きよこの日記

2003年03月31日(月) ほんとうにさよなら?

私の大好きなアメリカのドラマ、『アリー・マイ・ラブ』
テレビはほとんど見ないけれど、この番組だけは、欠かさず見ています。
一週間の私の楽しみです。

30少し越えた、キュートで、頭がいいけど、ちょっと妄想癖があって、男運が悪い弁護士のアリーと、彼女が勤める弁護士事務所の個性的な弁護士たちの織り成す物語は、奇想天外、でも、ときどきほろりとしたり、超、いいんですよ。

だけど、この第5シリーズでこのドラマ、終わっちゃうんですって。
そして、今日はその最終回。

そんなあ…。

だって、アリーは相変わらず、この人は!という人に出会えてないし、突然、ニューヨークに引っ越すなんて言い出すし。
終わってる場合じゃないじゃん!?
みたいな。

さては、ニューヨーク編が始まったりして。
あ―それだったら、いいのに。



2003年03月30日(日) 3月の月の異名は師走だっけ?〜お彼岸編〜

おじいちゃんと、おばあちゃんを連れて、いざ、兵庫県明石市へ。
お年寄りにとって、公共の交通機関っていうのはやっぱりちょっと不便にできている。
私たちならば、なんということもない、電車から電車への乗り換えも、雑踏と階段の上り下りで、結構な障害に感じるものだ。
なので、豊橋駅での乗り換え一つで、西明石駅まで行けちゃうルートを特別に探し出しました。
おかげで、あっという間に到着です。

そこでお母さんと合流して、ちょっと観光。
明石城公園を散歩しました。
小春日和で、公園にはカップルや家族連れがたくさんいて、何ともいい気分。
私が幼稚園のときとか、何度か遠足でいたことがある、とお母さんに教えられて、不思議な気分。
当たり前だけど、まったく覚えていないなあ。

翌30日。
朝からみんなで父のお墓参りに行きました。
この旅の第一目的です。
お父さん、おじいちゃんとおばあちゃんが、わざわざ会いに来てくれてよかったね。
4月から、教師をはじめるけど、また、遠くから見守っていてね。

おじいちゃんとおばあちゃんは、まだ1泊するということだったので、私はお昼には新幹線に乗り込み帰途につきました。



2003年03月28日(金) 3月の月の異名は師走だっけ?〜引越し編〜

この数年でちょっと引越しには慣れっこになってはいたけれど、それでも、やっぱり難儀なものです。引越しめ…。
しかも、今回はかなりの強行軍。
昨日一日で部屋の荷造りをしてしまおうというのですから。
もう、髪振り乱して、なりふりかまっちゃいられません。
とにかくダンボール箱に詰め込んで、部屋から送り出しちゃって、後はまた、考えよう!ぐらいの勢いで。
それでも、やっぱり、一日はきつかった。

学校関係者のお引越しは、先生方がわざわざお手伝いに来てくださる。
私の引越しのために、前の学校と、今度行く学校の両方からお手伝いが来てくださる、なんていうのだから、恐縮しきり。
前の学校は今住んでいる部屋から荷物を出す手伝いに、午前10時40分に来てくださるという。
「部屋に来ていただいた瞬間に、まだ、荷造りが終わっていない、なんて、そんな醜態は断じて許されないわよ」
なんとか、ぎりぎりセーフで荷造り終了。
しかし、掃除は手付かずのまま。
「汚くしていてすいませーん」

11時10分 荷出し終了。

12時50分 新しい部屋に到着。
新任校の先生方はすでに、来ていらっしゃる…。
「遅くなりましてすみません。お世話になります!」
1時10分 荷の運び込み終了。

それから、またもとの部屋に戻り、最後のお掃除が終了したのが3時。
不動産やさんに部屋の引き渡しをしたのが3時30分。
そして、4時30分には電車に飛び乗って、おじいちゃんとおばあちゃんの家に到着したのは、8時でした。
明日から、父の墓参りに行くのです。
おじいちゃんとおばあちゃんは、公共の交通機関に慣れていないから、というので、私が引率です。
ふう、マックス忙しい日は何とか、つつがなく終わりました。



