍色(あいいろ)と赤色のウィンドブレーカーが
川の流れる方向へと進んでいく。
彼らは親指の爪よりも小さくて、父親と少女というのが髪の毛でやっと、判る。
藍色の周りを、赤色がピョンピョンと飛び跳ね、動き回っている。
微笑ましい光景だと人はいうのかもしれない。
さらに視界が引っ張られると、よく晴れた洗濯日和を象徴するような静かで橙色がかった青空が広がっていた。
昨夜の大雨など嘘のように、心を伸びやかにしようとする。
視線を戻すと、手を繋いだのか藍色の後ろに赤がチョロチョロと隠れては見え、見えては隠れる。
「いや、・・・」
「いや・・・」という声が聞えた。
彼らは美しい光景だけれど、お互いの気持ちが解っているのだろうか。
いや、解ってはいまい。
そして私も彼らの気持ちは解らない。
突然、頭に浮かんだ声で、不安に掻(か)き立てられた。
他人の気持ちなど解りはしないのだ。
ならば、太陽に照らされて美しい風景はどうだろう。
あのキラキラと照らされている川面の、その下は何があるのか。
分りはしない・・・単純な答えだけれど重く感じた。
精神的でも物理的なものでも結局、よく分りはしないのだろう。
分るのは、私が石を投げれば川面に波紋が広がる、という因果関係でしかない。
人が何かをすれば何かが生じるという因果関係だけが確かなものなのだ。
結果は幸せでも不幸せでも善くも悪くもうみ出されてしまう。
バリバリバリ
また、チョコ塗りクッキーを口に放り込み、クレープジュースを、チューと吸い込んだ。
粉々になったクッキーはジュースと一緒に流れず、歯と歯の間に留まっていたりした。
仕方が無いので、舌で丁寧に歯と歯茎(はぐき)をペロペロと舐(な)め取ったりした。
美しい風景は、精神的にも物理的にも私には理解出来ない。
美しい風景を見て美しいと感じるしか、因果関係でしか関わっていけないのだ。
もう、紺と赤は大分右へと流れてしまった。
私の赤色も因果関係によって逝ってしまった。
噛(か)み癖(ぐせ)のある小指の爪よりも小さくなってしまった。
だから、こんなことを考えてしまったのだろう。
私の赤色も、チョコ塗りが好きだった人も、もういない。
もし、2歳の息子が粉々になったクッキーも食べられるようになって、チョコ塗りを好きになったのなら、
また買うことにしよう。
そうしたら、もう一度だけ、美しい風景を見にこよう、と自転車を蹴(け)り出した。
執筆者:藤崎 道雪