2003年03月26日(水) 3月の月の異名は師走だっけ?〜お仕事編〜

本日は引き継ぎ日なり。

私の後任で事務に入る人なのですが、大学卒業後塾講師を1年していたという人で、やっぱり事務の経験がないので、私ができるだけのことを伝えておかないと、きっと、4月の学校はとんでもないことになってしまう…。

朝の9時に開始して、夕方5時までみっちりとレクチャー。
それでも、最後はあれもこれも伝えられなかったけど、でも、しっかりした感じの人なので、なんとか応用してくれるんじゃないかな、と、期待して。

でも、4月からのことが心配なので、私にできることを今のうちにできるだけやっておこうと思ったら、仕事が次から次からとめどなくあらわれてきて、たいへんたいへん。
ベテラン事務の先生も、どかどか残業するという4月。
想像するだにたいへんそう…。
連日の送別会ラッシュの間を縫って、ひたすらに、残務整理と、次年度準備と、しゃかりきに働いてきたけれど、そろそろタイムリミットが近づいてきました。
残すは31日の1日だけ。
あと、どれくらい仕事をしていけるかなあ?



2003年03月25日(火) 3月の月の異名は師走だっけ?〜酒宴編〜

惜しんでも惜しみきれないのが、惜別の念というものです。
あっさりと、半年間の事務職員っていう割りきりの中ではじめた、この仕事も、終わりが近くなってくると、とてもさみしい…。
ただ、今までの別れと違うのは生徒との別れの名残惜しさではなくって、先生方との別れの辛さだっていうこと。

結局、総勢たった100人の児童・生徒の顔と名前も一致しなかったよ。

その代わり先生方とはとても仲良くしていただいた。
個性の強烈な先生方と、山の学校での楽しい思い出はきっと忘れられないだろうなあ。

そんなわけで、お酒を片手に別れを惜しむのです。
3月は送別会ラッシュ。
温泉旅館、宿泊付き宴会です。

まず、3月22日。全体の送別会。in白骨温泉。
すてき〜。
夢みたいな豪華旅館。ゆったりとしたつくりで、そこら中に美術品が飾ってあって。
なんだか、みやび〜な感じ。
もともと私なんて、豪華なものとは縁がない人生を送っているから、こんな旅館、二度ともう来れないかも。
…あ、せめて新婚旅行でこれたらいいな〜。
みたいな、夢みたいなところでした。
温泉も、最高!
白骨温泉と言えば、白く濁ったお湯です。
そしてもちろん、露天風呂!うーん、まったり、とろける〜。

送別会では転出職員一人に残留職員一人からその人にまつわる思い出話を織り交ぜたあいさつがありました。
私には、放課後果敢に卓球の勝負を挑みつづけてきたA先生。
この先生は体育科で、とにかく勝負にこだわる、おもしろいくらいまっすぐな先生。
卓球台をはさんでも、練習なしに「試合しよ!」って感じで、後は黙々とひたすらに試合し続けるという。
だから、その先生が、そんなにたくさん話すのを聞いたのも初めてで、なんか、うれしかったです。

(3月23日はいつもお世話になっている卓球クラブの創立20周年パーティーでした)

3月24日は小学校の送別会。in諏訪湖
24日は午後まで勤務で、みんなで3台の車に乗りあわせて諏訪へGO!でした。
なんとなく、どの車が一番早く到着するか、みたいな感じになって、無線で
「ただいま黄色いパチンコ屋を通過、どうぞ」
とか言いながら、楽しい道中でした。
まるで遠足みたいだねって言って。

ホテルは諏訪湖を一望できる、紅屋さんでした。お風呂が最上階にあって、お風呂につかりながら諏訪湖が一望にできて、これまたサイコー。
お盆の大花火大会の日は、何年も前から予約が入っていて、絶対に部屋を取れないんですって。すごーい。
二次会はカラオケへ。
先生って、やっぱり、こういうの好きだねー。
予約が9曲限界までいつも入っていて、それも、夜中の1時をまわっても、その状態。
切りがないから、「しゅうりょー!」って教務主任の先生が宣言してようやくお開きになりました。

そして、翌日、25日は中学校の送別会。in浅間温泉。
おっと、地元じゃん。ということで、これは私は宿泊なし。
でも、最後まで付き合いますよ。と、夜の街へ。
中学校の先生方はパチンコの好きな方ばかりなので、例年、2次会の前に3000円チャレンジというものをするそうです。
私も人生で初めてパチンコ!
ビギナーズラックって言うしー、なんて、期待しているあたりがあさましくって、そんな人に当たりは来ませんでした。
結局、誰ももうけることができず、すごすご二次会へ。

そろそろ私も、連日連夜のお酒がたたって、この日は調子がふるわず、居眠りモードでした。



2003年03月24日(月) 私の復讐

私を評して「竹を割ったような性格だね」と言う人がいれば「きよこだけは敵にしたくない」と言う人もいる。
自分から見ると、後者のほうがあたっていると思う今日このごろです。

私を怒らせると、恐いですよー。
ずーっと怒っています。根に持っています。納得しない限り。
でもまあ、私もそんなにいつもいつも人を恨んだりするほど悪人じゃないんですよ。
私を怒らせるなんて、ごくまれな人です。

この一年間で私を最も怒らせた人。それは、私の事務の前任者、T先生です。
でも、T先生が産休・育休をとることになって私が補充に言ったので、T先生なくしては、楽しい村の学校ライフもなかったから、その点ではまったく文句のいいようもありません。
でもねえ…。
やり方が気に入らなかった。

私と同い年だけど、可愛くて、ものごし柔らかでおっとりした感じで、
「すいませ〜ん。ごめんね〜」
って第一印象はよかった。
引継ぎに行ったら
「うーん、私この学校で事務らしいことぜんぜんしてないなあ〜。
適当にゆっくりやればいいよ〜」
なんて言って、二時間もやらずに帰っていいっていわれた。
どんな気楽な仕事かと思って、始めてみたら…。
なによ。超専門的じゃないの。
学校の予算なんて全部パソコン上で操作するし、人事・服務・給与、どれをとっても細かい形式が決まっている。
わかることとわからないことを比で表すと、1:99ぐらいだった。

わからないから、T先生に聞こうと思って電話をする。
出ない、出ない。
まる2日間つながらなかった。
ずっと携帯は「電波の届かないところか電源が入っていないためかかりません…」のアナウンスが流れていた。
それでも、あきらめきれずに、掛け続けたら、ある瞬間、話し中の呼び出し音に、
「今だ!」
と思って、1分後ぐらいにまたかけたら、また「電波の届かないところか…」。

校長先生に「以前出した文書と同じ物を出してくれ」と、以前の見本を見せてもらう。
「パソコンの中にきっとファイルがあるはずだから」
って言うけれど、私が来たときには事務室のパソコンの中味は空っぽだった。

もう、悪意があるとしか考えられない。
そして、私は決めた。もうT先生になんて頼るまい。T先生に頼らずに事務の仕事をマスターしてやる!!!」と。

今日、T先生から電話があった。
「年度末の仕事大変でしょう?ごめんね〜。明日ね、学校に行こうと思っているの。もし私に何か手伝えることがあったら…」
「わあ!ありがとうございます!すごく助かりますー!」
って、言ったけどさ。
でも、ずいぶん勝手だと思いません?
子ども産んで落ち着いて、古巣が懐かしくなって遊びに来て、ついでにちょっと人助けでもしてやるか、なんて。

助けてもらわなくったって、私、もう、何でもできるもん。
手伝ってもらわうようなことないもん。
今来れるなら、なんで、産休に入った瞬間に来なかったの?
電話一本出られなかったの?

これだけ私を怒らせた人は、珍しい。
あんまりにも腹が立って、私は復讐を思い付いてしまった。
校長や教頭に言いつける?
無言電話をかける?

ノンノン。
そんな、子どもじゃあるまいし。
もっと陰険で、もっとT先生にダメージの大きな復讐です。

T先生は16年度から復帰します。
私とT先生の間にはもう一人臨時の先生が事務をやります。
私は中継ぎの先生のために、せっせと引継ぎ書を作成し、24章にもなる大作が完成しました。
そして、1日半かけてみっちりと引き継ぎをしました。

中継ぎ先生が任を終え、T先生が復帰する時、T先生はこの引継ぎ書を目にすることでしょう。
そして、私がこの半年で行った学校事務の改革に戸惑うことでしょう。
これが私の復讐です。
学校の誰の迷惑にもならず、ただT先生のプライドだけを攻撃する復讐です。

やっぱり、私って自分でも絶対、敵にしたくない人間です。
こんな生徒なんて、絶対いやだしね。



2003年03月23日(日) うちづらとそとづら

大人になると必要にせまられて、たくさんの顔を持つようになるんだなあ。

私の職員室での顔、子どもと話す時の顔、友達といる時の顔、まったく違う顔をしている。
無意識のうちに。
きっと、それは誰でもそうなんだと思う。

あの人が職場の先輩と話すのを見て、私の知らない顔を見た気がした。

知り合って7年で初めて目にする顔だった。
泰然自若と思っていたあの人も、愛想笑いしたりするんだ…。
新鮮なオドロキです。

先輩の彼女には、そんな風にして話題をふったりするんだ…。

私と二人でいる時、あの人は必要以上のことを話さない。
会話がとぎれても、ほったらかしさ。
ある時、一体どれくらいの間、無言状態が続いたら、話題をふってきてくれるか試したことがあった。
……沈黙……15分間…
結局、折れたのは私だった。
あの人は沈黙が続いていたことすら気づいてなかった。

それを話すと、男友達など、
「いいじゃん、いまさら気をつかうようなよそよそしい二人じゃないってことでしょ」
っていうのですが、でも、
さみしいよなあ。

だって、私はあの人と話すことが何よりも大切でかけがえのないことなんだもん。

出会ったばかりの頃ならば、今より気をつかって話しをふってくれていた。
話しに乗ってくれていた。
他人行儀であったとしても、あのころのように、大切に扱ってほしいなあ。

出会ったばかりの人と、食事に行って、ちやほやされて、ぼんやりと私が思ったことでした。



2003年03月22日(土) ふーん、別れ話。ふーん。

人と話すということは、独り言ではありえない。
相手と自分の関係、信頼の度合い、場所、状況、そういうものが積み重なり、混ざり合って会話を綾なしていくように私は感じている。
だから、もし私が校長先生に向かって、
「おなかすいたー!!」
なんて言ったら気でもふれたか、と思われるだろうし、友達とおいしいディナーのテーブルについているときにキエルケゴールについて、私が有らん限りの蘊蓄を披瀝することは、彼女に今後の私との友達付き合いを見詰め直させてもまったく彼女を責められないだろう。

でもさあ、こういう話題の選び方の判断の境界線って人によって随分違うから困ってしまう。
この前、ユカコちゃんの誕生日をユカコちゃんの彼と3人で祝った時、彼がずっと
「物理っていうのはあ、ユークリッド系とそうでないものの二つに分けて考えられるんっすよね」
って、物理の話しばっかりしてしまって、????でした。
彼が大学院で物理を専攻していて、物理に並々ならぬ熱意を抱いているのは十分にわかっているつもりだよ。
でも、ユカコちゃんと私みたいな文系一直線の二人に物理のことを理解させよったって、一朝一夕にはできないことでっせ。

本題に入りましょう。
今日の夜、あの人といつものように卓球をして、晩御飯を食べて、家に送ってもらった時、あの人が不意に言った。

「彼女と付き合って4年で初めて別れ話が出た」

この言葉はどういう意図によって発せられたのか?

わっかんないよー。

私を困らせたいんだろうか。
喜ばせたり、悩ませたりして楽しみたいのかな?

少しずつでも、あきらめなきゃね、と思いながらも、別れ話、なんて聞いて浮き足立っちゃう私がいる。
そして、少し利口な私は
「ぬか喜びしたら、後で期待が外れたときつらいから、当てにしたりなんかしちゃ駄目!!!」
って思ってる。



2003年03月11日(火) うわさネットワーク

職員室のこの時期の最大の関心事は人事です。
どの先生がどの学校に異動になるか、それが一番知りたいこと。
なかには、気になるあまり、ほかの学校にまで、知り合いを頼って電話して情報を集めようと腐心するような先生もいるというからオドロキです。

そんなの、慌てなくても一週間もすれば公表されると言うのにねー。愚かなこと。

学校の中で異動人事の情報を握っているのは、校長先生。
だけど、そこに直接聞くわけにも行かないから、異動事務をしている私に矛先が向きます。
「○○先生って、今度出るの?」
「今度、きよこ先生の後に来る人って若い人?」
答えに窮してしまいます。
YES、NOで答えるということは、情報を教えているも同然なんですもの。

人事は校長先生から公表されるまでは誰も知らない、というのが大原則。
だけど、いつのまにかどこからか情報は漏れるもののようです。
当事者としては、やっぱりまだ年度の仕事の直中にいる時に、次の年度の噂をされるのはいい気持ちがしないものです。

私の異動に関しては、全然誰に知られようとも別に気になりませんでした。
赴任先当てクイズを催してたくらいですから。
でも、赴任先の校長先生に「学校関係者には言わないようにしてください」って口止めされたので、言わないでいました。
でも、ある日、
「きよこ先生、T中学校に決まったんですってね!」
って、突然ある先生に言われました。
ピンときました。

「きよこ先生、どこに決まったの?」
うーん。口止めされてるんですよー。まだ言うなって。
「そっかー。じゃあ、市町村なら教えてくれる?」
M市です。
「えー。M市のどのあたり?…じゃあ、T中か、K中かな」
ええええ。T中です。
という会話をした先生がいたのです。
つい数日前のことでした。
その先生から、職員室にうわさがまわっていたのです。
うわさって恐ろしいなって思いました。
そして、とても嫌な気分でした。
私の口から知らせるぶんには何でもないことであっても、人づてに知られていると思うと、すごく嫌な気分でした。
絶対に知られたくないことならなおさらに、すごく嫌な気がすることでしょう。

私は決めました。
絶対に人事に関することを私の口からは漏らすまい、と。
「○○先生って、今年出るの?」
さあー。私のほうにはまだ連絡がなくって知らないんですよー。

知らぬ存ぜぬの一点張りです。



2003年03月10日(月) 車は動いてこそ

またしても、遅刻ぎりぎり滑り込みセーフでのご登校。
やれやれ、と結果オーライにしておいたんだけど…それどころじゃなくなってしまった。

6時近くなって、さて、帰りましょうか、と思って、車のエンジンをかけに駐車場まで行ったものの、エンジンがかからない。
スロットルをひねっても、うんともすんとも。
なんともかんとも、びくともしないのでございます。

こういうとき、私はもう、お手上げ状態。

「だって、わかんないんだもーん。もう、無理!」って感じ。
私にできることはただ一つ。

がら、っと職員室のドアを開けて
「エンジンがかからなくって、帰れまセーン。
誰かタスケテー“( >_<)”」
って、叫ぶこと。

職員室には幸いまだたくさんの先生が残っていらして、
「またきよこ先生か…しょうがないなあ」
という感じで、手を貸してくれました。
いつものことながら、トラブルメーカーですみませぬ…。

こういう時、先生って、本当に頼りになるなあ、としみじみ感じます。
誰、というわけではなくて、総じて先生というものは、頼りになる。
人の面倒を見たり、頼られることに慣れているということもあるのだろうけど、でも、嫌な顔一つせず、むしろ楽しんで、世話をしてくださって、本当にすごいなあ。とおもいます。

私は人に迷惑をかけたりすることがすごく苦手なので、人にお願いしたり、頼ったり、ということをなるべくしたくないたちなのですが、でも、先生にだと、つい、頼りたくなってしまう。
当たり前みたいな顔で、むしろ楽しそうに、あーだこーだ対策を考えてくれる先生方を見ると、頼り甲斐、というものを感じます。
こんなに気兼ねなく頼っていたら、いつか愛想つかされちゃうかな…。

結局、どうやら朝あわてていて、ヘッドライトをつけっぱなしにしてしまってバッテリーが上がってしまったのだろう、ということでした。
コードをつないでもらって、電気を分けてもらったのですが、バッテリー自体がかなり古いもののせいか、やっぱりエンジンがかかりませんでした。
その日は近くに住んでいる先生に、家まで送ってもらうことになりました。
そして、途中のホームセンターで新しいバッテリーを買って…。
翌日、バッテリーの取り付けまでやってもらったことは言うまでもありません。

いたれり尽くせり。
バッテリーが上がったのが学校で、本当によかったやあ。
これがうちのアパートの駐車場とかでだったら、本当に途方に暮れちゃっただろうと思う。
いったい誰に頼めるだろう?



2003年03月09日(日) 人生最良の日

大学時代、卓球部で同期だった仲間とは、変な結束の強さがある。
変な、と言うのも、おかしな話しなんだけどね。

同期は、全部で8人。
男が5人に女が3人。
在学中は決して仲がいいほうではなかった。
女同士は仲良しだったけど、私みたいな偏屈な女は、男子には煙たがられて、衝突したこと数しれず。

だけど、それも時が解決することのようで、卒業してからは、なんだかんだでみんなで集まったりする。
冬と夏のOB杯、体育の日の同期会、そして、
結婚式には、全員を呼ぶのが習わし、みたいな。
今日は、同期のうっち君が結婚しました。
女子はさすがに披露宴には呼ばれなかったけど、イタリアンレストランでの二次会には馳せ参じました。

うっちの奥さんは、うっちの職場の後輩なんですって。
前にちらって見たことがあったんだけど、美人でしっかりものなかんじ。
うっち、見る目あるじゃん。

とっても印象的だったこと。
参加者ひとりひとりが一言ずつお祝いの言葉をかけていった後に、
一言、あいさつを求められた奥さんの言葉。
「じゃあ、本当に、一言だけ言いたいと思います。
とっても幸せです☆」

おお~!!!!
なんかすごいぞ!
「とっても幸せです☆」かあ………。
結婚って、とっても幸せな気持ちをもたらすものなのかあ…。
通過儀礼的な認識しか私はもっていなかったけど、そんなに幸せなものなんだあ…。
いいな、いいなー。



2003年03月07日(金) あだ

まったく、昨日は遭難しちゃって、参っちゃったよ。

なんて、翌日にはネタになってしまうのが、私の図太さでございます。
でも、救助のために、寒い中かりだされた先生方のことを考えると、笑ってる場合じゃねーぞ。
無茶も人に迷惑かけないようにしなきゃなんねえ、と、反省もしきりです。

せめてものお礼に何かプレゼントできたら、と思って、デパートに出かけました。
なーにーがーいーいーかーなー?
と、物色していて、二人が植物が好きだったことに気づきました。
男の先生にはシンゴニウムみたいな観葉植物。女の先生には、鉢花を贈ることにしました。
うーん、なかなか妙案なんじゃない?

ほくほくして、足取りも軽く、車のトランクに二つの鉢をのせて、帰宅しました。
翌日には、学校に行くし、学校でプレゼントしよう、って思ったから、あえて部屋までもって帰らず、トランクに入れておきました。
それが、すべての後悔のもととも知らずに…。

その晩はすごい冷え込みで、朝、フロントガラスが凍っていました。
トランクを見てみると、花はまだ、なんとか生きていたものの、観葉植物は…。
その大きな葉のすべてを力なくうなだれてしまって、もう、昨日の勇姿は見るかげもなく…。

何をやっているんだ、私…。

追い撃ちをかけることがありました。

とりあえず、学校に持って行って、事務室で蘇生措置を考えよう、って思って運んでいたんです。
「おはようございまーす。きよこ先生」
養護の先生です。
「やだー。
なにこれー。
キャベツみたい!!」

ぐさっ。
確かに、キャベツみたいだけどさ…。つらいなあ。



2003年03月06日(木) THE 遭難

今行っている学校は、村からの協力が厚くて、いろいろと個性的な教育がなされている。
英会話もその一つで、AETとは別に、英会話の授業を設けている。
その講師のクリスティンと、一緒に給食を食べるうちに仲良しになって、家に遊びにおいでって話しになった。

今日、学校が終わって、地図を頼りに車で出発しました。
実を言うと、ずっと学校と家の往復ばかりで、全然学校付近を見て歩いたことがなくって、クリスティンの家周辺も、まったくの初めて。
でも、まあ、なんとかなるべえ、という、いつもの「親譲りの無鉄砲」です。
8時近くなって、あたりは真っ暗、折からの冬型の天候で、吹雪き始めてきていましたが、がんがん道を分け入っていきました。

でも、あれ?
おかしいなあ?
そろそろ着くはずなんだけど、道は細くなるばかり、人里離れて行くばかり。
「これは、迷ったぞ、もどりましょう」
しかし、Uターンもままならない小道ですぞ。
バックオーライ、バックオーライ

きゅうううきゅるきゅるきゅる…

ええー!ちょ。ちょっと待って。
タイヤが空まわって、うんともすんとも動きませんぞ。

えーとえーとえーと。
うーんとうーんと。
落ち着けわたしー。冷静になれー。

そうだ!救助を呼ぼう。
け、携帯電話。

がーん。
電池、あとひとつしかないじゃーん…。
この電池がなくなるまでに助けを呼ばなければー!!

ぴろりろりーん♪
「もしもしー、きよこー?
久しぶり♪最近どうなのよ。」

OH MY GOD!!
ごめん、久しぶりのところマジ悪いんだけど、今遭難していてさ。
ほんと、ごめん、そんな電池がさなくてさ、また、電話するから。じゃ、じゃ!!
「ええ、遭難って、何!ねえねえ…」ぷち。

電池がないんだよー。
えっと、えっと、教頭先生
「きよこ先生?遭難?
まいったなあー。どうしたらいいかなー。いやー、もう一杯飲んじまってー」

えーんえーん。
こんなことなら、先生の電話番号全員メモリーに入れておけばよかったよー!

8時半にもなりそうだけど、ひょっとして、まだ学校に先生いるかな?

「あれ、きよこ先生どうしたの?」

わー!先生!よかったー!えーんえーん。

「うんうん、わかった。助けに行くから、どこにいるか教えて」

それから、1時間半ようやく救出されました。

はあ、無鉄砲もほどほどに。



2003年03月02日(日) 仲直り♪

ユカコちゃんとあの人と私、3人で温泉に行くことになった。
不思議な組み合わせ?
でも、ユカコちゃんは私とあの人の共通の後輩だから、けっこうこの3角形はありがち。

私がユカコちゃんにひどいことを言ってしまって、気まずいんだ、ということをあの人に相談した。
そして、二人で会うのはまだちょっと気まずいから、間に入って欲しい、って頼んだんだ。
(もちろん、ユカコちゃんには、仲直りが目的だなんて知らさずに、ただ、単に遊びにいこうっていうことにしてね)
3人で待ち合わせて、私たち2人は女湯で、ゆったりつかりながら、他愛もない話しをして。

そういうことで、なんとなく垣根みたいなものがなくなった気がします。
もともと、いがみ合っている、とか、絶交している、とか、そういうことではないから。
いつものように仲良く話すんだけど、なんとなく、いつものように心から笑いあえない、そういうもどかしさをなんとかしたかったから、温泉につかって、リラックスして、っていうのはちょうどよかった。

今日行ったのは「おぶー」っていう温泉。すっごいたくさんの種類の温泉があって、中でも、超ごきげんなのが、ヒーリングサウナというの。
一度ざぶっと温泉につかって、浴衣に着替えます。
そして、お香の焚き染めてある、洞窟みたいな薄暗い部屋に入っていきます。
石が敷き詰めてあって、その上にバスタオルをひいて寝転びます。
あたりが真っ暗になって、心地よい音楽が流れていて、石の下から体中がじんわり温められていい具合に汗が出てきて、もう極楽!

あの人は、そのサウナが混浴じゃなかったのがちょっと残念そうだったけど。
でも、仲直りしてよかったねって。



2003年03月01日(土) 日本酒ざんまい

体育会系の飲み会って、私大好きなんだよね。
若いんだもん、ちょっとぐらい羽目をはずしたり、無茶しちゃったりしたいじゃん♪

今日は、大学の追いだしコンパ。
追い出される4年生も、私が卒業した年の1年生なんだから、時の経つのは早いなあ。

このコンパにはいつから始まったのか、恒例の習わしがあります。
日本酒一升瓶を2人ペアで飲みつくす、というものです。
It’s so crazy!
だから、楽しい!

お酒を飲むと、相手との間にある、微妙な距離感が、ぱっ☆て取っ払われちゃう。
それが、楽しい。

ざっくばらーん、に飲んじゃうんです。
そんな男気あふれる飲み会だから、私以外参加者はみんな男。
迷惑かけちゃなんねえな、と、一升瓶を小脇に抱えながらも、注意して飲んでいました。
ええ、いい調子で、つぶれることもなく、つぶれちゃった後輩の面倒を見たりして。

おっかしいな〜。
そこまでは覚えているんだけどなあ。
あとは、二次会のカラオケでぐーぐー寝ていたかと思ったら、吐き気を催してトイレに駆け込んだような記憶が、断片的に…。
ほんとは最終電車で帰るつもりだったのに、結局ほかの男の子達と一緒に、雑魚寝と相成ってしまいました。


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